第39話 滝と履物

 この異様な光景に混乱している姉弟だったが、柊が率先して手を合わせたのを見て姉弟も合掌する。

 


「何か分かったか?」


 鳳珠は白燕達から離れて周辺を見て歩いていた蒼子に歩み寄り、身を屈めて小声で言う。


 小さな娘は崖の向こうに見える滝を見据えていた。


 不思議な娘だ。


 背中はこんなにも小さいというのに、その背中には万物を知り尽くした賢者のように頼もしい。


「確かに、ここには何かがいるようだ」

「蛇神か?」

「確証はない。けど、確かに、大きな何かが巣食っている」


 確信に満ちた蒼子の声に鳳珠は緊張感を高める。


 その時、ゾクリと背後から視線を感じた。


 振り返るとそこには白陽と白燕から説明を受ける柊の姿があるだけで、三人とも鳳珠の方を見ていない。


 何だ? 気のせいか?


 そうして蒼子の方へと視線を向けると再び強い視線を感じて振り返る。


 先ほどと光景は変わらない。

 三人が会話をしているだけだ。


 白陽と白燕は鳳珠に背を向けているし、柊の気配には慣れているし、柊の視線は忍ようなものではなく、堂々としている。


 何だか隠れて影からコソコソとこちらの様子を窺っているように感じて気味が悪い。


「あなたは身体に異常はない?」


 くるりと振り返った蒼子の髪が揺れた。


「あぁ。あれからは問題ない」


 問題はないが、早くここから離れたいというのが正直なところだ。

 人気はないのに視線を感じるなんぞ、不気味過ぎる。


「昨晩のあの様子からすると、あなたにとり憑いた霊はここで身を投げた人かもしれない」


「何だと⁉」

「うるさい」


 思わず声を上げた鳳珠に蒼子はぴしゃりと言い放つ。


「神官様、どうかなさいましたか?」


 白燕が心配そうに問い掛ける。


「あぁ、すまない。何でもない」


 気にするな、と顔を青くした鳳珠が言うと、白燕は心配そうにそのまま側を離れた。


「どういうことだ?」


「あくまで可能性の話。あの人からは強い負の感情があった。激しい憎悪だ。ちょっとあいつが気に入らないとか、そんな程度の甘いものじゃない。激しい憎悪の先に、殺意があった。だけど人は無差別に殺意は抱かない。そこに至るまでに苦痛を味わったはず」


 蒼子は視線を並んだ沢山の靴に視線を落とす。


「ここに置かれた沢山の靴はここから身を投げた人達のものだろう。辛く、苦しいことがあったはず。身を投げたくなるほどの苦痛が」


 蒼子の顔が哀愁を帯びる。


 その横顔が何とも子供に似合わず、大人びていて鳳珠は視線を奪われた。

 蒼子は社の正面に立つと小さな手をそっと合わせ、目を閉じる。

 瞼を持ち上げてこちらに視線を向ける蒼子と視線がぶつかった。


「どうした?」


 鳳珠の顔を目を丸くして凝視する蒼子に鳳珠は首を傾げる。


 可愛らしい大きな目が鋭く細められ、嫌そうに眉根を寄せて恐ろしいことを口にする。


「過去の女が夜な夜なやってくる相が見える。絶対に私の寝台へは連れて来るな」


「待て、待て、待て」


 冷然と告げてクルリと背を向けて歩き出す蒼子の腕を掴もうと反射的に動いた。


 しかし蒼子は鳳珠の手をすり抜けて、柊の元へ一直線に向かっていき、抱っこをせがむ。


 柊はあまりしない蒼子の行動に少し驚いたものの、すぐに蒼子抱き上げて、鳳珠に鋭い視線を向けた。


「一体、何をしたんですか?」


 誤解だ。


 私はそんな未練がましい女と付き合ったことは……ないわけではないがその件については清算済みだ。


 以前、蒼子と出会った頃に絡んでくる女がいたが、その女については今後の人生で二度と会うことはない。


 その女を除けば未練がましい女はいなかった……はず。


 この町には初めて足を運んだし、知り合いもいない。

 こんな場所まで自分を追いかけてくるような女にも覚えはない。


 柊の問いに答える余裕はなく、鳳珠は蒼子に詰め寄る。


「おい、過去の女が来るとはどういうことだ? 一体、誰のことだ? その女は私に何の用がある?」


「知るか」


 柊の首にしがみついたまま、ふいっと顔を背けた。

 この短い会話である程度の状況を察した柊に鳳珠はドブ色の視線を向けられる。


「違う、誤解だ」


 鳳珠は蒼子を守るように抱く柊に訴えるが、返事の代わりに冷たい視線が無言で注がれる。


「そういえば、蒼子様。お耳に入れたいことがあります」


 白燕と白陽に気付かれないように柊はこそっと蒼子に耳打ちする。

 ちゃっかり鳳珠も側によって聞き耳を立てる。


「先ほどの茶屋にて、店主と客が我々を『花買いか?』と尋ねたのです。そして蒼子様を見て、どこの娘かと問われました」


「花買い?」


 眉を顰めて鳳珠は言う。


「えぇ。あの二人に訊ねればすぐに分かると思うのですが……」


 柊は背中越しに白燕と白陽を見やる。


「柊、蒼子の耳に入れることではないだろう」


 柊の顔が曇っているのは『花買い』という意味を何となく予想出来ているからだろうが、子供の耳に敢えて入れるような言葉ではない。


 鳳珠は柊を諫める。


「町の様子を把握するには必要なことかと」


 柊は真っすぐ鳳珠の目を見て言った。

 町の様子を知りたいと言ったのは蒼子だ。

 

 蒼子に報告をするのは当たり前なのだが、鳳珠は躊躇う。


「それはそうかもしれんが」


 鳳珠はちらりと蒼子に視線を向ける。

 何かを考えている仕草をする蒼子は相変わらず、子供なのに子供らしくなかった。 


「なるほど。ありがとう、柊さん」


 鳳珠の躊躇いなど気にも留めず、蒼子は柊の報告を受け取る。

 

「『花買い』とは女を買う店のことだろう。茶屋の辺りにそういう店が多いのかもしれない。それも、明らかに余所者の鳳様と柊さんを見てそんな風に問い掛けるってことはそれを目当てに余所からも客が来ることが珍しくないってこと」


 蒼子は鳳珠が躊躇っていたことをそのまま口にする。


 蒼子の教育係は一体、誰だ?

 女を買う店の存在をこんな子供に教えるなど。


 鳳珠は存在しない蒼子の教育係に対する不満で一杯だった。


 いずれ知ることであっても、早すぎる。

 教育に良くない。


「王都に戻ったら教育係を入れ替えてやるからな。安心しろ。私が自ら選び抜いたとびきり優秀な者をつけてやる」


 蒼子の教育係の選抜に意気込む鳳珠は鼻息を荒くして言う。

 その様子を柊は頭が痛そうな顔で見つめるしかなかった。




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