第78話 手錠と偽神官

「武器を捨て、我が前にひれ伏せ」


 鳳珠の声が辺り一面に響き渡る。

 すると、胸を圧迫されるような息苦しさと焦を覚え、身体が自分のものではないかのように勝手に動き出そうとする。


 実際に身体が動いた。

 椋はその場に何とか踏みとどまろうと努める。

 頭をガンガンと揺さぶられるような感覚に頭痛と吐き気を催し、意識すらも失いそうになる。


「椋様!」


 ふらつく椋の身体をとっさに百合が支える。

 そのおかげで椋は何とか倒れ込まずにすんだ。


「よく耐えたな。流石、私の従者だ」


 鳳珠はポンと椋の肩を叩く。

 そして鳳珠はと百合よりも更に前へと踏み出し、辺りを一瞥した。


「椋様、大丈夫ですか⁉」

「あぁ……すまない」


 百合が心配そうな表情で椋を見るが、椋は百合に自分と同じ症状がでないことに安堵した。


 これが、鳳珠様の王印の力…………。

 

 以前、鳳珠の特訓に付き合った時とはまるで様子が違うことに椋は驚く。

 自分が持つ僅かな神力で放った攻撃すらも無効化できずに、吹き飛んだとは思えないほど強力な強制力が働いた。


 そして視線を上げれば、辺り一面に男達が倒れ込んでいる。

 ある者は失神し、ある者は泡を吹いている。

 何が起こったのか分からず、唖然として立ち尽くす者もいた。


 柘榴もこの状況に相当驚いている様子で、言葉を発せずに目を丸くしていた。


「あの、これは一体…………」


 百合は驚いた表情で椋に訊ねる。

 しかし、それを説明するのは椋の役目ではないので無言を貫いた。


 神力を持つ者に対してのみ作用する鳳珠の王印の力は神力の弱い者ほど強烈に作用する。

 椋は微弱ではあるが神力を持つ。

 力の弱い椋にとって今しがた放たれた鳳珠の力は寿命が縮むほど強烈なものだった。


 百合や全く神力を持たない者は何が起きたのかさっぱり理解できていないだろう。


「き……貴様……一体、何をした…………⁉」


 呂鄭は息も絶え絶えに胸を押さえ、何とか身体を起こして鳳珠を睨みつけた。

 今の一撃でも相当苦しそうなところを見ると、呂鄭も大した神力は持っていないのだろう。


「手錠をしていて、何故……術が使える……⁉」


 鳳珠の手には未だに緋同石の手錠が嵌められたままだ。

 呂鄭は神力を抑え込む手錠を身に着けたまま、強力な術を使った鳳珠に驚きを隠せない。


 呂鄭はまだ鳳珠が神官だと思い込んでいるのだから当然ではあるが。


 鳳珠は胸元を苦し気に押さえながら背中を丸める呂鄭を見下ろしながら口元に不敵な笑みを浮かべる。


「教えてやってもいいが、先ずはこの手錠を外してもらおうか」

「ふん、誰が外すものか――――――」



 鳳珠が言うと呂鄭は言葉では反抗するが、身体がぎこちなく服の袂を探り出す。


「な、何故……身体が、か……勝手に……!!」


 驚愕から恐怖の表情へと変わる。

 そして袂から出てきたのは小さく、細い鍵だった。

 失くさないように丁寧に紐が結わえてある。


「あぁ、助かる」


 にっこりと極上の笑みを浮かべて鳳珠は差し出された鍵を受け取った。


「鳳様、私がやりますわ」

「頼む」


 柘榴は鳳珠から鍵を受け取り、手錠を外した。


「この手錠と鍵はお預かりしますね」


 柘榴はそう言って外した手錠と鍵を受け取り、懐に入れた。

 

 鳳珠は解放された手首を擦りながら、呂鄭に向き合う。

 

「さて、話をしようかと思ったが、私は娘を探さねばならん。どこにいるか知らないか?」


「調子に乗るなよ。おい、お前達!」


 呂鄭が動ける男達に合図をする。

 しかし、誰もが凍りついたかのように動かない。


「おい! 貴様ら、私の命令がきけないのか⁉」


 形勢は逆転した。

 既に呂鄭の手下達はほとんどが地面に倒れ込み、動かない。

 他の者達は化物を見るような目で鳳珠を見つめ、その目には先ほどまであったはずの覇気がない。


 ほとんどのものがこの場の支配者が鳳珠であると本能的に理解していた。


「くっ! この役立たず共めが!! 動け!!」


 呂鄭は怒鳴りながら一番近くに立っていた男の胸倉を掴んだ。

 

「あの男を捕まえろ! 貴様、随分と一人息子を可愛がっていたな。確か今年で七つだったな。可愛い盛りだな。この歳の頃が変態に一番いい値で売れるんだ」


 呂鄭の脅迫めいた言葉に男は顔色を失う。


「妻のことも誰にも貸さずに大事にしているそうじゃないか。大した女でもなかったはずだが、独り占めしたいほどいい身体をしてるなら一度試してみたいものだな」


 男はその言葉に身体を震わせる。

 震える手に力を込めて何とか武器を手に、ぎこちなく鳳珠の方を向いた。


「貴様、本当に外道だな。やり方が悪質過ぎる」


 鳳珠が軽蔑と嫌悪の眼差しを呂鄭に向けて言った。

 

 きっと、こうして人の弱みを握り、人々を支配し、洗脳してきたのだろう。

 

「さっさとやれ!」


 呂鄭は男に発破をかけるが、男は鳳珠に武器を向けることに躊躇している。


「家族がどうなってもいいのか⁉」


 男の肩がビクッと跳ねた。

 その脅迫は男にとって何よりも効果があるものだったようで、男は奥歯を噛み締めて武器を握り、鳳珠の前に駆け出て武器を大きく振り上げた時だ。


「岳!! やめなさい!!!」


 男の野太い大声が辺りに響き渡る。

 あまり聞き馴染みのない声で、それもかなり野太い声だったので鳳珠は呆気に取られた。


 岳と呼ばれた武器を振り上げた男も驚いて武器を地面に落としてしまう。

 騒然とする場所へ一人の男が歩み寄って来た。


 背は男としては低く、小太りで歩き方も優雅とは言い難い。

 容姿はこの場にいるとかなり目立つ。

 鳳珠をはじめ、呂鄭や椋、他の呂家一族も顔立ちが整っている者が多く、その中ではかなり見劣りせざるをえない。


 鳳珠に武器を向けた男は大きく目を見開き、膝から崩れ落ちる。


 野太い声の男はズカズカと鳳珠の前まで来ると跪いて深々と頭を下げて言った。


「どうか、この者をお許し下さい。罰であれば私が代わりに受けます故に」


 その切実な声に岳は見開いた目から涙を零す。


「…………当主さ…………ま、……当主様」


 岳は感極まったように真っすぐ野太い声の男に向かって言った。


「そなたに免じてその男が今私にしようとした件については不問にしよう」


 鳳珠が言うと『ありがとうございます』と更に深くひれ伏した。


「顔を上げよ。随分と遅かったではないか。呂鴈」


 鳳珠の前にひれ伏した男はゆっくりと顔を上げる。

 その男は呂鴈。礼部尚書にして呂一族の当主である。

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