第48話 罪悪感
湯気が籠る浴室に一人残された白燕は呆然としたまま湯舟に浸かっていた。
最悪だわ。
昼間、男達に自分達を襲わせて蒼子を攫う算段だった。
鳳珠と蒼子を引き離してしまえば、あの娘を溺愛する男は呂家の調査どころではなくなるだろう。
攫われた蒼子が町を出たようだと、目撃者を作り出して証言させれば鳳珠も町を出て行くに違いない。
そう思ったのに、思いの他、鳳珠は腕が立った。
結果として手際よく柊に警吏まで呼ばれてしまい、男達は警吏に引き渡された。
警吏に金を握らせて男達を逃がさなくてはならなくなり、蒼子達が警戒を強めただけでこちらの都合が悪くなっただけだ。
白燕は溜息をついた。
その上、原因不明の症状に襲われた。
急に胸が痛み、息が苦しくなった。
激しい頭痛に吐き気を催して立っていることができず、座り込んでしまった。
そんな白燕に鳳珠はとても優しくしてくれた。
こんな風に優しくされたのは久しぶりで、相手が鳳珠であることもあって体調がわるいのにも関わらず、胸が高鳴った。
優しい声も丁寧に触れてくる手も自分を特別大切に扱ってくれているように思えてしまい、頬が熱くなる。
同時に、蒼子を連れ去ろうとした犯人が自分であるとは知らず、優しくしてくれる鳳珠を滑稽に思えた。
「それにしても…………」
まさか、あれほど溺愛されている蒼子が鳳珠の実の娘ではないなんて思わなかったのだ。
正直、羨ましかった。
あんなにも親に愛されている蒼子が。
如何に自分が恵まれているのかも知らずにのうのうと生きている姿が憎らしく映り、意地悪を言いたくなるくらいに。
白燕は瞼を閉じ、溜息をつく。
だけどそれが凄く悪いことに思えて罪悪感で胸が一杯になる。
鳳珠は蒼子を愛しているように見える。
しかしそれは白燕から見た二人の関係でしかない。
昨日、蒼子が言っていた『愛されているわけではない』という言葉が白燕の胸に響く。
他人には言えない複雑な事情を蒼子も抱えていて、だからあんなに幼いのに大人びた考え方や言葉遣いをするのかもしれない。
もしかしたら、鳳珠は他人の前では娘を溺愛する父親を演じているだけで、他人には見せない裏側があることも考えられる。
仮に鳳珠の愛が本物だとしても、実の父親でないのなら、いくら鳳珠が愛を注いでも蒼子の気持ちは満ちないのかもしれない。
実の親に愛されたい、認められたいという欲求は子供であれば当然のように持っているものだ。
かつての自分がそうであったように。
そして期待し、何度も傷付いた。
白燕は湯舟に深く身体を沈めて、お湯の中で溜息を零す。
ブクブクといくつもの細かな気泡がお湯の中に現れ、その沢山の気泡が自分の心に刻まれた傷の数のように思えて苦しくなった。
驚いたのは蒼子と鳳珠が実の親子ではないことだけではない。
『その痣はこれ以上増やすな。意味がない』
蒼子は全てを見透かしたような瞳で白燕を真っすぐ見つめてそう言った。
その言葉に白燕は悪戯がバレて叱責を恐れる子供の様に身体が強張り、震えた。
まるで全てを知っているかのような口振りに白燕は激しく動揺してしまった。
何も分かるわけがない。こんな幼い子供に。
頭ではそう思うのに、このまま全てを吐き出してしまいたい気持ちが胸の奥から這い上がり、言葉が口から出て行きそうになる。
感情を吐露して、どこか遠くに逃げてしまいたくなる衝動を殺していつも通りの笑顔を張り付ける。
作り物の笑顔に皆が簡単に騙される。
だけど、その作った笑顔ですらも蒼子には偽物であると見抜かれているように思えで気が気じゃなかった。
あの真っすぐで美しい漆黒の瞳に嘘偽りは通じないのではないかと感じる。
白燕の中で蒼子が大きな脅威へと変化する。
何とかしないと…………。
蒼子と強い神力を持つ鳳珠は邪魔だ。
悲願を成し遂げるまでもう少し時間を有する。
できれば、こんな手は使いたくない。
自分と同じような目に蒼子を遭わせたいわけじゃない。
だけど…………。
白燕は下唇を噛み締め、苦し気な表情を浮かべる。
こうするしかないの。
私が死ぬ時、犯した罪を全て背負って地獄に落ちる。
それが免罪符になるとは思わない。
だけど、そうしなければ守りたいものが守れない。
再び、脳裏に蒼子の顔が過る。
「泣きつけば良かったかしら…………」
何故、こんなことを思うのだろうか。
不思議と、蒼子なら自分の痛みも、悲しみも、苦悩も全て受け止めてくれるような気がした。
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