第74話 柊の裏

「もう一つお話しなければならないことがあるのです」


 白燕は酷く申し訳なさそうに会話を切り出す。


「神官様が……父に掴まってしまいました。本当に申し訳ありません」

 そう言って白燕は深く頭を下げた。

 しかし、蒼子も柊もそれほど驚きはしなかった。

 ある程度は予想していたことである。


 大して驚かない二人に白燕は恐る恐る顔を上げた。


「そう心配することはない。あの人には椋さんと柘榴がいる」


 椋は頭が回るし、柘榴は物理的に強い。

 命に関わるような事態にはならないはずだ。


「そ……そうですか……」


 しかし、白燕から心配の色は消えない。

 そこで白燕と鳳珠が只ならぬ雰囲気を漂わせていた時のことを思い出す。

 

 もしかしたら…………。


 白燕は鳳珠に恋をしたのかもしれない。

 少しだけ蒼子の胸がチクリと痛む。


「父が……神官様のお顔をとても気に入ったようで……あ、愛妾にすると豪語していて…………」


 その恐ろしい言葉に蒼子は胸の痛みなど吹き飛んだ。

 隣に立つ柊は意識が吹き飛びそうである。


「何だって?」


 蒼子は聞き返した。


「その……父は悪食で幼過ぎる子供以外は何でも…………性別も問わない

のです」


 聞き間違いじゃなかった。


「マズイな」


 蒼子は険しい表情を見せる。

 

 王族との同意のない姦通は問答無用で即処刑台行きの大罪である。

 本人はもちろん、その一族も責任を取らねばならない。


「蒼子様、一刻も早く鳳様達のところへ」


 柊は言う。

 椋と柘榴がいるので最悪の事態にはならないはずだ。


 しかし、いくら偽者とはいえ、堂々と神官であると申し伝えているにも関わらず、勅命で訪れた神官に手を出すとは思わなかった。


 呂鄭は相当、怖いもの知らずなようである。


 鳳珠様、どうかご無事で―――。


 柊は心の中で主の無事を祈る。


「そうだな。急がなければ呂鄭を罪に問う前に処刑台に送られてしまう」


 柊は『え、そっちですか?』とは言えなかった。


 蒼子の呟きに主が少しだけ薄情に思えた柊だが、特に何も言わなかった。


「さて、先ずは白陽を助けなければ」


 そう言って蒼子達は建物を出て五の池へ出た。


建物の鍵は白燕が開けたままにしていたので問題なく出ることができた。


 外に出ると空は茜色から瑠璃色に変化し、夜が訪れようとしていた。


「何をするつもりだ?」


 不遜な態度で蒼子に訊ねたのは朱里だ。

 白燕に支えられながらゆっくりと後ろをついてくる。


「仲間に知らせる。近くにいるからな」


 蒼子はそう言って服を着たままバシャバシャと水の中に踏み込み歩き出す。


「そ、蒼子様!」


「柊さんはそこにいて」


 驚き、蒼子を追い掛けようとする柊を言葉で制する。

 

「うむ。清くはないな」


 肌に触れた水の質を感じ取り、蒼子は呟く。

 この池も、滝も、大自然の営みから生まれた荘厳な水辺で神力の補給に調度良いと思いきや、あまりにも穢れが多い。

 

