第37話 恋について
「さっきのは一体、何だ?」
蕗紀と別れ、目的地に向かって走る馬車の中で鳳珠は蒼子に訊ねた。
鳳珠の向かい側に座る白燕も同じような顔をしている。
突然、道に飛び出して来た女性が、柊に抱擁を求めたのだ。
「私ではなく、柊を選んだことも不思議だ」
自分の顔に絶対的な自信がある鳳珠は心底不思議そうに首を傾げる。
「柊さんは素敵な人だよ」
お世辞なしに柊と椋も整った顔立ちの青年達だ。
そっくりな双子だが、目元が柊の方が優し気で椋は少し吊り上がってキツイ印象がある。
二人共、この主さえいなければモテモテだったはずだ。
この顔面兵器たる美しい主さえいなければの話だが。
「私よりか? どう思う、白燕?」
蒼子の言葉に不服そうに聞き、白燕を巻き込む。
子供のようなことを聞かれて白燕は困り顔で苦笑する。
「お二人ともとても素敵だと思います」
「選ぶならどっちだ?」
大真面目な顔で白燕の瞳を見つめながら鳳珠は問う。
「そ、それはもちろん……」
「誘導尋問反対」
真っ赤になって恥ずかしそうに俯く白燕が気の毒で蒼子は突っ込む。
自分が一番じゃないと気が済まないのか、この男は。
「おい、人聞きの悪いことを言うな」
「その手に乗せられてうっかり口を滑らせた女性がどれほどいるか……気の毒でならない」
商人時代も同じような手で言質を取り、悪徳商人よろしく、押し売りしていたに違いない。買取も行っていたから甘い口車に乗せ、ご自慢の顔面兵器で買い叩いていたのだろう。
悪い奴だ。
「先ほどの蕗紀という女性は容姿云々よりも自分を心配して手を差し伸べてくれた柊様に特別な想いを抱いたのでしょう」
白燕はそっと胸に手を当てて言う。
自身の秘めた想いを吐露する乙女のようだ。
「特別な想い? あの一瞬で? いっ、痛い、痛い、止めろ。爪を立てるな、蒼子」
そんな乙女の告白に水を差す鳳珠の手の甲に蒼子は容赦なく爪を立てる。
「特別な想いと時間は関係ない。時間をかけたところで特別な感情を抱くわけじゃない。それは相手を目にした瞬間、会話をした時、別れて思い返した時、時間を過ごした時、相手が特別になる瞬間は人それぞれ」
蒼子の言葉を白燕は頷きながら聞いていた。
幼い子供が恋愛観を語る様子に全く疑問を思っていない白陽は相当な大物なのかもしれないと鳳珠はちらりと考える。
「顔は私の方が良いはずだが?」
「恋愛初心者は黙っていろ」
冷然と言い放つ蒼子に気圧されて鳳珠は小さく呻く。
「顔だけでは本当の意味での特別な人にはなれない。顔が良くても性格が破堤しているものはいくらでもいるし、顔が良いからこそ犯せる罪も多い」
何となく身に覚えがあるらしい鳳珠はスッと目を逸らした。
「そうですね……顔は重要ではないかもしれません。一番大切なのは相手に対する思いやりや優しさではないでしょうか」
白燕が感情の込められた言葉を口にする。
「母が私に言い聞かせていたことがあります。『人は顔じゃない』と」
そして何かを思い出したように頬が緩む。
きっと白燕の中にも特別な存在があるのだろうと蒼子は思った。
「さっきの蕗紀という女性は自分を心配してくれた柊さんの必死な様子や差し伸べてくれた優しい手と優しい声、眼差し、あの瞬間、自分のために一生懸命になってくれた柊さんに心が惹かれたんだろう。普通であれば初対面の男に請うようなことじゃない。それでもそうして欲しいと願い、それを口にできる強い衝動、自身を突き動かす激しい想い。それが恋。だから他の誰であっても駄目。彼女にとっては柊さんだから意味があった」
蒼子の声が静かに、そして重く響く。
幼子に恋愛観を語られ、しかもそれがどうしようもなく正しい気がして鳳珠は悔しくなる。
父親が娘に恋愛観を語られる……むしろ説教をされている気がしてならない。
「お前は普段からどんな本を読んでいるんだ。恋愛指南書はまだ早い。部屋の本棚は伝記と幼児向け物語に買い替えてやる」
せめてもの抵抗を口にすると幼い娘は意味深な視線を寄越して鼻で笑った。
込み上げてくるものは悔しさだ。
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