第79話 救出
空が茜色に染まる頃、白陽はガタガタと揺れる馬車の中にいた。
馬車の中には自分を買った売人の男達二人と荷物が乗せられ、とても狭い。
手足を拘束され、口は布を噛ませられて言葉も発することができず、自由はなかった。
姉と企てた計画は失敗した。
自分はその代償に売人に売られてしまうことになった。
「惜しいことしたぜ。あのガキ、妓楼に売れば相当いい値がついたのによう」
幸い、蒼子は無事に売人の手を逃れることができたようだ。
後は父である鳳珠が蒼子を追い掛けるために村を出れば、予め姉が手配していた場所で父娘は落ち合うことができるはずだ。
「まぁ、良いじゃねぇか。代わりにこんな顔のいい男、タダで譲ってくれたんだ」
その言葉に自分には値段すら付けずに男達の手に渡ったと知った。
値段をつけるほどの価値がないという父の心が現れている。
「羅壇の男娼屋がこいつを言い値で買うとまで言うぐらい欲しくて堪らないらしい。いくらで売りつけるか考えておかねぇと」
ここよりも風土の厳しい北にある羅壇という花街はこの国で最も男娼が多い場所でもある。
そんな所に売られれば自分はもうこの町に戻ることはできない。
そう思うと気掛かりなのは姉のことだ。
きっと、姉も厳しい罰をうけるだろう。
それを考えると白陽の胸がズキズキと痛んだ。
姉が心身ともに傷付き、ボロボロになった姿が脳裏に浮かび、恐怖で心臓が嫌な音を立てて鳴り響いた。
ごめん、姉さん! ごめん!
姉は自分達のためにも父に従うべきだと言った。
だが、それをしたくないと言ったのは白陽だった。
だって、あの親子はあんなにも想い合っている。
あれは自分達の思い描く理想の親子そのものだった。
壊したくなかった。
あの二人には自分達のようになって欲しくはないと思った。
自分が我が儘を言ったからこんなことになった。
自分がこうなったのは自分の責任だ。
だけど、姉は違う。
僕の我が儘に巻き込まれただけだ。
これから姉の身に起こるであろうことを想像すると罪悪感が波のように押し寄せてくる。
「それにしてもあの神官、男のくせにえらい別嬪だったなぁ。どうせ売るならあっちの方がずっと高く売れるぜ」
「あれはダメだ。交渉したが、呂鄭の旦那が飼うってよ」
その発言に白陽は愕然とする。
俯いていた顔を上げると男と目があった。
「知らなかったみてぇだな。あの別嬪な神官もお前のおやじの食い物だとよ。売るとしても俺らにゃ売らねぇだろうな」
心の中にあった唯一の功が崩れていく。
蒼子と鳳珠を救うことができれば、自分のしたことにも意味があったのだと思えた。
自分の犯してきた罪が一つ、二人を救うことで消せたような気がしたと同時に、自と姉を犠牲にして親子を助けた英雄のようになれた気さえした。
だけど、結局は全てが無意味だった。
蒼子はまだ幼い。
一人で町からでることは難しいだろう。
町から出れないのなら、誰かに掴まってしまうのがおちだ。
姉は罰を受け、蒼子と鳳珠は捕まり、自分は売り飛ばされる。
あまりにも自分がしたことが愚かで、滑稽だと思えた。
あぁ、なんでこんな目に遭わなければならないのか。
そんなに多くを望んだわけじゃない。
白陽は早いうちから父を父とは思えなかった。
父親と呼ぶなら叔父が良かった。
大好きな姉と叔父の三人で静かに暮らしたい。
ここじゃない、遠くの町で一緒に。貧しくても良いから三人で。
叔父は父や町の大人達とは仲が悪く、浮いた存在だった。
官吏として王都にいくという体で町から出て行った。
次に帰ってきたら自分と姉も一緒に行きたいと頼んでみよう。
きっと、叔父なら喜んでくれる。
だけど、叔父は王都に行ったきり帰って来なかった。
きっと見捨てられたのだ。
けれども諦めきることもできずにいた。
だが、それももう終わりだ。
自分の足元から重たくて黒いものが這い上がってくるような感覚を覚えた。
