第38話 蛟滝

 そよ風が木々を揺らし、さわさわと柔らかな音を鳴らす。


「こちらが蛟滝です」


 白陽は滝を指さして言う。


 蒼子達は朝餉の後、白陽と白燕の案内で邸から一番近いという滝に来ていた。

 ゴオォォォォと大量の水が落下し、轟音が辺りに響き渡る。


 その荘厳な面構えに蒼子は息を飲む。


 落下した大量の水が隆起した岩々にぶつかり落ちる様は迫力があっり、岩を穿つ力強さと、流れの早さに畏怖して皆が無意識にのけぞっている。


 国内でも五本の指に入るほど豊富な水量の滝は、離れていても冷気と水飛沫を運び、蒼子は少し肌寒く感じた。


「これが蛇神が棲む滝か」


 鳳珠は滝を見上げて目を細める。


「お、蒼子。見てみろ、虹だ」


 太陽の光が滝の水飛沫と重なり、小さな七色の橋がかかっていた。


「虹!」


 はっきりと見えた虹に蒼子は感嘆の声を零す。

 その興奮気味な声音に、皆が頬を緩める。

 神殿でも虹は極まれだが見える。しかし、見えるのはいつも同じ場所で感動が薄い。


 人生で初めて滝にかかった虹を見て蒼子は心を躍らせた。

 きらきらした水飛沫に日の光が反射して輝く向こう側に何かが見えた。


「あれは何?」


 小さな黒い何かを指さし、蒼子は訊ねる。


「あれはお社です。蛇神様を祀っていたのですが、この奥まった場所ですし、手入れもほとんどしておりません。ずっと放置されております」


「それは逆に蛇神の怒りを買うのではないですか?」


 白陽の説明に柊が言う。


「はい……しかし、既に呂家は呪われております。あの社を丁寧に管理していた代からずっとです。してもしなくても変わらないなら、しない選択を選んだそうです。それにあの社の存在はもう知っている者も少ないでしょう。あの社の手入れをしなくなったのは何代も前からだと聞いております」


「みんな蛇神様を恐れてあの社にもこの滝にも近寄らなくなったそうです。社はこの町の長たる呂家が管理しているのですが、何せこのような山の中で崖の側にありますので」


 白陽の説明に白燕が補足する。


「近くまで行ってみますか?」

「そうだな。行ってみよう」 


 白燕の言葉に鳳珠は頷く。


「ですが……足元も悪いですし、荒れた社など見ても……」

「せっかくここまで来たのだか見て行こう。何か分かることもあるかも知れぬ」


 案内を躊躇する白陽に鳳珠は言った。


「…………分かりました。では、足元に気を付けてついてきて下さい」


 渋々と言った態度で白陽は歩き出す。


「白陽、どうしたの?」


 案内を渋った白陽を不思議に思ったのか、白燕が訊ねた。

 気が進まない、と顔に書いてあるのだ。


「いや…………怖いんだ、落ちそうで。何だか、この滝って吸い込まれそうな感じがあるから」

「何だ、そんなこと。えぇ、そうね。でも、崖に近づかなければ大丈夫よ」


 白燕はおかしそうに言う。


 ゴオォォォォっと水音を轟かせるこの滝は落ちたら確実に助からない。


 大量の水が激しく岩を打ち付け、白い泡の飛沫を飛ばし、下降へ流れる様子は大いなる自然の力を感じる。


 大自然が作り出した産物にちっぽけな人間が敵う訳ないと恐怖心を抱かせるのだ。


 その理由は理解できる。


「怖いならここで待っててもいいわよ。皆さんは私が案内するから」

「大丈夫だよ。姉さんこそ、転ばないように気を付けてね」


 白陽はそう言って先頭に立ち、歩き出す。


 この二人は仲が良いらしい。

 二人を包む雰囲気が柔らかく、穏やかで、互いに思いやる関係が見てわかる。


「姉さん」

「ありがとう」


 滑りやすい場所や、傾斜になっている所に差し掛かると、白陽はすかさず手を差し出し、それが当然の如く白燕はその手を取る。


 そんな仲睦まじい二人の姿を見ながら、滝のより近くまで進んで行く。

 蒼子は柊と鳳珠に交代で抱き上げられ、歩くというよりもほとんど運ばれている状態だった。


 蒼子の歩調では日が暮れるのでそこは甘えることにする。


「ここは人が寄り付かないと言っていなかったか?」

「はい。そのはずなんですが……」


 首を傾ける鳳珠の言葉に白陽が答える。

 周りは草木が茂っていたり、木の枝や倒木があるのに歩いている所だけしっかりとした通り道となっている。


 人が一人通れるくらいの細さだが、そこだけ地面が見えていて、草が生えていない。


「人の往来が頻繁にあるということですね」


 最後尾を歩く柊が言う。


「しかし、こんな所に来る用事なんて…………」


 白燕は蒼子に気を使ったのか言葉を切る。


「身投げ願望のある者ぐらいか」


 白燕に続く言葉を蒼子が変わって口にした。


 だけど、それだけじゃない気がする。


 誰かが足繫く、通っているような雰囲気なのだ。


「あ、見えてきました」


 白燕が細い指を向けた先に小さな社が見えた。

 進むにつれて姿が明瞭になり、その光景に眉根を寄せる。


 社は小さく、古い。


 木製で所々腐っているし、屋根瓦は一部割れたり、落ちてなくなっている。

 しかし、誰も手入れをしていないのであれば苔が生えていたり、落ち葉や枝が落ちていたり、植物が芽吹いていそうなものだが、不思議とそれがない。


 異様な光景はそれだけではない。


 蒼子はそっと地面に降ろしてもらい、社へ近づいた。


「これは……」


 鳳珠がまるで見てはいけないものを見たというような顔で声を漏らす。


 蒼子は社の正面に立ち、社を見据える。


 社の前にはズラリと大量の靴が綺麗に並べられていた。

 社をぐるりと囲むように、沢山の靴が並んでいるのだ。



 大きさからして、男物は見当たらないな。


 蒼子は並んだ靴に視線を向けながら周囲を見渡す。

 社のすぐ後ろは崖だ。


 こちらにも大量の水飛沫が跳ね、水音が轟いている。


「こんなところにもあるのか」


 蒼子と一緒に社の裏手を覗き込んだ鳳珠が言う。

 薄気味悪いと言わんばかりの表情だ。


 社の裏側の社と崖の間には正面側に置き切れない靴が何十足も重なって積まれている。


「一体、何なのこれは…………?」


 重々しく口を開いた白燕はこの異様な光景に驚いている。


「分からない…………けど、これって……」


 青ざめた顔で白陽は言葉を切る。


「ここから身を投げた人達の履物でしょうか」


 ほぼ確信に満ちた声で柊が言う。


 それを聞いて皆は静まり返り、社の前で手を合わせた。


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