第40話 違和感

 蛟滝を後にした蒼子達は停めてあった馬車へと引き返した。

 しかし、そこで思いもよらぬ問題が発生した。


 停めてあった馬車がないのである。

道の端に寄せ、綱は手頃な木に固く結んであったはずの馬車がないのだ。


 そこで青ざめたのは白陽だ。


「申し訳ありません!」

「申し訳ありません」


 自分の管理が悪かったと白陽と白燕が揃って頭を下げた。

 特に白陽は顔面蒼白である。


「謝るな。盗む方が悪いのだし、不用心に見張りを置かなかったのは私だ」


誰か一人を残すにしても適当な者がいなかったのだ。


 鳳珠は特別責める様子もなく、姉弟に言った。

 優しい鳳珠の言葉に白陽は少しだけ血の気を取り戻す。


「ここに来る途中で馬車が停まっている邸がいくつかありました。さほど遠くないので借りれるか聞いてきましょう」


 柊の言葉に鳳珠は頷く。


「白陽、一緒に行ってやってくれ」

「はい! もちろんです」


案内人としての責任を感じているらしい白陽は名誉挽回しようとはりきった返事をする。


「一度降ろすぞ」


 一言断りを入れてから、鳳珠は蒼子を地面に降ろす。


 そして鳳珠は白陽に懐からぱんぱんに膨らんだ巾着を取り出す。

 それをこれ見よがしに掲げた後に、白陽の手に持たせた。

 ずっしりとした巾着の重みに白陽は動揺する。


「これで借りて来てくれ。頼んだぞ」


 絶対にこんなにたくさん要りません、と白陽は目で訴えるが、失くすなよと言って鳳珠は巾着を握らせた。


 蒼子は感心して頷く。


 鳳珠は皇子であり、根本的には傲慢な所がある。

 それは皇族にとって必要なものだ。


 しかし、皇族であってもむやみやたらに傲慢な態度を振りかざしていいわけではない。

 

 鳳珠は皇子として傲慢であるべき場面とそうでない場面の使い分けができている。

 本当の貴人というのは心にゆとりを持ち、どっしりと構えているものだ。


 今のように予想外の問題が起きた時、人の本質は現れる。


 その点、鳳珠は好ましいといえる。

 相手を怒鳴って責め立てるわけでもなく、失敗の原因を考え、次に取るべき行動を冷静に考えることができる。


 上に立つ素質のある人だと蒼子は思う。


 このような時に怒鳴り、喚き散らかす輩は共通して器が小さく、身分しか誇れるものがない矮小な者達だ。


「では、頼んだぞ。二人共」

「すぐに戻りますので、お待ち下さい」

「おい、柊」


 歩き出そうとする柊を鳳珠が大きな声で呼び止める。

 

「今持っている全財産を白陽に預けた」


 その言葉に白陽は震えながら身体を丸めて、辺りをキョロキョロと見渡した。

 懐にしまった鳳珠の財布を決して落としたり、失くしたり、奪われてはならないという任務の重さから、殻に閉じこもる蝸牛のようになる。

 

「知ってます。では白陽殿、行きましょう」

「は、はいっ」


 柊の掛け声に上擦った声で返事をした白陽は柊と共に歩き出す。

 二人の姿は森の木々に隠れてすぐに見えなくなった。



「神官様、こちらの不手際で申し訳ありません」


 柊と白陽の姿が見えなくなり、残されたのは蒼子、鳳珠、白燕の三人だ。

 白燕は再び鳳珠に向かって頭を下げる。


「気に病むな。それよりもこっちに来い」


 鳳珠は手招きをして白燕に近くに来るように指示する。

 

 蒼子が下から鳳珠を見上げているとチラッと鳳珠と目が合う。

 

「どうした?」

「いや、何も」


 鳳珠の問い掛けに蒼子は短く答えた。

 

「そうか」


 鳳珠も短く答える。

 そして道端に落ちていた木の枝を拾って蒼子を中心に円を描き始めた。


「よし」


 鳳珠の満足そうな声を聞き、蒼子は自分の足元に視線を落とす。

 

 何だ、これは。


 蒼子は鳳珠が描いた円の中にいる。


「私がいいと言うまで、その中から出るな」

「は?」


 意味が分からない。


 その様子を白燕はまじまじと見つめている。

 親子の戯れに見えなくはない光景だが、鳳珠の行動の意味が理解できない。


「白燕、そなたも来い」


 白燕は言われるがまま鳳珠の近くに寄ると、蒼子の隣に立つように指示され、蒼子と同様に木の枝で描かれた円の中に囚われることになった。


 蒼子と同じように困惑しているのが見て取れた。


「うむ。お揃いだな。いいか、二人共。私が合図をするまで決してここから動くな」


 鳳珠は少し厳しい声で二人に告げる。

 同時に先ほどまでの飄々とした様子はなく、『自分に従え』という圧を感じる。

 そこで、蒼子は違和感を覚える。


 いつもならすぐに蒼子を抱き上げようとする鳳珠が蒼子を抱き上げる気配がない。


 いや、別に構わない。

 正直、常にべったりされて窮屈だし、鬱陶しい。

 鳳珠もずっと蒼子を抱いていては腕が疲れるだろうし、適当なところで蒼子を降ろして休むことだってある。


 だが、様子が変だ。


 蒼子は鳳珠を見つめながらいつもと違うところを探す。

 そして鳳珠がしきりに、あちこちに視線を動かしていることに気付いた。


 決してキョロキョロとしているわけじゃない。落ち着きがない様子でもない。

 けれども、いつもすぐに蒼子と交わる視線が交わらない。


 まるで何かを探っているかのように思えた。


「鳳―――」


 蒼子が鳳珠の名前を呼ぼうとした時だ。

 

「動くな!」


 聞き慣れない声と複数人の男達が視界に飛び込んで来る。

 ドタドタと足音を立てて、蒼子達の前に立ちはだかり、獲物を狙う目で蒼子達を眺めていた。

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