第51話 花の意志

 最愛の祖父が亡くなった。


 母は昔から父の言いなりで気が弱く、病にかかって亡くなってからは祖父だけが私の見方だった。


 実の父が私を売ろうとしたのに祖父はずっと自分の見方で、自分を守ってくれていた。


 祖父は私にこの町から出て行けと言ったが、足の悪い祖父を残していく気にもなれず、町を出て生活をするすべを私は持たない。


 だから祖父と一緒にこの町を離れたかった。

 時間が掛かっても、ゆっくりでもいい。だからこの町を離れよう。


 祖父を説き伏せようとしてもなかなか頷かない。


 私は知っている。それは私の足手まといになるのを危惧してのことだと。

 だけど、そんなことは気にしない。


 貧しくても、苦しくても、大好きな祖父と一緒にいられるなら。

 そんなことを考えていた矢先、祖父が亡くなった。


 すぐに分かった。

 あの男達の仕業だと。


 足の悪い祖父を川に突き落としたのだ。

 だって、祖父は川に近づかない人だった。


 昔、姉が川に身投げした。それから川には近寄らないようになったと言っていた。

 なのに、川に落ちるなんておかしい。


 私をいいようにしたい連中が祖父を川に突き落としたのだ。


 許せない。許せない。


 私から大好きな祖父を奪ったあの男達。


 男なんて大嫌い。憎い、憎い、憎い。


『立てますか?』


 頭の上から降ってくる優しい声と、自分に差し出された手を思い出す。

 金銭と引き換えに欲をちらつかせる汚い男達と違い、私の身を案じて差し出されたその手はとても綺麗で、温かった。


 無理を承知でお願いした抱擁はとても力強いのに気遣いのような優しさも感じられて泣きそうになった。


 穢されたこの身体が浄化されるようなそんな心地になった。

 もし自分の初めてを捧げるならこの人のように優しい人が良かった。


 あの男達は若く瑞々しいを花弁を好んで散らす。

 泣いても叫んでも止めてはくれない。

 それどころか喜んでことに興じる悪鬼だ。


 これから自分はあの男達にいいようにされるのだ。


 彼女達のように町からどこかへ売られるのか、それともこの町の花として色んな男達に買われるのか、有権者の妻にさせられるのか。


 どれであってもそこに私の意志はない。


 だけど、今なら選べる。

 自分の意志で選ぶことが出来る。


 目の前にある大きな滝が水飛沫を上げている。

 膨大な水量の水が高所から流れ落ちて作られた川にはまるで身体を引き摺り込まれそうになる不思議な魅力があった。


 唸るような轟音が響き渡り、自分を世界から隔離してくれるような気がして、この場所はとても心地良い。


 迷いはなかった。


「柊様」


 蕗紀は昼間に出会った青年の名前を呟く。


 見た所、旅の人だ。

 もう二度と会うことはない。

 会えたとしても、私を助けてくれるわけではない。


 それならばいっそのこと……。


 蕗紀が崖の上に立ち、胸の前で手を組んだ。


 あの人に抱き締められた温もりと、感覚がまだ残っている気がする。


 だけにも触れられたくない。


 あの人の温もりを他の誰かで塗り潰されたくない。


 自分は幸せだ。


 ふと、脳裏に不思議な少女の姿が映った。

 あの女の子がくれた『おまじない』も心が軽やかな理由の一つなのかもしれない。


 今なら空も飛べる気がするわ。


 ふわりと身体が宙に浮いた。

 目の前の景色が物凄い速さで動いていく。


 あぁ、私が立っていた場所はもうあんなに遠いのね。


「柊様」


 もう一度、青年の名前を呟く。

 その声は大きな滝の水飛沫に飲み込まれ、消えていった。

 



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