第47話 浴室で
呂家の旧本家に到着し、蒼子は入浴をするために浴場に案内された。
「姫様、お手伝いしましょうか?」
「一人で大丈夫」
使用人が手伝いを買って出てくれるが、蒼子はそれを断る。
心配そうな顔をするのは蒼子がこのように幼い姿だからだろう。
「何かあったら声を出して呼びます」
「そうして下さい。近くで控えておりますので」
使用人が下がったのを確認し、蒼子は脱衣場で服を脱いで浴室へ入る。
広々とした浴室には湯煙が立ち込め、温かい。
ひんやりとした石の床を歩き、掛け湯をして身体を洗い、湯舟に浸かった。
「気持ちいい」
強張っていた身体がお湯の温かさに解れていくのを感じると先ほどまで感じていた苛立ちも一緒に溶けていくような気がした。
結局、鳳珠とは同じ部屋で一晩過ごさなければならなくなった。
案内された部屋は小綺麗にしてあり、快適に過ごせそうだと思った。
しかし、問題は鳳珠と同室だということだ。
柊は最後まで反対して何とか別室にしようと心を砕いてくれたが、それも虚しく終わった。
こんな姿でも中身はれっきとした大人だ。
それなのに何故こうも無配慮なのだろうかと考えた時、鳳珠が自分を全く大人の女性として意識していないからということ以外考えられない。
一度は大人の姿で会っている。
以前、粘着質な女に鳳珠が薬を盛られた際に助けた時だ。
それに加えて何度も大人であることを主張しているのにまるで相手にされず、子供扱いのままなのだ。
蒼子の中で不満が膨らんでいく。
いくら、女として見ていないからと言っても酷過ぎるのではないか。
そんな風に思っていると昼間の鳳珠と白燕を思い出す。
鳳珠は調子の優れない白燕には壊れ物を扱うかのように優しく接し、気遣っていた。
自分と白燕の接し方の差に気持ちが沈んでいく。
ちっ。こんなことで気持ちが乱れるなど、私らしくない。
蒼子は心の中で舌打ちをしながら、お湯を手の平に溜めて顔を洗った。
温かなお湯が荒ぶる感情を鎮めてくれることを期待して、深くお湯に浸かる。
「お湯加減は如何ですか?」
お湯の温かさが手足の先から全身に広がり、身体が火照り始めた頃、声が掛かる。
振り向くと、そこにいたのは白燕だった。
「…………具合はもう大丈夫?」
正直、今はあまり会いたくない相手だ。
しかし浴場という空間で話しかけられては無視するわけにもいかない。
「はい、神官様のおかげで随分よくなりました」
白燕はそう言って微笑む。
その神官のせいで体調が悪くなっていたことは知る由もないだろう。
確かに、呼吸も落ちついて、顔色も良くなっている。
人が苦しんでいるのを見て楽しむ悪趣味はないし、白燕のせいではないので回復したことに蒼子は安心した。
「良かった。あまり無理はしない方がいい。今日は早めに休んで」
王印の影響を強く受けたのだから、身体にはとても負担が掛かっていたはずだ。
今夜はしっかりと身体を休ませる必要がある。
「ありがとうございます、姫様」
失礼します、と言って白燕も湯舟に浸かる。
湯舟に波紋が広がり、湯舟から溢れたお湯が流れる音が浴室に静かに響く。
「それにしても、姫様の父君はとてもお優しくていらっしゃるのですね」
鳳珠に介抱された時のことを思い出しながら白燕は言う。
確かに、鳳珠は優しい性格だとは思う。
皇族であるのに人間味があり、優し過ぎて蒼子が心配になるほどには。
「あんな素敵な方の元に生まれるなんて、姫様はとても幸せですね」
その言葉に仄暗さを感じた。
言葉の裏側に嫉妬のようなものを蒼子は感じ取る。
「あの男は実の父親じゃない」
「え⁉」
蒼子が告げると白燕は驚き、その反動で湯舟に小さな波が起こる。
白燕の驚きは相当だったようで、目を丸くして固まってしまった。
「そ…………そう、でしたか………すみません、私…………」
動揺し、白燕は俯く。
蒼子の言葉に白燕は何と言って良いか分からない様子で、バツの悪そうな顔をしている。
「気にしなくて良い。人は色んな事情を抱えて生きている生き物だ」
「そう……ですね……誰しもが人には言えない事情の一つや二つ、あると思います」
苦虫を噛み潰したような表情で白燕は呟くように言う。
その時、無意識に左腕の痣を手で隠すように押さえていたのを蒼子は静かに見つめる。
そしてきつく押さえていた白燕の手を優しく解く。
白い腕に赤黒い痣が痛々しかった。
蒼子の突然の行動に白燕は驚き、目を瞬かせる。
黒い睫毛に縁どられた鳶色の美しい瞳が不安そうに揺れていた。
「どんな事情があったとしても、人としての尊厳を踏みにじるようなことがあってはならない」
蒼子は白燕の鳶色の瞳を真っすぐ見つめて言った。
蒼子の言葉に白燕は泣き出しそうな表情を浮かべる。
そんな白燕から視線を外し、蒼子は痣の刻まれた腕をお湯から上げた。
「腕、痛いでしょう。お湯が染みるのでは?」
陶器のような白い肌に薄っすらと血が滲んでいる。
昨日腕を見た時よりも痣が広がっているのだ。
その痛々しい痣に蒼子は眉を顰める。
「困っていることがあるのではないの?」
蒼子は再び白燕に視線を合わせる。
すると先ほどまで泣き出しそうだった顔に笑顔が張り付いている。
「大丈夫ですよ。姫様はお優しいのですね」
「…………後で薬を届ける。それを塗るといい」
蒼子はそう言って立ち上がると、ザバァーっと湯舟が波打つ音が浴室に響いた。
「その痣はこれ以上増やすな。意味はない」
肩越しに一言告げ、蒼子は浴室を後にした。
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