第77話 脱出
「百合⁉」
外套を脱いで安堵の表情を浮かべる女性を前に椋は驚きの声を上げる。
「はい。椋様」
目を潤ませて百合は鉄格子越しに椋と向かい合う。
一体、何をしに来たのかという疑問はすぐに解消された。
ガチャガチャと金属音が聞こえ、牢屋が開いた。
「逃げましょう。急いで下さい」
百合はそう言って小さな刃物で椋の縄を一番最初に切った。
そして柘榴の縄を切る。
「すみません、神官様の手錠の鍵だけはどうしても手に入れることができなくて……」
百合は申し訳なさそうに言う。
縄を解いてもらっただけでありがたい。
それに鳳珠にとってこの手錠は大した意味がない。
緋同石は比較的脆いので壊す方法はいくつかある。
「どうして君が? それに鍵はどうやって……」
「今日は私が旦那様の身の回りのお世話をする当番なのです。入浴されている間に服から手錠の鍵を……今は食事をなさってます。ですから今のうちに!」
椋の問いに百合は早口で答えた。
四人はなるべく物音を立てないように地上へ向かう階段を上り、地上へと出た。
そこには誰もおらず、離れた所に母屋の灯りが見える。
「今のうちにここからお逃げ下さい」
「だが、もし呂鄭にこのことがバレてしまえば…………」
きっとただでは済まないはずだ。
あの男のことだから、酷い目に遭うのは目に見えている。
椋は険しい表情で百合に言う。
すると百合は顔上げて悲し気に笑った。
「私、売られることが決まっているのです」
「売られる?」
「はい。三日後にはこの町を出て二十日後には海の向こう、異国へと送られます」
「あの男は……!!」
椋は険しい顔のまま、この場にいない呂鄭に憤りをぶつける。
この国では人身売買は違法だ。
昔は合法的に行われていたが時代が変化し、人権を著しく脅かす行為だとして禁止された。
厳しい罰則のため、表立って行う輩は減っているが依然として残っているのも事実である。
「蒼子を人買いに売ろうとしていた時からまさかと思っていたが、国外にまで手広く行っていたとはな」
鳳珠も厳めしい表情で言う。
「今まで何度も国外へ送られる『花』達を見てきました。いつか私もそうなる、ここにいても、どこにいっても私達はただの道具。私達は自分の意志を持つことを許されない。道具に意志は必要ありませんから」
百合は俯いて淡々と語る。
「この町に女として生まれた瞬間から始まった地獄は死ぬまで続く、そう思っていました。男の人達は私達を道具としか思わない。人間として扱ってくれない、そう思っていたんです。あなたに会うまでは」
百合はそう言ってゆっくりと顔を持ち上げた。
そして潤んだ瞳で真っすぐに椋を見つめる。
その手にはこの前、椋が百合に渡した小さな鏡がある。
「『何か抱えているのであれば、頼って欲しい』そう言って下さって本当はとても嬉しかったのです。何の見返りも求められることなく、優しくしてくれた殿方は椋様が初めてでした。椋様にとってはなんてことない言葉だったかもしれませんが、私にとっては宝石を貰うよりもずっとずっと嬉しい言葉でした」
百合は大事そうに鏡を握り、嬉しそうに言った。
それを見て椋は胸が痛んだ。
椋はより効率よく、多くの情報を得るために百合に優しく接したに過ぎない。
本当に『なんてことない』言葉しかかけていない。
それなのに、百合はその程度の優しさですらも初めての経験だと、嬉しそうに語り、心底大切なのだと言わんばかりに椋が渡した鏡を握り締めている。
百合が置かれていた境遇、歩んできた人生が普通の娘達とは大きくかけ離れていることを椋は痛切に知ることになった。
「私に優しくして下さってありがとうございます」
百合は涙ぐみながらも幸せそうな笑顔で言った。
その笑顔が椋の胸をこれでもかというほど締め付ける。
「さぁ、行って下さい。急がないと――――――」
「急がないとどうなるのか、ちゃんと分かっているようだな」
百合が言い終える前に聞き知った男の声が耳に触れた。
急に視界が明るくなったと思えば、複数の松明が掲げられ、取り囲まれていることに気付く。
「おかしいな、百合。道具は勝手に動かないはずだが、矯正が必要だな」
暗闇の中から現れたのは呂鄭だった。
呂鄭を見とめた百合は怯えた表情を見せる。
しかし、呂鄭から椋達を遮るように立ちはだかった。
「みなさん、お逃げ下さい」
腕を大きく広げて呂鄭達を阻む。
その腕も身体もガタガタと震えていて、決死の覚悟で椋達を助けようとしているのがありありと伝わってくる。
「おかしいな、百合。いつからそんな大胆な真似ができるようになったんだ?」
呂鄭は嘲笑いながら問う。
「お前の引き渡しまで三日もある。その間にこの人数で輪姦せば、行った先で所有者に逆らうこともないだろう」
その言葉に背中から嫌悪感が沸き起こる。
男達の視線が百合に集まり、百合は恐怖で先ほど以上に震えが大きくなる。
「捕らえろ」
呂鄭が顎で男達に指示すると男達が一斉に動き出す。
狙われたのは一番前に出ていて、一番か弱い百合だった。
「百合!」
椋はとっさに百合へと駆け寄り細い腕を掴んで、自分の元へと引き寄せて守るように腕の中へと閉じ込めた。
「りょ、椋様……!」
「悪いが腕っぷしに自信はない」
複数の男達に囲まれた状況での脱出は絶望的だ。
仕舞には腕の中にか弱い女性がいる。
「だが、自分を守ろうと身体を張る女性を見捨てるほど臆病でもない!」
椋は言った。
ここで百合を見捨てて逃げれば自分は一生後悔し、罪悪感で苦しめられる。
柊や鳳珠のように強くはない。
だが、諦めの悪さには自信がある。
椋は誰にも触れられないよに強く百合を抱き締めた。
そして男達の腕が二人を引き裂こうと伸びてくる。
椋はそれを見て腕に更なる力を込めた。
「よく言った! 耐えろよ! 椋!!」
その嬉々とした声で高らかに叫んだのは鳳珠だ。
視界の隅に鳳珠の姿が写り込む。
そして目を見開く。
普段は見られない、鳳珠の右目が開いていたからだ。
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