第97話 神の世
「尊き神よ、あなたが伴侶に望むこの者はいずれこの国を統べる者。人の世を治める者を神の世に送るわけにはいかない」
蒼子は蛇神を見据えて言った。
白い大蛇を前にしても蒼子は堂々としていた。
不安や怯えなど微塵も感じさせないその様子に鳳珠は感服する。
いつ絞殺されるか、丸飲みにされてもおかしくない状況に戦々恐々している自分とは大違いである。
「故に、この者は諦めて欲しい」
蒼子の一言に蛇神からギリっと奥歯を擦るような音が聞えた。
『私のものだ! 邪魔をするなっ!!』
蛇神が怒りを顕わにする。
するとドドドドドドドドドっと地鳴りのような音と滝の水が落ちるような二種類の音が辺りに轟く。
「きゃあっ!」
「うわっ!!」
「何だこれは⁉」
「地震か⁉」
あちこちから悲鳴のような声が聞え、辺りは騒然とする。
立っているのが困難なほどの強い揺れを感じたと思ったら、次に身体が覚えたのは浮遊感だ。
「鳳珠様!」
「皇子!!」
足が床から離れ、身体が宙に浮いた。
気付くと床が遥か底にあり、天井を見上げればずっと高い場所に自分達を呼ぶ椋や柊の顔がある。
ぽっかりと鳳珠と蒼子がいる場所だけ底が抜けたのだ。
皆の悲鳴に似た声が反響して聞こえた。
しかし、彼らの叫び声も虚しく、距離はどんどん開いて鳳珠達は落下していく。
鳳珠は腕の中にいる蒼子を落とさないようにぎゅっと抱き込んだ。
着実に近づいている穴の底で待ち構えているであろう衝撃を想像して、鳳珠は歯を食いしばる。
くそっ! せめて蒼子だけでも守らなければ!
そう思い、蒼子を抱く腕により一層力を込め、身を固くした。
濡れ羽色の髪が舞い上がり、視界を覆う。
間近に迫った穴の底が広がった髪の隙間から見え、鳳珠はきつく目を瞑った。
しかし、いつになっても想像していた衝撃を身体に感じることはなかった。
恐る恐るきつく閉じていた双眸を開くと、目の前に真っ赤な目があった。
「なっ…………⁉」
目の前にある真っ赤な二つの目玉に驚く。
そして腕の中が軽いことに気付いた。
「蒼子⁉ どこだ、蒼子⁉」
辺りを見渡しても蒼子の姿はない。
そして視界に広がる風景に絶句する。
「ここは…………」
鳳珠は木材を組み上げて作られたやぐらのような場所に立っていた。
自分は地上からこの場所へと落下してきたはずだが、天井を見上げれば自分が落ちてきた穴からは滝のように水が流れ落ち、その水が川となってやぐらの足場を流れている。
蛟滝に雰囲気は似ているが、流れ落ちる水の量は蛟滝には遠く及ばない。
蛟滝には長い年月をかけて大自然が作り上げた荘厳な雰囲気があるが、この場所は今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気がある。
ひらり、ひらりと桃色の何かが降ってきた。
足元に落ちたのは濃い桃色の花弁で、見上げるとすぐ側に大きな桃の木がある。
天井から伝い落ちるように流れた水はやぐらの足場を通り、どこかへ流れて行くが、遠くは霞がかっていてよく見えない。
まるで絵物語のような風景が広がっている。
一体、何がどうなっている?
旧本家の地下にこのような空間があるのは非現実的だ。
自ずとこの場所は人間が作り出した空間ではないことになる。
緊張感で嫌な汗が背筋を伝って流れ落ち、自然と呼吸が浅くなる。
恐怖で身体が震え出しそうになるのを拳を握り締めることで何とか誤魔化した。
鳳珠は顔を上げ、自分を見つめる真っ赤な二つの目玉に視線を向けた。
赤い舌が何度も出たり、引っ込んだりしていて蛇独特の仕草に目の前の生き物が人ではないことと、その巨体をまじまじと見つめれば、自分は完全に人の世から隔離された場所にいるのだと実感させられた。
夢の中で会った時とは随分と印象が違う。
あの時は負の感情の塊と声でしかなかった。
しかし、今目の前にいるのは巨大な白い蛇だ。
『あぁ……憎い、憎い……待っていたぞ、憎き貴様が再び私の元へと現れるこの日を……!』
赤い目をした大蛇が鳳珠を見下ろして言った。
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