第62話 攫われた蒼子

「姫様、移動の前にこちらをどうぞ」


 鳳珠の背中を見送り、移動しようとした蒼子に白燕は言った。

 白燕から手渡さたのは小さな巾着だった。


 小さな手で巾着を持ってみると布越しにゴツゴツとした触感がある。


「これは何?」

「ふふ、開けてみて下さい」


 開けてみると、そこには小さな飴玉がいくつも入っている。

 一つ一つに模様があり、とても綺麗だ。


「もらっても良いのですか?」


 蒼子が小さな頭を傾げると白燕は微笑んで『勿論です』と答えた。


「お腹が空いたら食べて下さいね」

「ありがとう」


 蒼子はそう言って小さな巾着に入った飴玉を懐に仕舞う。


「では参りましょうか。こちらです」


 白燕はそう言って歩き出す。

 長い廊下を歩き、通された部屋は旧本家の玄関から近い広間だった。

 部屋の大きな窓から鳳珠が馬車に乗る姿が見える。

 付き添っているのは椋と柘榴だ。

 柊は邸に残り、蒼子に付き添うことになっている。


「失礼致します」


 柊の声が部屋の外から聞こえてきた。

 白燕が扉を開けると、いつも通り穏やかな表情をした柊が立っている。


「同席してもよろしいでしょうか?」

「もちろんです」


 柔和な笑みを浮かべる柊に白燕は快く答えた。


 柊は極力邪魔にならないようにと、壁に近い場所で控える。


「凄く綺麗」


 蒼子は目の前に広げられた服に目を輝かせた。

 鮮やかな色合いの生地に蝶や花、毬などの刺繍が施されており、この国の服ではないことはすぐに分かった。


「東の島国からの交易品だそうです。この国ではあまり出回らない珍しい品ですが、父の知り合いの商人が下さったものです」


 白燕は服を広げて説明してくれる。


「これは帯?」


「そうです。この国のものよりも太いですが、帯事態に模様や刺繍があって綺麗ですね」


 蒼子は深く頷く。


 この国にはない珍しい服に興奮し、蒼子は釘付けになる。

 沢山の服の中で葡萄色の生地に毬の刺繍が入ったものが蒼子の目に留まる。

 裾から膝下にかけては白く、大小様々な大きさの可愛らしい毬が布の上で跳ねている。


「お姉様はこれが似合いそうです」


 蒼子が指さした葡萄色の服を見て白燕は驚く。


「こちらですか?」


 白銀色の髪と鳶色の瞳が印象的な白燕は儚く朧げな雪柳の花のような印象だ。

 白や淡い色味ももちろん似合う。だが、この葡萄色の服はもっと白燕の良さを引き出せる。


「絶対に似合う。着てみて」


 蒼子が強い口調で言うと白燕は戸惑いながら服を手にする。


「帯も、選んで下さいますか?」

 

「帯は……これがいい。絶対似合う」


 蒼子は埋もれていた乳白色の帯を引っ張り出す。

 派手な装飾はないが、生地自体に艶があり、上品な作りだ。


「では、着てみますね」


「蒼子様、私は外で控えておりますので、何かありましたらお呼び下さい」

「分かった」


 白燕と蒼子の会話に自分は邪魔だと気を使った柊は自主的に部屋を出た。


 用意されていた衝立の向こうで白燕は手早く着替えを済ます。

 異国の服ではあるが、手慣れているようで、時間はさほどかからなかった。


「どうでしょうか?」


 衝立の向こうから現れた白燕を見た瞬間、蒼子は自分を褒めたくなった。


「よく似合う。鏡を見て」


 蒼子は広げられた服の側に立てられた移動式の姿見の前に白燕を押し出す。

 鏡に映った自分を見た瞬間、白燕が息を飲むのが分かった。


「どう? 素敵でしょう?」


 蒼子は自信たっぷりに言う。

 

「…………自分でも驚いてます」


 白燕は鏡に映る自分に釘付けになっている。

 

「いつも白っぽい、同じような服ばかり着ていたので……本当はこういう色も着てみたかったんですけど、自分には似合わない気がして…………」


 白燕はそう言ってまじまじと自分が纏う葡萄色の服を見つめた。

 

「よく似合う。あなたは自分が思っているよりもずっと色んな色が似合う。なりたい自分になっていい」


 蒼子がそう言うと白燕は蒼子の方を振り返る。


「覚えておいて。あなたは選べる。怖ければ頼ればいい。今、私に帯を選んで欲しいと言ったように、あなたの願いを口にすればいい」


 白燕の鳶色の瞳を真っすぐ見つめて、蒼子は言う。

 蒼子の言葉が二人だけの空間に静かに響く。


 白燕の瞳が一瞬、大きく揺らいだ時だ。


 ガタガタンと物音が聞こえ、部屋の外が騒がしくなる。


「何ですか、あなた方は!」


 部屋の外から柊の声が聞えたと思った瞬間、部屋の扉が乱暴に破られた。

 そしてぞろぞろと厳つい男達が雪崩れ込んでくる。


「柊さん!」


 蒼子は男達に羽交い絞めにされて、身動きを封じられた柊に向かって叫ぶ。


「蒼子様! お逃げ下さい!」


 柊は羽交い絞めにされた状態で蒼子に向かって叫ぶが、蒼子と白燕はあっと言う間に男達に取り囲まれてしまう。


 柊が人質になっている以上、蒼子は下手に身動きができない。

 そして白燕もいるのだ。

 男を苦手としている白燕には特にこの状況は恐怖だろう。


「目的は何だ?」


 蒼子は白燕を背にした状態で正面に立つ男達に問い掛ける。

 

「目的はあなたです。姫様」


 問いの答えはすぐ耳元で聞こえてきた。

 

「蒼子様‼」


 柊が緊迫感のある声で叫ぶと同時に蒼子は背後を振り返ろうとするが、視界に白い鰭のようなものが揺らめき、視界から消えた瞬間に口を覆われる。


 蒼子は咄嗟に抵抗するが、小さな身体ではどうしようもできない。


「ふぐっ……」


 蒼子は布を噛ませられ、言葉を発することが出来なくなる。

 そして、バタっと何かが倒れる音がした。


 柊さん!


 音のした方を見ると、柊が倒れている。

 男達は倒れた柊の口に布を噛ませて頭の後ろで縛り上げた。


「あなたを欲しいと仰る御仁がいます。どうか、その方の元で幸せにお過ごし下さい」


 仄暗い声で白燕は言った。

 蒼子は苦し気な表情の白燕を視界に捕えた。


 泣き出しそうな、罪悪感で押し潰されてしまいそうな苦渋に満ちた顔だ。


 自分が蒼子拐かそうとしておきながら、そんな顔をするとは。

 行動と感情が伴っていないなと、蒼子は思った。


 蒼子はガサっと上から麻袋を被せられ、視界を遮られた。


「手荒くしないで。大事な商品です。それから、その人はこの子のお世話に必要ですから、生かしておいて下さい」


 白燕が男達に向かって言う。

 それから白燕と男達は何かを話していた身体が宙に浮き、振動を感じ始めると白燕の声は次第に遠ざかっていく。


 柊さんは大丈夫かしら。

 それに、白燕のことも。


 今にも泣き出しそうな白燕の顔が脳裏に蘇る。


 これからどこに連れて行かれるのかという疑問よりも、白燕の方が蒼子は気掛かりだった。

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