 見た目が美しく透き通っていても、負の感情が染みついた水は汚泥と同じだ。

 それでも今はこれしかないのだから仕方がない。


 蒼子は胸が浸かるくらいまでの深さの場所に立ち、瞼を閉じて、念じる。


 すると不自然に水面から波紋が消え、水面から空に向かって茶碗一杯分ぐらいの水が浮かび上がり、鳥に姿を変えた。


「行きなさい」


 蒼子の言葉に水の鳥は空高く舞い上がり、姿を消した。

 蒼子は踵を返して池から出ると、パタパタと水を手で払う。


 一瞬にして濡れていた服が乾いたことに柊たちは驚いている。

 この力で朱里にも水浴びをさせてあげたいがそんな場合ではないことに気付く。


「皆さんは一度、建物の中へ入って下さい」


 そう言ったのは柊だ。

 緊張感を孕む声である場所に鋭い視線を向けている。


「やっぱりな、いたじゃねぇか」

「うお、こりゃ幸運だ。呂家の姫様じゃねぇか」


 下卑た笑みをぶら下げて五人の男が暗闇から姿を現した。

 それを見た白燕の表情が強張る。


「だから、見たって言っただろ!」

「分かったよ、一番はお前に譲ってやるって」


 何の順番かは聞くに堪えない。

 気分の悪くなる会話を繰り広げながら男達は確実に距離を詰めてくる。


 正直、時間も体力も惜しいが、致し方ない。

 蒼子が前に出ようとしたところ、身体がふわりと持ち上がり、すみやかに建物の玄関前に移動させられた。


「ちょ、柊さん―――」

「中に入んな」


 柊に声を掛けようとした時、朱里の枯れ枝のような腕に襟を掴まれて玄関に引き摺り込まれた。

 

 思ったよりも力が強い。

 見た目は今にも折れそうな風体だが、意外に元気なのかもしれない。

 

 しかも狙われている白燕を背中に隠している。

 

 元々は姉御肌のいい女だったに違いない。


「何だ、兄ちゃんも仲間に入りてぇのか?」


 短剣をこれ見よがしにチラつかせながら男が柊に近づく。


「ご冗談を」


「なら邪魔すんなよ。痛い目見たくなけりゃあな!」


「柊さん―――――!」


 蒼子は玄関から叫ぶ。

 男が短剣を柊目掛けて振り下ろしたからだ。

 

 咄嗟に力を使おうとするが、その手は止まった。


「虫唾が走るんだよ」


 普段の穏やかな柊とは思えないほど低い声が発せられ、次の瞬間、男が宙を舞った。

 柊の左手に男の短剣が落ちたと思えば、曲芸師のような鮮やかさでいつの間にか右手に持ち替えられていた。

 

「女子供のように弱い者を力で押さえて、喜ぶ脆弱で未熟な精神の男が。同じ男として恥ずかしいくて仕方ない」


 据わった目をして男達を一瞥し、柊は言う。

 そうしている間にも男達が柊に向かっていくが、先ほどの男と同じように一人は宙を舞い、一人は左に、右に、まるで吹き飛ばされている。


 一人は運悪く、池に落ちた。

 先ほどまで静寂に包まれていた池に盛大な水飛沫が上がる。


「弱者を己の欲望のはけ口にしようとする下劣な輩は最も嫌いだ」


 そう言って最後の一人は思いっきり地面に叩きつけられた。


「ぐはっ!!」


 胃の内容物が飛び出すほど強い衝撃を身体に受け、男は失神し、それっきり動くことはなかった。



「去れ、外道。二度と私の前に姿を現すな」


 柊の低音が静かに響く。

 辛うじて動ける二人は圧倒的な強さの柊を前にこれ以上この場に留まることは選ばなかった。

 何とか二人で仲間三人を引き摺りながら撤退していく。


 その光景を見た蒼子は唖然とした。

 普段の柊とはあまりにも違い過ぎる。


 意外な一面に蒼子は驚いて言葉が出ないままだ。


 声を出せないでいると、くるりと柊が振り返る。


「申し訳ありません。お見苦しいところお見せしました」


 いつも通りの穏やかな柊である。

 玄関にいた蒼子達に向かってもう大丈夫ですよ、と微笑む柊を見るとさっき見たのは幻かと己を疑いたくなった。


「どうかなさいましたか?」


 柊は首を傾げる。


「…………いや、ありがとう。助かった」

「お役に立てたようで何よりですが…………まだいますね」


 柊は鋭い視線を外に向ける。

 不自然な風が起こり、池の水面が乱れた波紋を作った。


「何だよ、せっかく閉じ込めたのによ」


 楽しそうな男の声がした。

 暗闇から現れたのは長身で頬に傷のある男、舞優だった。

 

 




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