第42話 嫉妬
「うっ」
蒼子は小さな呻き声に振り返る。
蒼子の隣に立つ白燕は苦し気な声を漏らして、地面に膝を着き、震えている。
鳳珠の持つ王印の力が働いたのだとすぐに分かった。
王印とは神官神女達の神力を抑制するためにある。
王印の力は弱い神力ほど高い効果があるため、弱いながらも神力を持つ白燕には強く作用したようだ。
蒼子の身ですら拘束できる力があるということは白燕の身にはかなり辛いはずだ。
「姉さん⁉ どうしたの⁉」
白燕の様子がおかしいことに気付いた弟の白陽が駆け寄ってくる。
白陽は姉と同じように地面に膝を着いて白燕の苦しそうな表情を見ると、顔を青くする。
姉を心配するあまり、弟は激しく動揺し、今にも倒れそうな表情になった。
蒼子は白燕と白陽の間に割って入り、無言で白陽の胸を押し退ける。
「お姉様、ゆっくり呼吸をして。大丈夫よ。白陽お兄様は少し落ち着いて」
訳が分からず混乱している白燕を落ち着かせるために蒼子は優しく話しかけ、丸くなった背中を擦りながら、白陽にも視線を向ける。
「白陽お兄様、馬車はどうなった? お姉様を休ませたいのだけど」
蒼子が言うと、白陽は弾かれたように顔を上げて走って行く。
白陽は白燕のために自分ができることをすぐに理解してくれたので蒼子は安堵する。
「白燕、どうしたんだ?」
蒼子と白燕を覗き込むように鳳珠が声を掛けてきた。
先ほどまで柊と共に警吏達と男達の拘束を手伝っていた鳳珠は作業が終わって戻って来たのだ。
「どうしたもこうしたもない」
蒼子は棘のある口調で鳳珠を睨む。
お前のせいだと言ってしまいたい衝動をぐっと堪える。
そもそも王印の力を使うような状況じゃなかった。
蒼子と白燕を拘束するために力を使うなんて馬鹿げている。
王印の使用は疲労にも繋がるのだし、場合によっては被害も出る。その被害を鳳珠自身が被ることもあれば、白燕のように神力持ちであることもある。
神力と同様にやたらと使用するものではないのだ。
「そうか……そんなに怖かったのか。怖い思いをさせてすまなかった」
眉を八の字に下げて鳳珠は白燕に優しい声音で言う。
「は?」
鳳珠のこの状況に合わない発言に蒼子は深く眉根を寄せた。
「賊が怖くて震えていたのだろう? もう大丈夫だ」
鳳珠はそう言うと、白陽の身体を支えてそのまま横抱きにして立ち上がる。
少し落ち着きを取り戻し始めていた白燕は鳳珠に抱き上げられたことに驚いた。
「し……神官様、私でしたら大丈夫です」
遠慮がちに白燕は言った。
「まだ震えているではないか。私の責任だ」
「いえ……そんな……神官様のせいではありません」
険しい表情で言う鳳珠に白燕は首を横に振る。
「私が側にいながらすまない。そなたに怪我がなくて良かった」
「神官様…………」
鳳珠がとびっきり甘い微笑を浮かべると、白燕は血色を取り戻し、逆に頬を赤く染めた。
その様子を蒼子は白けた顔で見つめていた。
悪漢への恐怖はゼロではないだろうが、白燕の震えは悪漢への恐怖ではなく正真正銘、鳳珠の王印が原因であることが大きい。
しかし、すっかり調子が戻ったらしい白燕を見れば、そういうことにしておいた方がいいのかもしれないと蒼子は考える。
「馬車を返してもらえました。姉さん、神官様、こちらへ」
白陽が離れた所から駆け足でこちらに近づいてくる。
馬車は男達が隠していたようで、問題ないことを警吏に確認してもらった上で返却してもらったと白陽は言う。
「では馬車まで移動しよう。落ちないように掴まっていてくれ」
「ですが、私は重いかと……」
「まさか。まるで花束のような軽さではないか」
「花束だなんて……」
白燕を抱いたまま歩き出す鳳珠に白燕は恥ずかしそうに頬を染めている。
白銀色の髪がしなやかに揺れ、ほんのりと赤く染まった頬を隠した。
こうして見ると、見目麗しい二人はとても似合っていると蒼子は思った。
子供の姿である自分を抱き上げるのとは違い、一人の女性としての配慮を感じる。
濡れ羽色の鳳珠の髪が白銀色の白燕の髪に混ざるように落ちる。
二つの色が重なり合う様はまるで恋人同士のむつみ合いのように感じられた。
額と額が触れ合いそうになるくらい顔を近づけて白燕の顔を覗き込み、鳳珠が白燕に微笑む。
互いを思い合う恋人同士のようだ。
恋人だと言っても誰も疑わないだろう。
それくらい二人はお似合いだった。
そういえば、ここへ来たばかりで鳳様は白燕を口説いていたな。
そのことを思い出し、胸がモヤモヤとする。
もしかしたら、鳳珠の好みは白燕のように可憐で繊細な庇護欲をそそるような女性なのかもしれない。
少なくとも、自分には白燕のような可憐さや繊細さはない。
何度子供ではないと言っても子供扱いを止めない鳳珠は自分など眼中にないのだろう。
何度も悪態をつき、生意気だといわれても態度を変えなかった自分は可愛い可憐な女性には映るはずはないのだが。
蒼子は少しだけ自虐的になる。
そして二人の近過ぎる距離感に蒼子は胸がチクリと痛んだ。
いつも自分に向けられている眼差しが自分以外の誰かに向けられることは思いの他寂しさを覚える。
しかし蒼子は首を振って自分の中から沸き起こる感情を静かに否定した。
「寂しくなどない。羨ましくなどない」
この感情は気のせいだ。
疲れている。いつも側にいる紅玉もいない。
だからこんな気持ちになるのだ。
ふと顔を上げると視線の先に白燕と鳳珠の姿がある。
大人の歩幅なのであっと言う間に距離が開いてしまい、かなり離れた所に二人はいた。
感情を乱してはいけない。
蒼子は遠ざかる二人の背中を見つめながら、胸の中にある感情を押し殺した。
これ以上、この小さな炎が大きくなることがないよう願いながら。
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