第67話 老女の悲劇
「私は硝蒼子。突然、押しかけたことをお詫びする」
蒼子は目の前の老女に向かって言う。
老女はただただ、この状況に驚いた様子で声を発することが出来ずにいる。
しかし、先ほどのような怒りや憎悪は鳴りを潜め、しっかりと焦点を結んでいることから会話は可能だと思われた。
「………………私は、私は…………あ、あぁ…………」
老女は呻きながら蹲り、枯れ枝のようになった手で拳を作り、床に打ち付ける。
「うぅ……うっ、うあぁぁぁ…………」
その声は涙に滲み、先ほどの激しい怒りよりも後悔の念を強く感じた。
「顔を上げて欲しい。あなたの名前と、あなたの話を聞きたい」
蒼子は落ち着いた声で老女に問い掛ける。
「話して何になる……。もう、私の大事なものも、時間も、何も戻らない……」
とてつもない悲壮感を漂わせて老女は言う。
話しても無駄だと言うが、その言葉には悔しさが溢れていて、やり場のない感情を老女が抱えていることが窺えた。
ぼろぼろと大粒の涙が窪んだ眼下に向かって落ちていく。
苦痛と悔しさと悲しみを凝縮し、枯れ枝のような身体から身体中の水分を搔き集めたかのような涙だ。
今にも干からびてしまいそうな身体からこんなにも涙を流しては死んでしまうのではないかと柊は思った。
それぐらい、目の前の老女は悲惨な状態だった。
「確かに、あなたの大切にしていたものも、時間も取り返すことはできないかもしれない。だけど、あなたが抱えている無念を払うことはできるかもしれない」
蒼子の凛とした声が室内に響く。
老女はゆっくりと顔を上げて蒼子を見つめた。
そして乾いた唇をわなわなと震わせる。
「許せない……あの男達……! 私がいない間に私の大切なあの子を売り渡し、王都から帰った私を緋同石で繋ぎ、子を孕ませるために次々と男を宛がった……!苦痛と屈辱をこれでもかというほど味わった! だから! 何もかも燃やしてやった! この力で全てを燃やし、焼き払い、蛇神の呪いの一部になろうと滝に身を投げたというのに……私は…………まだ、生きていた…………」
老女は頭を抱えて蹲り、悲痛な胸の内を叫ぶように言葉にする。
柊の背中に凄まじい速度で嫌悪感が這い上がり、吐き気を覚えた。
胸の中が無遠慮に掻き回されたような気がして気分が悪くなる。
「私は……知らなかった…………。神力を持って生まれ、蝶よ花よと育てられて神殿へと召し上げられた私は他の娘達とは違うのだと……。だから、気付きもしなかった。だが、結局は私も他の娘達と同じ。ただの道具だった…………」
そう言って老女は脱力し、呻き声を漏らして涙する。
「神殿……あなたも神女だったのですか?」
柊の問いに老女は小さく頷く。
先ほどの火の神術を見れば火の神女であることが分かる。
神女として召し上げられた娘は任期を終えるまでは特別な許可がなければ帰省はできない。
任期を終えた後、結婚や出産をする。年齢の問題もあり、任期が長引けば結婚しない者も多いと聞く。
この女性は出産をした後に神殿へ上がったのだろうか。
「神官神女の人数はその年、時代によって大きく異なる。今から四十年ほど前に調度火の神官神女が不足していた時代がある。任期を終えて一度は退官した神官神女を再び起用することも珍しくはない。彼女は神殿に召し上げられ、任期を終えたものの、出産を終えて再び神殿へと戻ったのだろう」
柊の疑問を察した蒼子が説明する。
そして自分が家を空けているうちに悲劇が起こった。
老女は多くを語ったわけではないのに、今の言葉からこの女性の人生で何が起こったのかをあらかた想像できてしまった。
あまりにも非道な行いだ。
「酷いことを…………」
柊は自然と苦し気な声を零す。
同情などというおこがましい言葉は使えない。
この女性が歩んできた人生はそんな言葉では言い表せないほど苦しく、辛いものだったはずだ。
だが、一つ言えることは……。
「許されることではありません」
柊の中で沸々と怒りが込み上げてくる。
その時、ガタンっと背後で物音がした。
「誰だ⁉」
柊が背後を振り返るとそこにいたのは長い白銀の髪を振り乱し、大きく肩を上下させて息を切らせた娘だ。
蒼子と柊を人買いに売り渡した白燕だった。
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