黒く渦巻く負の感情が胸の中を埋め尽くそうとする。
姉とも叔父とも会えないまま、自分はこの町からいなくなる。
そう思うと深い絶望が押し寄せて来る。
左腕がチリチリと痛みだす。
姉と同じように刻んだ鱗模様は左腕の内側を埋め尽くすほどに広がった。
その場所に痛みが走る。
何だかその場所を抓られているような、鱗を剥そうとしているかのような感覚を覚えた。
この痛みが全て呪いに変わればいいのに。
白陽が本気でそう思った時、馬車が急停止した。
ガタンと急停止の反動で荷物が大きく揺れて音を立てる。
「おい、何だよ。急に止まりやがって」
「何だか、外が騒がしいぞ」
耳を澄ませば、外から言い争うような声が聞えてくる。
馬車は走り始めてしばらく経ち、もうそろそろ町の外に出る頃だ。
一体、外で何が起きているのだろうか。
そう思っていると馬車の扉が前触れもなく開け放たれ、売人の男達は唖然とする。
扉を開け放ったのは中年の男だ。
背が高く、仕立ての良い服を着ていた。
「おい! 何なんだ、てめぇ!」
売人の一人が怒鳴り声を上げる。
しかし、現れた男は平然として言う。
「荷を改めさせてもらおう」
そして男の手下のような者達が乗っていた売人二人を引き摺り降ろした。
「おい、離せ!」
「何するんだ、てめぇ‼ 何者だ⁉」
御者は既に取り押さえられていて、白燕と共に馬車の中にいた男達も拘束される。
荒々しい声で売人達は怒鳴り散らすが、男達は慣れているのか手際よく縄をかけ、並べて膝を着かせた。
「何者かと問われれば『帝の遣い』とでも言っておこうか」
身なりの良い男が言う。
帝の遣いというなら、それは役人であるのだろう。
どうりで身なりも雰囲気も洗礼されているわけだ。決して派手ではないが、際立って見える色や良質な衣を使った服は町の男達とは全然違って見えた。
役人の男の視線が白陽に向けられる。
「少年、怪我はないか? 怖かっただろう」
そう言って役人は腰にある剣で白陽の手足の縄を切り、口を塞いでいた布を外してくれた。
そして役人に馬車を降りるように促され、下車するとその光景に目を見張る。
馬車の外は大勢の男達に取り囲まれていて、動けなくなっていた。
一体、これはどういうことなんだろう……。
白陽が戸惑っているとすっと目の前が掃けた。
大勢の男達が動いて人が通れるくらいの道ができると、そこを歩いてくる男がいる。
黒い髪の端正な顔立ちの青年だ。
涼し気な目元、感情の読めない表情から近寄りがたい雰囲気を纏っている。
「君が呂白陽だな?」
自分の名前が口から飛び出し、白陽はドキッとする。
「ど、どうして……名前を…………」
知っているのか、と訊ねようとしたが、驚きと恐怖で言葉が続かない。
役人がどうして自分の名前を知っていて、自分に何の用があるというのだろう。
「間に合って良かった。一緒に来なさい」
淡々と言う青年に白陽を助け出した男が大きな溜息をつく。
「尚書、今しがた攫われて怖い思いをした少年に何の説明もなく『一緒に来い』は如何なものかと」
言葉が足りません、と青年を窘める。
「詳しいことは私から説明しましょう。安心して下さい。我々は神女様に頼まれてあなたを助けに来たのです」
その言葉に白陽は首を傾げた。
「神女……様……ですか?」
町に来たのは神官である鳳珠一人のはずだ。
何かの間違いじゃないだろうか。
勅命で町に滞在しているの大人は鳳珠、椋、柊、柘榴の四人。
鳳珠は麗しい顔立ちの美人で女性に見間違えるかもしれないが、男性であるし、他三人は見間違えようのない立派な男性だ。
女性といえば、鳳珠の娘である蒼子しかいない。
まさか、彼女が神女だとでもいうのだろうか。
白陽の中で『まさか』という思いが強くなる。
「えぇ、そうです。我が緋凰国宮廷三神女の一人である硝蒼子様であります」
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