第80話 勢揃い

「少々問題が起きましたために到着が遅れてしまいました。申し訳ありません」


「良い。旅に少々の問題はつきものだ」


 鳳珠は呂鴈に言う。

 そして呂鴈は弟に視線を向けた。


「久しぶりだな、鄭」


 呂家当主である呂鴈は厳しい声音で弟に言った。

 久しぶりの兄弟の再会ではあるが、そこに喜びは感じられない。


「あ、兄上……どうやって……ここへ…………」


 そしてただ兄が帰省しただけだというのに、弟は困惑している。

 

「今回は無事に帰って来れた。こちらにおられる皇子のおかげだ」


 そう言って呂鴈は再び鳳珠に向かって頭を下げる。

 呂鄭は驚愕の表情を浮かべたまま凍りつく。


「お……皇子だと? な、何を馬鹿なことを言っているのです? そんな訳ないでしょう」


 呂鄭は震える脚でじりじりと後退する。

 口では否定しながらも頭の中では『そうかもしれない』と思っていることが行動に出ていた。


 呂鄭と手下の男達は鳳珠に注目する。


「如何にも。私は緋凰国第三皇子緋鳳珠。改めてよろしく頼むぞ、呂鄭」


 口元に薄っすらと笑みを浮かべた鳳珠を見て、呂鄭と手下の男達は顔を青くした。

 普段であれば相手をのぼせさせる極上の笑みが今日ばかりは血の気を奪った。


「そ……そんな……! そんな馬鹿なはずはない!」


 未だに信じられない呂鄭が声を上げる。

 すると呂鴈が眉を吊り上げ、鋭い眼光で呂鄭を睨みつけた。


「馬鹿なのはどちらだ! 勅命でこの町に来て下さった皇子に、お前は一体何をしたか分かっているのか⁉」


 憤た呂鴈の野太い声が周囲にこだまする。

 すると、その場所にさらに人影が増えた。


「これはこれは。温厚な礼部尚書の怒鳴り声は初めて聞きましたな」


 そこに現われたのは工部侍郎、恭馬亮である。

 優し気な面差しと口元には柔らかい笑みを浮かべているが、中々に喰えない男である。


「工部侍郎……遠路はるばる来ていただいたというのに、到着早々見苦しいところをお見せして申し訳ない」

「お気になさらず。それだけ、尚書が必死だということですから、こちらも気合が入るというものです」


 その言葉の意味を理解できない呂鄭はどうして皇子と高官がこのような場所にいるのかと混乱している。


「お前達、話は後にしろ。私の娘が攫われた。そちらが最優先事項だ」


 真剣な声音で言う鳳珠に二人は気を引き締めつつも首を傾げる。


「皇子、いつの間に娘子が?」

「蒼子様のことですわ、馬亮様」


 馬亮の問いに答えたのは柘榴である。


「誰が誰の娘だと?」


 そこにもう一人、冷気を纏った青年が現れる。

 艶やかな漆黒の髪を首の後ろで結び、前側に流した端正な顔立ちの青年だ。


「私は皇族に養子縁組を申し出た覚えはない」


 冷たい声がその場に響く。

 

「工部尚書、物の例えだ。そう怖い顔をするな」


 鳳珠は余裕のある笑みを浮かべる一方で内心は焦っていた。

 この男、硝莉玖工部尚書こそが本物の蒼子の父親である。


 顔立ちから纏う雰囲気まで何から何までそっくりな父娘である。


「何故……一体何だというんだ……くそっ!」


 呂鄭はくるりと踵を返し、一人で駆けだした。


「待て! 鄭!」


 何せ突然、皇子に高官が何人も現れたのだから無理もない。

 兄の制止の声を無視して弟はこの場から逃げようと邸の方に向かって走る。


「無駄なことを」


 憐みの視線を注ぎながら呟いたのは莉玖だ。

 すると呂鄭の進行方向に水の柱が現れた。


「ひ、な……何だ⁉」


 呂鄭は悲鳴に似た声で空に向かって伸びる水柱を見上げた。

 そしてその水の柱は呂鄭の目の前で形を崩し、波となって呂鄭を鳳珠達の元まで連れ戻したのである。


「ごほっ、ごほっ」


 水浸しになった呂鄭は咳き込みながら、立ち上がろうとするが、身体に力がはいらないのかガクガク震えている。


「今のはそなたか?」


 鳳珠は莉玖に問うが無言で首を横に振る。

 ということはだ。


 鳳珠は辺りを見渡し、暗闇の中にいるはずの小さな影を探した。

 そしてシャラン、シャランと美しい鈴の音のような音が鳳珠達に向かって近づいて来る。


 月にかかった雲が切れ、降り注ぐ月光の下に現われたのは小さくも美しい幼子だ。


「逃げられると思うなよ、呂鄭」


 この場にいる誰よりも冷酷な目で呂鄭を射殺さんばかりに見つめたのは蒼子であった。

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