第95話 重なる姿
「策があるのか⁉」
蒼子に掴みかからんばかりの勢いで鳳珠は言った。
「まさか無策で交渉に挑むはずないだろう」
蒼子は呆れ声で言う。
さっきから鳳珠も莉玖も思考が『死』に偏り過ぎている。
策もなく、神との交渉に挑めば失敗もあるだろうが、策を講じれば成功率も跳ね上がる。
「その策の成功率はどれほどだ?」
「まぁ、五分五分だろうな」
鳳珠の言葉に蒼子は言った。
決して低い確率ではない。
絶対の保障がないだけだ。
正直、これを外したのならばそれはこの男の運命だ。
王たる者はここぞという場面で運も味方にできなければならない。
賭けにすら乗れない臆病者も同じく王の器ではない。
蒼子は客観的な目で鳳珠を窺う。
「分かった。そなたの賭けに乗ろう」
ほう。策も訊かずに賭けに乗るとは。
これはこれで大物かもしれない。
蒼子は心の中で笑む。
しかし鳳珠の言葉に椋と柊が声を上げた。
「お待ちください!」
「もし失敗したらどうするおつもりですか?」
不安げな表情を浮かべる双子に蒼子は視線を向ける。
「心配するな。例え失敗したとしても皇子一人くらい何とかなる」
万が一、交渉が決裂した場合、皇子だけは何とか生かさなくては莉玖や紅玉だけでなく一族郎党皆殺しにされかねない。
それは避けなければならない。
顔も見たことのない親族など正直どうでもいいが、自分にとってはどうでも良くても、誰かにとっては大切な誰かで、尊い命だ。
人の輪の中にいるとこういうことが煩わしい。
そんなことを考えていると急に鳳珠の顔が間近に迫る。
今まで見た中で一番怖い顔だ。
そしてぎゅっと蒼子の手を大きな手が握り締める。
「おい、まさか私を生かして自分が死ぬ気じゃあるまいな?」
怒気を孕んだ声で鳳珠は言う。
色の違う二つの瞳が真っすぐに蒼子を見つめていた。
「私はそなたを犠牲にしてまで生きるつもりはない! だったら蛇に嫁いだ方が遥かにマシだ!」
真剣な眼差しの奥に強い意志を感じる。
「神の元に嫁げば、御身は神の所有物となる。今までのように人の世で生きることはできなくなる」
神に嫁いだ者のその後は神によってかなり違う。
条件付きで人の側で暮らせる者もいれば、神隠しの如く、人目には触れぬ場所へと連れていかれる者もいる。神の代役をさせられる伴侶もいる。
「格式高い神の伴侶は喰われることはないのだろう? 人の世から離れても死ぬわけじゃない。だが、死んでしまえばそこで終わりだ」
鳳珠は蒼子の手をぎゅっと強く握り直す。
「蒼子、私はそなたに生きていて欲しい。この世は広い。神殿の中にはないものが溢れている。それらを見て、触れて、感じて、ゆっくりと成長して欲しい。そなたの人生が狭い神殿の中だけでは面白くない。思い返す出来事が山のようにある人生であって欲しい」
蒼子は鳳珠の言葉に目を見開く。
馬鹿げている。
皇子であり、その身に王印を宿す者でありながらたかが神女一人のために人生を捨てるというのだから。
怒気の混ざった声はいつの間にか穏やかで優しくなっていた。
慈愛の眼差しで蒼子を見つめる鳳珠は口元に笑みまで浮かべている。
それも、こんなにも優しい理由で私を生かそうとするとは。
『生きていて欲しい』
蒼子の頭の中に声が響いた。
遥か昔、全く同じことを言われたことがある。
あまりにも傲慢で高慢で身勝手な言葉だった。
こちらの意志などお構いなしに、自分勝手な言葉を並べて、蒼子を縛った。
『蒼子、私はそなたに生きていて欲しい』
鳳珠の優しい声が先ほどの声を掻き消した。
同じ言葉のはずなのに、何故こうもこの人の言葉は心地良いのだろうか。
同じはずなのに、あまりにも違い過ぎる。
その時、遥か昔の光景が脳裏に蘇る。
それは燃えるような赤く長い髪の男の後ろ姿だった。
男が振り向いた。
あぁ、そいえばこんな顔だったな。
真っすぐに伸びた炎のような赤色の長い髪、金色の瞳、この世の全てを虜にするような美貌を男は持っていた。
そう、今目の前にいる鳳珠と瓜二つ。同じ顔だ。
だが、その眼差しはあまりにも違う。
冷酷で残忍、傲慢でいつもギラギラと欲望を滾らせていたあの男と慈愛に満ちた優しい鳳珠と。
「もし交渉が失敗すると分かったらすぐに私を蛇に差し出せ」
「鳳珠様!」
「ご自分が何を仰っているのかわかりますか⁉」
鳳珠の言葉に椋と柊は悲痛な声を上げる。
「このような小さな命を犠牲にして得た人生など、最初からないのと同じだ」
鳳珠の言葉に双子は唇を噛み締めて、黙り込んだ。
同じ顔、同じ声、その身体に流れるのは憎きあの男と同じ血だ。
蒼子は大きな溜息を零す。
「あなたはもっと狡猾で残忍であるべきだ」
蒼子の言葉に鳳珠はキョトンと意味が分からないといった顔をする。
もっと狡猾で残忍で傲慢で、身勝手で優しさなど捨てればいい。
徹底的に支配者になればいい。他人の意志などお構いなしに気持ちの赴くままに振舞えばいい。
そう、私を縛り付けたあの男のように。
脳裏に再びあの男が蘇る。
そして男の姿が目の前にいる鳳珠とぴったりと重なった。
そうすれば引き摺られることもない。
私の心は私だけのもの。
全てを差し出しても心だけは私の自由。思い通りにさせてやるものか。
蒼子は自分を見下し、嘲笑うその男に心の中で強く主張した。
「蒼子?」
鳳珠が蒼子の顔を覗き込み、首を傾げている。
やはり、違う。当然か。
蒼子は小さな手で鳳珠の頬に触れる。
すると鳳珠は少し驚きながらもこそばゆそうに目を細めた。
あの男はこんなに優しい表情は決してしなかった。
見れば見るほど似ているのに、近づけば近づくほど違いが大きくなる。
どうか、同じであれ。あの男のように。
そうすれば心惹かれることもないというのに。
蒼子は徐に鳳珠の頬へ唇を寄せる。
「「「「っ…………⁉」」」」
その光景を目撃した周囲の者達は声を失い、凍り付いた。
鳳珠は何が起こったのか分からないような顔で固まっている。
蒼子はゆっくりと唇を離し、息をつく。
「そう心配するな。負け戦はしない主義だ」
蒼子が言うと鳳珠は自分の手を頬に当てて呆然としていた。
「死ぬというのはあくまで可能性の話だ。さっきも言ったが生きている限りどんな時でも死とは近くにあるものだ。切り離すことはできない。しかし、策を講じれば問題ない。そもそも大前提として…………」
視界の端に暗い表情をしている莉玖と目の前にいる鳳珠を順番に睨みつける。
「私をなめ過ぎだ。一体、私を誰だと思っている」
蒼子は胸を張って溜息交じりに莉玖と鳳珠、ついでに全体を見渡した。
これでも宮廷最高位の三神女の一人である。
「蛇神との交渉如きでしくじるはずがないだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。