第60話 鬼灯
鳳珠は蒼子と共に邸の庭を歩いていた。
旧本家というだけあって敷地はかなり広く、気分転換の散歩には調度良い。
普段は家人がいないため、庭は荒れていると白燕が言っていたが、そこまで荒れているようには見えなかった。
植木も手入れがされていて、景観を損ねるような目立つ雑草は取り除かれている。
庭の隅に見えた朱色の膨らみに蒼子は立ち止まった。
いきなり立ち止まったので鳳珠は蒼子の小さな頭のつむじを眺めつつ、蒼子の視線の先を追った。
蒼子の視線の先には朱色の膨らみを付けた植物がある。
「鬼灯だな。食うなよ。腹を壊すぞ」
じっと鬼灯を見つめる蒼子に隣を歩く鳳珠は言う。
そして屈み込み、蒼子と同じ目線から実を着けた鬼灯を眺める。
「たくさんあるな」
驚いたように鳳珠は言った。
庭の隅で家屋の影になる場所にひっそりと、だがそれなりの数の鬼灯が実っていた。
「鬼灯は堕胎薬として用いられる。花街で遊女や妓女の多くはこれを使った薬を飲む。誤解されがちだが、毒性があるのは実ではなく根に近い茎の部分だ」
蒼子は鬼灯を見つながら、小さな指でちょんっと弾く。
「そうなのか? というか、お前……堕胎薬なんて言葉をどこで覚えてきたんだ?」
蒼子が説明すると鳳珠は目を丸くした後に、怪訝そうな声で言う。
本当に蒼子の教育係はどこのどいつだ?
子供に毒だの、堕胎だの、まだ必要のない知識ではないか。
外に出れない蒼子にはもっと楽しく、知的好奇心を掻き立てられるようなことを教えてもらいたい。
蒼子は十分知的であるが、知識量か、持てる知識のせいか、子供らしくなさすぎる。
子供には子供時代しか楽しめないことが沢山あるのだから、無理矢理大人の知識を教える必要なないと鳳珠は思っている。
大人になれば子供時代よりも多くの苦悩や問題と対峙しなければならない。
子供時代にしかない楽しみを素通りして大人になると、一生楽しいことがない人生だったと後に後悔しかねない。
それか大人になって反動がくるか、どちらかだ。
鳳珠はどちらかと言えば、後者である。
だから今しかない子供時代を存分に楽しんで少しずつ成長して欲しいと鳳珠はこの世の全ての子供達に願っている。
「頼むから子供らしくあってくれ」
「何度もいうけど、私は子供じゃない」
背伸びをしたい子供は総じてそう言うのだ。
今だって未知の物体に遭遇した好奇心丸出しの子供のように鬼灯を指で突っついている。
鬼灯はおそらく、神殿にはない。
きっと蒼子にとって珍しいものなのだろう。
鳳珠は溜息をついた。
「私は子供じゃない。だから、あなたの考えを聞いておきたい」
「ん? お前の教育方針か?」
鳳珠がそう言うと蒼子は眉を顰めて、思いっきり足を振り上げた。
「うっ!」
振り上げた短く小さな足が鳳珠の脛へと直撃する。
子供の蹴りなど、なんてことないはずだが、場所が脛であるとそこそこ痛い。
鳳珠は痛みを逃すために脛を擦った。
「真面目に聞く気がないなら、大人しく蛇神に嫁ぐといい。あの社に祝いの花でも飾るとしよう」
そう言ってくるりと背を向ける蒼子の肩を鳳珠は反射的に掴んだ。
「何て恐ろしいことを言うんだ。私が蛇の嫁になってもいいのか?」
「真剣に聞く気がないのなら致し方なし。蛇と言っても格の高い神だ。神の元に嫁げることを誇りに思うといい」
あまりにも冷たい蒼子の言い草に鳳珠は顔を引き攣らせる。
何故、このような子供に脅されなければならないのだろうか。
「分かった、真剣に聞く。だから私を見捨てるな」
鳳珠が懇願すると蒼子はふんっと鼻を鳴らす。
「最初からそうすればいい。あなたの運命は私の手の平の上にあることをゆめゆめ忘れないように」
鳳珠は偉そうな態度の蒼子にぐぬぬと悔しさを感じながらも、自分の態度を改めるしかなかった。
「で、私から何を聞きたい?」
子供が真剣な時、大人はそれに応えてやらなければならない。
大人が真剣に向き合うことは子供の健やかな成長に欠かせない。
鳳珠は蒼子となるべく目線を合わせるため、片膝を着いた状態で問う。
「あなたから見たこの町について。私の考えとすり合わせをしようと思う」
蒼子は双眸を伏せ、一度深く呼吸をして、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「あなたは気付いてるはず。この町で起きている非道で残虐な行いについて」
その言葉を発した蒼子の顔はとても険しいもので、事態の深刻さを鳳珠に強く訴えていた。
その様子に鳳珠は隠しても仕方がないと観念する。
自分がこの町に来てから感じていたこと、予想したこと、考えられることを蒼子には隠すべきではないと判断した。
「…………分かった。お前には全て話そう」
話すのは躊躇われた。
これは個人の問題ではなく、もっと大規模なもので、この町の人間の多くがこの問題に関わっている確証がある。
そして内容が内容なだけに、子供である蒼子に話すことではないと蒼子に話すことは考えていなかった。
だが、蒼子は恐らく気付いている。
それならば隠す必要はない。
「話そう。私から見た呂家、この町の異質さを。そして私が帝からこの地に遣わされた本当の理由を」
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