第70話 手錠

 衝撃的な言葉に鳳珠は絶句する。

 今しがた入った一報に、室内に動揺と緊張が交互に走る。


「どういうことだ?」


 鳳珠は眉を顰め、今にもここから飛び出したい衝動をぐっと堪えて知らせを持って来た呂鄭に訊ねる。


「先ほど、旧本家を何者かに襲われました。おそらく、窃盗団かと思われます。その者達が姫様と白燕を連れ去ろうと押し入ったようです」


 呂鄭は妙に落ち着いた様子で答える。


「白燕はどうした?」

「白燕は自力で逃げ出し、町の者に保護されて手当を受けております」

「窃盗団の行方は?」

「町の外に向かって行ったと…………旧本家にはほとんど人手がなく、後を追えるような状態ではなかったと………申し訳ありません! 大切な姫君をお預かりしておきながら…………」


「追跡すらもしていないということですか?」


 椋の厳しい声に呂鄭は頷く。


「どうしようもなかったそうです。旧本家にはか弱い女の使用人が数名いるだけでしたので、武器を持った窃盗団を前に成すすべはなかったのでしょう」


 呂鄭の言葉に鳳珠は大きな溜息を着き、長椅子に力なく座り直した。


「何てことだ…………勅命を受けているというのに…………」


 鳳珠は頭を抱える。

 胸が不安と焦燥感で押しつぶされそうになり、吐き気が込み上げてくる。


「神官様、呂家のことは捨て置き、姫様を追って下さいませ!」


 頭を抱えて絶望的な心境の鳳珠に呂鄭は言う。

 

「たった一人の姫様ではありませんか。父であれば子の存在は何よりも勝る宝でございます。ここで諦めては二度と会えなくなるかもしれないのです。ですが、今から追えばまだ間に合うかもしれません。呂家など捨て置き、姫様をお救い下さい」


 呂鄭は感情的に鳳珠に訴える。

 勅命よりも父親であるならば娘を助けることを優先しろという。

 呂鄭の言葉は二つの選択を迫られた状況で一方の選択を強く後押しするものだった。


「そうだな…………蒼子を失うわけにはいかない」


 鳳珠は小さく呟く。


「馬をご用意します。おい、神官様達に馬を―――」


 呂鄭が使用人に向かって声を発した時だ。


「その必要はない」


 鳳珠は自ら呂鄭の言葉を遮った。


「蒼子には柊がついている。二人を信じよう」


 蒼子は一人ではない。

 こうなるかもしれないことを考えて柊を側においたのだ。

 

 鳳珠は蒼子と己の従者、そして己の判断を信じることにした。


「そうですか―――それは残念です」


 呂鄭が小さく呟いたその時、鳳珠の腕が急に重くなる。


 ガチャンと重たい金属音を聞き届けた時には既に鳳珠の両手首に手錠がかけられていた。


 自分の両腕に掛けられた手錠に鳳珠は目を剥く。

 鳳珠以上に驚愕の表情をしたのは椋だ。


「貴様っ! 何をする⁉」


 怒りを顕わにして呂鄭に掴みかかろうとする椋だが、雪崩れ込んできた男達によって拘束されてしまう。


「くっ……!」


 椋は呻き声を上げて呂鄭を睨みつけた。


「どういうつもりだ、呂鄭」


 鳳珠は鋭い眼光を呂鄭に向ける。

 

「大人しくこの町から出て行って下さればここまでする必要はなかったんですけどねぇ」


 呂鄭は歪んだ笑みを浮かべて鳳珠を見つめる。

 

「父上! これはどういうことですか⁉」


 人混みを搔き分けて部屋へ踏み入ったのは白燕だった。

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