第73話 白燕

 その小さな姿を見つけた時、白燕は心の底から安堵した。

 まさか、舞優がこの場所を知っていて、ここに蒼子を隠しているとは思わなかったからだ。


 自分で怖い目に遭わせておきながら虫の良い言葉ではあるが、無事で良かったと素直に思った。


 しかし、何故朱里が閉じ込められているこの場所にいるのだろうか。

 ここは自力で見つけるのは難しい場所で、巧みに隠されているからだ。


 疑問に思いながらも、こうしてはいられないのだと、焦燥が先立ってほとんど蒼子と柊を無視して朱里の前に跪いたのに、自分は今、蒼子の前で涙している。


「だからあの時、言ったはず。困っていることがあるのではないか、と。怖ければ頼ればいい、願いを口にしろと。あなたはその意味に気付いていたはず」


 白燕の見開いた大きな鳶色の瞳が潤み、ボロボロと雫が零れる。

 


 厳しくも、優しさの感じる声で蒼子は言う。

 その声が心に染みる。

 まるで白燕の穢れを浄化してくれるような気がした。


 そうだった。

 叔父の手紙には『神女様をそちらにお送りする』と書いてあったではないか。

 叔父は大事なことは決して間違えないように気を付ける慎重な性格だ。

 神官と神女を間違えるようなことはしない。


 それに、あの手紙が届いたのは蒼子達がこの町に着くよりも前日に届いたばかりで、記された日付はそれから二日前のものだった。王都からこの町まで馬車で六日かかったと鳳珠は雑談の中で言っていたので、叔父が手紙を書いたその時既に蒼子達は王都を発っていたはずなのに、書き間違いようがないではないか。

 

 大人びていて不思議な蒼子とそれを守る大人達。

 鳳珠と親子ではないと言っていた蒼子。


 きっと自分の考えは合っている。


「………………あなたが、本物の神女様だったのですね…………」


 白燕は大きく脱力する。

 そして自分がしたことの罪深さを思い知る。


 酷いことをした。

 もう少しで蒼子は売人に売られるところだったし、舞優に攫われるところだった。

 売られたら最後、蒼子は今の生活には戻れない。

 幼い彼女の人生は絶望的だ。


 それだけじゃない。

 白燕の中には蒼子に対しての嫉妬があった。

 鳳珠に愛され、優しい大人達に囲まれ、守られている蒼子が羨ましくて、妬ましかった。


 醜い嫉妬である。


 だけど、蒼子は自分を一切責めることをしない。

 それどことか、こうして手を差し伸べようとしている。


 この小さな手を取ってもいいのだろうか?

 縋ってもいいのだろうか?


「うっ……神女様……まだ、間に合いますか……? っう……罪深く、汚れた私の言葉も聞いて下さいますでしょうか………?」


 嗚咽を飲み込みながら声を震わせて白燕は蒼子に向かって頭を下げる。

 

「顔を上げなさい」


 蒼子の鈴のような美しい声が響く。

 白燕は恐る恐る顔を上げた。


「まだ間に合う。全て話しなさい」


 蒼子は真っすぐ白燕の瞳を見つめて言った。

 蒼子は感謝の気持ちと共に深く頭を下げる。



「この町に生まれた子供は親の道具、女は男の所有物です」


 白陽は膝を着いて涙を零しながら震える唇で言葉を紡ぐ。

 手に握るのはこの町の風習だと言っていた首飾りだ。


「これはその女が誰の所有物かを示す証です」


 白陽はその首飾りを手の平で壊れそうなほど強く握り締める。


「この町に生まれた娘は必ずこれを身に着け、少女から女になると父の元へと送られ、処女を散らし、その後に所有者の元で貸し借りが行われるのです。逆らえばこの町で生きていくことはできない。爪弾きにされるだけでなく、職を失い、食べる物にも困ることになる。元より女は男の所有物であり、逆らってはいけないという風習が根強いこの町ではこの異常さに気付く者の方が稀なのです」


 白燕は涙を零しながら淡々と語った。


「生まれた瞬間から差別は始まります。男は町を支える者として教育され、女は道具として育てられ、芸事だけを学びます。私は叔父に読み書きを教わりましたが、この町の女たちは読み書きもできない者がほとんどです」


 教育の機会がなければ普通に働くことは難しくなる。

 そして芸事をさせるのは商品価値を上げることに繋がる。


 女達に選択肢はなく、そこに意志はない。


「基本、女はこの町の外に売られます。器量の良い女はこの町に残り、有権者や所有者の決めた男と結婚させられます。もちろん、女の意志は関係ありません。この町で互いに想い合い、意中の相手と結ばれるのは星を掴むのと変わらないくらい難しいこと。所有者に逆らえば厳しい罰と折檻があり、これを苦に命を絶つ者が後を断ちません。そして余所者は狙われます。いなくなってもこの町の人間は誰も困りません。これが神隠しの正体です」


