第68話 涙


 白燕は蒼子と柊を見止めると驚いた様子だったが、そこには少しだけ安堵も混じっている。


「何故ここに……」

「色々あってね」


 白燕は何とも言えない表情で蒼子を見つめた。

 

「無事で良かったです」


「蒼子様を売人に売り渡した方の言葉とは思えませんね」


 柊は思わず刺々しい口調で白燕に言う。

 白燕はその言葉に皮肉っぽい笑みを作るが言い返しては来なかった。


 そして蒼子と柊の前を素通りして老女の前に跪く。


「朱里様……どうか、どうか……お願いです」


 白燕は老女を朱里と呼んだ。

 そして朱里の前で床に額が着くほど頭を下げて懇願する。

 その切羽詰まった様子に柊は何事かと首を傾げながら見ていた。


「どうかお願いします! 弟を、白陽をお助け下さい!」


 悲痛な声が室内に響き渡る。


「父に白陽が羅壇の遊郭に売られてしまう! どうか、どうか助けて下さい!」 


 羅壇とはここから北にある有名な花街だ。

 中でも裏通りに並ぶ男娼を扱う店は国一番の店数があり、その手の者達には有名な場所だ。


 北に位置するので年間を通して気温が低く、冬は特に厳しい極寒の地だ。

 そのため、働かなければ飢え死にする。

 娼妓達にとっては逃げ出すことができない魔の町だ。


「そして昔のようにこの町を火の海にして下さい‼」

 

 因果応報という言葉が柊の脳裏に過る。

 しかし一体、何故そんな展開になっているのだろうか。

 

 白陽は呂家当主の一人息子のはずだ。

 それがどうして男娼として売られることになるのか。


 白燕は見て分かるぐらいガタガタと震えていて、朱里に頭を下げたまま動かない。

 朱里もいきなり頭を下げて懇願する白燕に何も言わない。


 柊は蒼子に視線を向ける。

 蒼子は無言で二人を見つめている。


「蒼子様…………」


 柊はこの状況をどうにかできるかもしれない唯一の人物の名を呼ぶ。


「この町では子供達はみな、大人達の道具」


 蒼子の言葉に朱里と白燕の肩がビクッと跳ねた。


 そして、蒼子が朱里と白燕の側に歩み寄る。

 蒼子が近づいた気配に白燕はゆっくりと顔を上げた。


「だからあの時、言ったはず。困っていることがあるのではないか、と。怖ければ頼ればいい、願いを口にしろと。あなたはその意味に気付いていたはず」


 何かを察した白燕の見開いた大きな鳶色の瞳が潤み、ボロボロと雫が零れる。

 

「………………あなたが、本物の神女様だったのですね…………」


 白燕は大きく脱力する。

 そこには深い後悔と罪の意識が見える。


「うっ……神女様……まだ、間に合いますか……? っう……罪深く、汚れた私の言葉も聞いて下さいますでしょうか………?」


 嗚咽を飲み込みながら声を震わせて白燕は蒼子に向かって頭を下げる。

 

「顔を上げなさい」


 蒼子の鈴のような美しい声が響く。

 白燕は恐る恐る顔を上げた。

 先ほどの朱里と全く同様の悲壮感溢れる顔だった。


 そこで柊は完全に理解した。

 この町で行われていることも、朱里や白燕の境遇も。

 脳裏に蕗紀の顔が浮かんだ。


 あの日、出会った蕗紀という娘も今の白燕と同じ顔をしていた。


 それを思うと、柊の胸が締め付けられるように苦しくなる。


 蒼子は顔を上げて跪く白燕の顔に手を伸ばし、小さな指でそっと涙を払う。


「まだ間に合う。全て話しなさい」


 蒼子は真っすぐ白燕の瞳を見つめて言った。。

 その黒い瞳には激しい怒りの炎が揺らめいていた。


 

 

 

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