第54話 求婚された鳳珠
「おい、待て」
鳳珠は耳を疑った。
「何故、呂家を呪う蛇神が私の夢に現れるんだ? 私とは何の関係もないぞ」
「それはまだ分からない。蛇神に手を出していないという言葉を信じるなら」
「信じろ。絶対に信じろ。流石に人外は対象外だ」
未だに鳳珠の言葉を信じていないらしい蒼子に鳳珠は強く訴えた。
いくら女好きとはいえ、得体のしれない人外に手を出すほど物好きではない。
「人外でも神であれば容姿の優れた者も多いが?」
「容姿だけの問題じゃないだろう!」
揶揄っているのか、本気なのか分からない蒼子の発言に鳳珠はムキになって答えた。
「とにかく、私は蛇神に手を出したことはない。そもそも蛇神が存在していたというのはずっと昔の話だろう。私は存在していない」
「まぁ、そうだろうな。おそらく、蛇神は誰かとあなたを勘違いしているんだろう。それが誰なのかははっきりしないが」
そう言って蒼子は何かを考える仕草を見せる。
「しかし、それはあの蛇神の付けた御印。それが本物の求婚痣だ」
「求婚だと⁉」
鳳珠は身を乗り出して大きな声を上げた。
「おい、待て! 何故私が蛇に求婚されなければならない⁉」
冗談は止せ。嘘だと言ってくれ、私を揶揄うための冗談だと。
鳳珠は蒼子が冷めた目で『冗談だ』と言ってくれるのを心の中で期待した。
「事実だ」
「…………」
しかし無情にも帰って来た言葉は期待したような言葉ではなかった。
蒼子の冷たい視線と言葉が嫌でも現実を突きつけてくる。
鳳珠は再び絶句した。
「…………………私は……蛇神の嫁にされるのか…………」
自分の両手を凝視して、わなわなと震えながら鳳珠は言った。
「婿だろ。何故嫁になる」
自分の性別が分からなくなったのか? と蒼子は付け加えた。
「私の顔は性別を超越しているからな……………………」
今にも死にそうなくらい青い顔で自身の顔の良さを自慢された蒼子はイラっとする。
自己肯定感が高すぎて色んな意味で羨ましいと思えた。
「状況を整理したい」
少しして落ち着きを取り戻した鳳珠は片手で顔を覆い隠しながら反対の手で控えめに挙手する。
「簡単に言うならあなたは蛇神に呪われている」
「簡単過ぎる。もう少し詳細に話せ」
またもや容赦のない蒼子に現実を突きつけられる。
「これは本当に呪いなのか?」
自分の腕を見つめながら問い掛ける鳳珠に蒼子はこう言った。
「捉え方の違いだ。あなたが嫌悪すれば呪いになるし、神の御許を喜べるのなら吉兆の印にもなる」
「何だ、その説明は。いい加減じゃないか?」
「神からの求婚とはそういうものだ。悪く言えば生贄、よく言えば神という存在の一部になるということ」
「…………喰われるということか?」
青ざめる鳳珠に蒼子は溜息をつく。
「御伽噺の読み過ぎだ」
子供に御伽噺の読み過ぎと言われているのか、私は。
これではどっちが大人か分からない。
「婚姻とは伴侶を持つということだ。神からの求婚はその者が生きている間、共に生きて欲しいと神からの求められているということ。嫁ぐことと喰われることを同一視するのは御伽噺の影響だ。あれは人間が面白おかしく書いた物語で神と記されるものは大抵、神でなく神のフリをした鬼だ。婚姻を結んだ後の扱いに差はあるものの、私の知る限りでは本物の神達は伴侶を喰うことはない」
荒ぶる神を鎮めるために花嫁を捧げる村が舞台の物語はこの世に溢れている。
その物語の中でも花嫁を喰らう神は神ではなく鬼だと蒼子は言う。
文字通りの生贄であり、神からの求婚によって捧げられた花嫁ではないらしい。
確かに、神から求婚されて喰われた花嫁の話は見たことも聞いたことも鳳珠はない。
いや、自分が知らないだけでもしかしたら存在するのかもしれないが。
確かに、花嫁が喰われるのは一方的に村が花嫁を捧げた話が多い。
思い返せば、確かにああいう話の神はどうも神らしくないなと思ってしまう。
「これが求婚痣ということは、私は蛇神に婚姻を迫られているということか?」
私が生きている間、生涯を共にしたいと?
「そういうことだ。一先ず、喰われる心配はない。と言っても、あれだけ恨み言を並べられているのだがら、その後の扱いは分からないが」
蒼子は他人事のように簡単に言ってくれる。
その言葉に鳳珠は先ほどの夢を思い出してゾッとする。
まるで憎悪という黒い塊に飲み込まれて、押し潰されてしまうのではないかと思った。
地の底から這い上がって来たような黒いドロドロとしたものが身体に絡みつき、沼に引き摺り込まれるかのような錯覚を覚えた。
夢の中での出来事を思い出すだけで肌が粟立つ。
あの時、死神女が現れなければ……蒼子に起こされなかったら……。
それらを考えると背筋が寒くなる。
絶対に離さないと、あの蛇神からは強い執着を感じた。
「確かに……私ではない他の誰かへの恨みが半端ないぞ。私ではない誰かへの恨みが」
鳳珠は何よりも大切なことなので二度言った。
断じて、私じゃない。
流石に人外は対象外だ。
「その言葉が真実であるならば、誰に対しての恨みなのかは調べる必要がある。その言葉が真実であるのならば」
蒼子も同じように二度言った。
きっとこの部分は何より大切なのだろう。
「詳しい話は夜が明けてからにしよう」
椋と柊、柘榴も交えて行う必要がある。
鳳珠は蒼子の言葉に頷く。
「はぁ。まだ夜も明けぬというのに。すっかり目が冴えてしまったな」
鳳珠は窓の外を見るが夜明けはまだ遠い。
雲がない空に月が輝いている。
とてもじゃないが、あんな夢を見てしまった以上、呑気にもう一眠りしようとは思えない。
「蒼子、お前は寝ろ」
できれば寝ないで欲しいという気持ちを隠して鳳珠は言う。
成長期の子供に睡眠不足はいけない。
「では、私はもう少し寝る」
そう言って小さな欠伸をした蒼子はもぞもぞと布団を被って間もなく寝息を立て始めた。
子供だから仕方ないが、こんなにもあっさりと眠りにつかれてしまうと、自分だけ置いてきぼりにされとような気がしてならない。
あどけない顔は愛らしく、柔らかくて温かそうだ。
近くに熱の塊があるとつられて眠気がやってきた。
またあのような夢を見るかもしれないと思うと恐ろしいが、側にいる蒼子がそんな不安を和らげてくれる。
頼む、死神女よ、夢で襲われたらまた私を助けてくれ。
鳳珠は心の中で念じた。
そして蒼子と並んで横になった鳳珠はそっと瞼を閉じ、意識を手放した。
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