第75話 到着

「白燕に呪詛の掛け方を教えたのはお前だな?」


 柊が蒼子を止めようをするのを制し、蒼子は舞優の前に出て対峙する。


「あぁ。そうだ。こいつらの恨みは強い。同情しちまってな。女が自分の身体に一生消えない傷を彫り込んでまで呪い殺したいって言うんだ。そりゃ、肩入れもしてやりたくなるだろう?」


 白燕は気まずそうに俯く。

 咄嗟に蛇の鱗模様のある左手を押さえた。


 白燕が用いた呪法は自分の痛みと引き換えに相手を苦しめるという古典的な方法を神力を絡めて応用したものだ。


「白燕殿のあの痣は自身でつけたものということですか?」


 蒼子は頷く。


「痛かったでしょうに…………」


 柊は苦しそうに呟いた。

 白燕は柊の同情の言葉にまた涙ぐむ。

 そして傍らに立つ朱里が白燕の背中を擦った。


「あともうちょっとだったんだけどなぁ。まぁ、仕方ねぇな」


 舞優はニヤリと笑う。


「白燕、お前の代わりにお前のクソおやじ、俺が殺してやるよ」


 その言葉に白燕ははっと俯いていた顔を上げた。


「待って! それは……!」


「何今更怖気づいてんだよ。心配すんな、ちゃんと切り刻んで殺してやるよ」


 残忍な目をして舞優が言う。


「そうはさせない」


 蒼子は舞優に宣言するように言う。


「あの男には死んでもらっては困る」


 蒼子は舞優を止めるために池の水を手元に手繰り寄せる。

 すると池の水が細い縄のようになり、舞優へと襲い掛かる。


 しかし、その水の縄は舞優の作り出した鋭い風で形を崩し、ただの水に戻った縄の残骸が地面に落ちて染みを作った。


 やはりこの男……相当強い風の神力を持っているな。

 

 いくら身体に合わない水を使用したとはいえ、蒼子の術をあっさりと破ってしまう程度には強い。


「お前、こんなこともできんのか。ますます欲しいな」


 舞優は感心し、声を弾ませた。


「だが、今は邪魔すんな。後で遊んでやるからよ!」


 そう言って舞優は手の平から小さな風の渦を作り出す。

 その渦は次第に大きなり、蒼子目掛けて放たれた。



 子供の姿ではな…………。


 先ほどの風よりもさらに強力な術だ。

 今の蒼子には身体に合わない水を使った脆弱な術でこの場を凌ぐしか方法はない。

 まともに喰らえば無傷では済まなそうだ。


 今は一人ではなく、守らなければならない者達もいる。

 目の前には小さな渦が竜巻と化したものが迫っている。


 土埃を巻き上げ、天に向かって伸びる竜巻は周囲の木々や池の水面を激しく揺らし、建物すらも音を立てた。


「服がないんだが、致し方ないか」


 蒼子は諦めの言葉を呟いた時だ。


「服もないのにお止めください! はしたない‼」


 聞き馴染んだ声で大きな小言が聞こえてきて、蒼子は動きを止めた。

 そして足元から大きな水の柱が現れ、舞優の作り出した竜巻をそのまま飲み込むと激しい破裂音と共に消失した。


 訪れた静寂と暗闇の中に舞優の姿はなかった。

 代わりに見知った青年の姿がある。


 首の後ろで一つにまとめた黒髪を揺らし、軽快な足取りと嬉々とした笑顔を浮かべて蒼子に向かって歩いて来る。


「遅い」


 蒼子は言う。

 しかし、その声には嬉しさも滲む。


「遅くなって申し訳ありません、蒼子様」


 現れた人物は恭しく片膝を着き、頭を垂れた。

 青年の名は紅玉。

 蒼子の弟である。


「お久しぶりです、紅玉殿。今ほどはありがとうございました」


 腕は立つが神力を持たない柊は舞優との戦闘では勝ち目はない。

 いい時に来てくれたことに柊は感謝した。


「柊さん、お久しぶりです。お怪我がなくて何よりです。うちの蒼子様をありがとうございました。大変だったでしょう」


「とんでもない。手のかからないお方ですから」


 互いに従者独特の挨拶を交わす。

 従者とは気苦労の絶えない仕事で、互いに主が立場のある者であるため、気持ちの面で重なるところが多い。


 あまり踏み込んで関わることはないが、宮廷ですれ違えば声を掛け合う仲である。


 挨拶を済ませた紅玉が蒼子に向き直る。


「蒼子様、むやみやたらに力を使うのはお止め下さい」

「お前が遅いのが悪い」

「出発直前になって私を置いていくからですよ」


 蒼子の言葉に紅玉は恨みがましく言う。

 蒼子はそれを無視した。


「到着早々で悪いが動く。守備は?」

「恙なく」


 紅玉は自信に満ちた表情で答える。

 蒼子は王都を出る前に紅玉にいくつかの調べ物を頼んだ。

 そのため、出発が別々になったのである。


「そこの二人にも来てもらう」


 蒼子は玄関先にいる白燕と朱里に視線を向ける。


「何故、私までついて行かなきゃならない」

「面白いものが見れる」


 朱里の問いに蒼子は答える。

 

「面白いもの?」

「この町の末路だ」


 蒼子が抑揚のない声で言うと、怪訝な顔をしていた朱里の口元に笑みを浮かべる。


「良いだろう。どんな末路を見せてくれるのか、楽しみにしている」


 ふん、と朱里は鼻白む。


「言っておくが、末路を決めるのはあなたと白燕だ」

「何?」


 朱里の眉間に皺が寄る。

 白燕も同時に不安そうな表情を見せる。


「心配するな。私がいる」


「蒼子様、こちらを」


 紅玉はどこからともなく取り出した錫杖を蒼子に手渡す。

 子供の姿で持つには長すぎるそれは夜でも眩い光を放つ青い色の石があり、蒼子が握ると更に眩く輝いた。


「そ……その錫杖は…………!!」


 蒼子の持つ錫杖は宮廷三神しか持つことを許されない特別な物で、神官神女であれば誰もがそれを知っている。


 朱里はそれを見止めると地面に膝を着き、深く頭を下げる。


「今までの無礼な態度をお許し下さい」


 朱里の行動に白燕は戸惑った。

 蒼子に対して不遜な態度を取っていた朱里が急に平伏したからだ。

 

「良い」


 蒼子は短く言って、朱里に顔を上げるように促す。


「では行こうか」


 紅玉が丁寧な手つきで蒼子を抱き上げる。


「呂家に巣食う呪いを払いに」

 



 






 

 


 

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