 余所者とは今回の蒼子のように攫われ、売られるか、所有物にされる。

 母もその一人だと聞いた。

 どこかの下級貴族の娘で父母と共にこの町を訪れ、呂家の人間に攫われた。

 呂家一族の娘として調教され、そして父に目を付けられ、無理矢理妻にされたのだ。


 白燕が他の者と違い、目立つ容姿であるのもそのせいかもしれないと思っている。


「誰かに助けを求めたところで、誰も助けてはくれない。これがこの町の現状です」


 女子供に逃げる場所はない。

 逃げても生きていけない。

 逃げたらもっと酷い目に遭う。

 誰も助けてくれないのがこの町だ。


「だから呪ったのね」


 蒼子の言葉に白陽は唇を噛んで頷いた。


「呪った? どういうことですか?」


 訊ねたのは柊だ。


「椋さんと柘榴が言っていた呂鄭と呂翔隆という男の呪印よ」


 蒼子が言うと柊は難しい顔をする。


「それほどまでに実の父親がしたことが残酷で非道だということですね」


 渋面する柊に白燕は咽び泣く。


「うっ…………うぅっ……みんな、みんな、あなたのような人なら良かった……」


 白燕は心底そう思った。

 ここでは父親のすることが常に正しく、正義であり、逆らうことは許されない。

 白燕の訴えを肯定し、父を一緒に非難してくれる男性はこの町にはいないのだ。


「叔父の呂鴈殿はこのことを知っているのですか?」


「町のことはもちろん知っています。ですが、あの人は昔から父とは不仲で、町のことも良く思っていませんでした。次第に父や町の人から爪弾きにされ、無視されたり、酷い嫌がらせをされるようになり、居心地の悪さからこの町を出て行きました。それから一度も帰ってきてません……何度、手紙を出しても……返事もくれなくて……!」

 

 知っている。

 自分と白陽を庇って生活していた叔父は酷い嫌がらせを受けていて、町から孤立していたことを。


 だから、出て行ったのだということも。

 叔父の邪魔をしたくない。だけど、自分達も一緒に連れて行って欲しかった。

 ある日、忽然と消えた叔父を探して白燕と白陽は泣いた。


 認めたくなかった。自分達は見捨てられたのだと。


「きっと、父がいなくなれば叔父も戻ってきてくれるのではないかと思うようになり、父を呪い殺そうと決めました」


 白燕は胸の内を吐き出した。

 その間も白燕は悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。


 憎かった。自分を道具のように扱い、好色の眼差しでしか見ない男達が。

 叔父を追い出した連中はもっと憎くて、特に父は誰よりも憎しみの対象だった。

 

 叔父に戻って来て欲しかった。

 叔父に助けて欲しいと言う機会も与えられることがなかった。


 迷惑かもしれないと思いながらも、せめて白陽だけは助けて欲しい、そう思いながら懇願する手紙を何枚もかいた。


 だけど、返事が来たことはない。 

 叔父に見捨てられたのに、今度は唯一の弟も失おうとしているのだ。


「本当に爪弾きにされ、居心地の悪さが呂鴈殿が帰省しない理由なのでしょうか?」

「そうに決まってます」


 柊の視線が蒼子に向けられる。


「それはこれから本人に直接聞くといい」


「え?」


 蒼子の言葉に白燕はキョトンとする。

 そして白燕の前に来るとふいに蒼子の腕が白燕の首に伸びた。

 ふわりと、優しく包み込むように抱き締められた。


「白燕、話してくれてありがとう」


 その言葉に白燕は許された心地だった。


「辛かったでしょう。苦しくて悲しくて、沢山傷付いた。もう、傷付く必要はない」


 自分が犯した罪も醜い感情も全てが洗い流され、清い自分に生まれ変わったように思えた。


 ゆっくりと腕を解いた蒼子の黒い瞳に白燕は釘付けになる。


「そなたはもう前に進める。私が手を貸す」


 蒼子の凛とした言葉が戸惑いと共に白燕の心を高ぶらせる。


「そなたの心を雪ぎ、呂家の呪いをここで断ち切る」


 白燕は再び額を床に擦り付けるほど深く頭を下げる。


 蒼子の言葉に心が打ち震えるのを感じた。

 今まで抱くことすら許されなかった『希望』がしっかりと形を成して目の前に現れたのだから。


 


 






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