第93話 肝心なこと
「この邸も危険だな」
蒼子はすっかり見通しのよくなった広間を見渡す。
壁があった場所に広がるのは外の景色だ。
辛うじて柱は残っているがあまりにも心許く、天井を仰げばあちこちから夜空が見える。
邸は舞優が暴れたせいで半壊状態になったことに加えて莉玖の水術で水浸しである。
元々古い邸ではあるが、この二人のせいで今日寿命を迎えることとなりそうだ。
昨日の夕刻から現時点までみんなが休むことなく、迅速に対処したため、この町で行われていた犯罪の主犯たちは全て捕縛できた。
夜であったことも味方している。
自分達が捕まる未来など考えたこともない連中は御託を並べて抵抗したそうだが、莉玖の部下を中心に鳳珠が手配していた武官達に連行されたそうだ。
昼間にこの邸の庭で鳳珠に打ち明けられた時は驚いた。
鳳珠が本当に調べたかったことは呂家の呪いではなく、呂家を中心に町で行われている女性や子供の虐待行為に関してだった。
そして人身売買にも呂家が深く関与していることも分かった。
調度、貴族の間で呂家の姫が蛇神に求婚されたという噂が流れ、鳳珠はこれに乗っかることにしたらしい。
こうなったら呪いに関してもまとめて調べようということになり、帝が外国との人身売買に頭を悩ませていることを知っていた鳳珠はその件も片付けることを条件に神殿からの人員を帝に要請したと言う。
神殿からの人員とはもちろん、蒼子のことである。
そして人身売買の物的証拠を押さえるために蒼子とも連携が取れそうな莉玖が抜擢されたのである。
そうでなくても帝から頻繁に面倒事を押し付けられる父はついに皇子にまで面倒事を押し付けられて気の毒でならない。
最後に本当の父の姿を見たのはいつだったか記憶にない。
常に疲労が蓄積されて身体が若体化しているため、ここ最近は青年のような若々しい姿のままだ。
ちなみに、鳳珠は蒼子が呂鄭達の標的になるところまで読んでいたらしい。
故に蒼子に対して一人になるなと、口を酸っぱくしていたわけだが。
蒼子が連れ去られる瞬間を目撃したら、そこを皮切りに攻めるつもりだったらしいが、そこは蒼子が鳳珠を説得して自ら囮となった。
説得するのはなかなか面倒だったが。
何とか納得させて囮になったものの、予想外のことが起きたせいで計画通りにはいかなかった。
舞優の存在や、白燕と白陽が蒼子を助けるために動いていたこと、白陽が売られそうになったこと、最も予想外だったのは鳳珠が呂鄭の標的にされたことである。
偶然が重なりあい、予想外の出来事も起こったものの、結果は丸く収まり、死者も出なかったことに蒼子は安堵する。
蒼子は椋と柊と話している鳳珠を見やる。
それにしても大したものだ。
王宮に戻ってまだほんの三か月ばかりしか経っていないというのに、これほど大きな案件を処理するとは。
呂鴈から相談を受け、この町を調査し、町の実態だけでなく、人身売買の繋がりを見抜いて一網打尽にするから神女である蒼子を貸せと帝に取引を吹っ掛ける大胆さは今までに培った商人の技だろうか。
この取引から得られるものは帝からの好感か。
信用と信頼まで得られるかは分からないが、帝や他の官吏達から注目されることは確かだろう。
蒼子は改めて感心する。
「呂鄭と呂翔隆は王都へ連行する。他の者は順次取り調べを行う。呂尚書、そなたらも対象だ」
莉玖は呂鴈の側に寄り添う白燕と白陽に視線を向ける。
「罪は消えぬが情状酌量の余地は十分にある。私からも申し伝えておく」
莉玖はいつもと変わらぬ表情で言う。
しかし、その声音は少しだけ優しいことは娘である蒼子にははっきりと分かった。
一見冷たそうに見える莉玖ではあるが、意外にも情に厚い男だ。
厳しくはあるが、冷徹ではない。
