第69話 鳳珠の杞憂

 蒼子と別れた鳳珠は現在の本家へと馬車で移動し、通された応接間で古びた日記を眺めていた。


 呂鄭から渡された『呂家の呪い』についての記述がある日記である。

 鳳珠をここへ導いた白陽は呂鄭に呼ばれて退室してからしばらく経つがまだ戻って来る気配はない。


「目ぼしい記述はないな。そちらはどうだ?」


 日記は何冊かあり、椋と柘榴と鳳珠の三人で手分けをしてそれらしい記述を探している。

 鳳珠の問い掛けに椋と柘榴はほぼ同時に首を横に振った。


「そうか」


 鳳珠は長椅子の背もたれにもたれて溜息をつき、長い脚を落ち着きなく組み替える。


「鳳様、そんなに心配なさらずとも大丈夫ですわ」


 落ち着きのない様子の鳳珠を見て柘榴が声を掛ける。

 にっこりと笑う柘榴を見ると、そんなにも顔に出ているのかと少しだけ恥ずかしく思える。


「旅の途中ではぐれても、人の手を上手く借りて目的地に辿り着き、仕舞にはよそ様のお宅で可愛がられているような方ですよ」


「あぁ、そう言えばそうだったな」


 柘榴の言葉に鳳珠は蒼子と出会った時のことを思い出す。


 あの時、蒼子は柘榴と紅玉と共に王都を出たが旅の途中ではぐれてしまい、蒼子は一人で鳳珠の住まう町にやってきた。

 

 柘榴と紅玉が自分を追い掛けて来ることを信じ、それまでの間、鳳珠達の家に滞在させていたのだ。


 幼いがなかなかに逞しい子供である。

 しかし、あの優れた容姿を持っていて何事もなく仲間と再会できたのはほぼ奇跡と言っていい。

 世の中には女子供を捕まえて売買する輩が存在する。


 あの時は運が良かったのだ。

 次に同じことが起こってもその不確かな奇跡に期待はできない。


 まだ晴れぬ鳳珠の憂い顔を見て柘榴はおかしそうに笑う。

 鳳珠からしたらどうしてそこまで平然としていられるのかと思う。


「お忘れですか? あの方は水の神女。何の力も持たぬ幼子とは違いますのよ」


 柘榴は言う。

 その言葉には確固たる自信に満ちている。

 

「そなたは蒼子を信じているのだな」


「もちろんですわ。我が君主たるお方はとても強いのです」


 柘榴の言葉に鳳珠は嘆息する。


「そうだな。今は私の役目を果たすとしよう」


 そして、自分も蒼子を信じなければならないと強く思った。


「そうですよ。こちらが下手をしたら蒼子様に怒られます」

「そうですわね。きっと冷たい目で詰られますわ」


 蒼子を心配している場合ではない気がしてきた。

 二人の言葉がその通り過ぎる。


 こちらがやるべきことを怠ればあの冷ややかな目で『そんなに蛇に嫁ぎたいのであれば素直に言えばいい』と言われるに違いない。


 このままでは他の誰にでもない蒼子に蛇神との婚姻を結ばされてしまう。

 

 嫌な未来が脳裏を過り、鳳珠は蒼子への過度な心配を止めた。


「信じて待つのも父親の務めだ」


 可愛い子には旅をさせよという言葉もある。

 蒼子は大丈夫だと信じよう。


 信じて見守ることも時には必要だ。


「「…………………」」


 椋と柘榴はまだその設定を引き摺っていたのかと心の内で呟くが、口には出さなかった。

 

 そして太陽が沈む頃、邸の中が騒がしくなる。

 三人は目配せし合い、適当に眺めていた日記を閉じて立ち上がった。


「来たか」


 バタバタとこちらに近づいてくる足音にがして鳳珠は扉の方に視線を向ける。


「失礼致します、神官様」


 荒々しく扉は開かれた。

 慌てて入室してきたのは呂家当主代理の呂鄭である。


「何事だ」


 鳳珠は呂鄭に問う。

 邸の騒がしさから見て、何かが起きたことは明白だ。


「ひ、姫様が、姫様が人買いに攫われてしまいました!」





 

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