白燕や白陽だけじゃなく、辛く厳しい境遇で生きることを強いられてきた者達にも救いの手を差し伸べてくれるはずだ。
蒼子は天を仰ぎ、流れて行く雲と大きな月が見えた。
夜空に君臨する月の存在の大きさと比べれば、このような大きな事件も解決してしまえばちっぽけなもののように感じる。
何か忘れている気がする…………まぁ、いいか。
そういう時はどうせ大したことではないのだ。
「蒼子様」
穴だらけの天井から覗く月を見上げていた蒼子に白燕が声を掛けてきた。
「申し訳ありませんでした」
そう言って深々と頭を下げる白燕に蒼子は首を傾げる。
「私はそなたから何もされていない。謝罪は不要だ。むしろ、こちらが礼を言わなくては」
白燕は戸惑いながら顔を上げた。
蒼子は懐に仕舞っていた小さな巾着を取り出して掲げて見せた。
「失敗したようだが、私を助けるつもりで白陽と動いていたと聞いた。それにこの飴も」
姉弟の計画は舞優によって阻まれた。
それは仕方ないことである。
「何かがあった時、私が飢えないようにと持たせてくれたのだろう?」
助け出すまでどれだけ時間がかかるか分からない。
蒼子を幼子だと思っている白燕は蒼子が腹を空かせて泣くことがないように、恐怖や不安が少しでも和らぐようにと持たせてくれたのだ。
「ありがとう。そなたの気遣いに感謝する」
蒼子が感謝の言葉を伝えると白燕はまたもやボロボロと涙を零し始めた。
「本当にっ……なんと、お礼を言ったら良いのか…………」
「その礼はそなたらの叔父に言うといい。そなたらを救うために当主の座を捨て、一族を裏切り、あまつ帝の元で無償で奉公するからと助力を願った男だ。誰よりもそなた達のために心を砕いたのは呂鴈に他ならない」
白燕は顔を上げて呂鴈の方を振り返る。
白陽は既に呂鴈にしがみついて泣いていた。
呂鴈も涙と鼻水を流しながら、嗚咽を零している。
顔が整っている白陽は泣き顔も見ていられるが呂鴈の泣き崩れた顔は正直あまり見ていたくないくらい強烈だった。
一族がみな美形で呂鄭と同じ親から生まれているというのに、何故この男だけがこの顔なのだろうかと蒼子は必要のない思考を始めそうになるが、止めておく。
「あとは皇子と工部尚書に。呂鴈の声を聞いた皇子が迅速に動いたことと、尚書が皇子の意図を汲み取り、あちこちに根回しや手配をしたことがこの結果だ。私は本当に何もしていない。感謝なら彼らと彼らの元で懸命に働く部下達にするといい」
「はい……はい、ありがとうございます、蒼子様」
そう言って白燕は泣きながら何度も頷いた。
白燕は叔父と弟の輪に加わり、三人が本当の意味で再会を果たした。
涙に濡れていても、三人の表情は嬉しそうで生き生きと輝いている。
白燕も張り付けたような笑みではなく、心から笑えていることに蒼子は嬉しく思えた。
「おい、何だか全て解決したかのような雰囲気だが、大事なことを忘れてないか?」
涙の再会を果たした三人を微笑ましく眺めていると鳳珠が不満そうな声で言う。
「大事なこと?」
そう言われてみれば何かあったような気もする。
蒼子が聞き返すと鳳珠の眉がピクリと跳ねる。
「お前! 私を守ると言っておきながら何だ⁉」
鳳珠の怒りの声に蒼子は首を傾げる。
そしてはっとする。
完全に忘れていた。何か忘れているような気がしていたのはこれだ。
鳳珠が蒼子に詰め寄り、腕を捲り上げて求婚痣を示す。
「お前は私を蛇の嫁にするつもりか⁉」
「…………忘れていたわけじゃない。後回しにしようとしていただけで」
少しばかり苦しい言い訳をしつつ、蒼子は鳳凰の刻まれた金色の瞳から目を逸らした。
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