第30話 不審な会話

 蒼子は深夜、違和感を覚えて目を覚ました。

 静かな水溜まりに不自然な波紋が広がるような感覚だった。


 薄っすらと目を開けたその時、視界に飛び込んできた光景を見て、大声を上げようか、蹴り落とそうか、本気で悩まされた。


 何故ここにいる。


 そして酒臭い。


 強い酒の匂いに蒼子は思わず顔を顰めた。


 窓から差し込んだ月明りが隣に寝転ぶ人物に落ち、長い睫毛に影を落とす。

 自分のすぐ目の前にある端正な顔立ちが月明りに照らされてその美しさに拍車をかけている。


 蒼子は隣で自分を抱くようにして寝息を立てる鳳珠を見つめて溜息をついた。


 そしてふと思い出す。


 鳳珠を見て女性達が騒いでいた。

 右目を隠す意味深なこの眼帯も謎めいていて、色っぽいとかなんとか。


 蒼子はまじまじと鳳珠を見つめる。

 確かに、これほどまでに美しい男も他にいるまい。


 美男が多い呂家でもやはり鳳珠の美しさは度肝を抜いているらしい。

 月明りの幻想効果も相まって、何だかこの世のものとは思えない妖艶さが滲んでいる。


 しかし、何故ここにいる。


 ここは間違いなく蒼子が宛がわれた部屋の寝台で、鳳珠の部屋は隣だ。

 蒼子は周りに気を使ってもらい、宴は中座した。


 早めに就寝したが、蒼子が就寝する頃はまだ広間は賑わっていたはずだ。

 最後まで付き合ったのかもしれない。


 寝台から蹴落としてやろうかとも思ったが、この身体では大人の男を蹴飛ばすことはできない。


 蒼子は諦めて鳳珠を起こさないように寝台を抜け出した。

 部屋の扉を音がしないように慎重に開けて廊下へ出て、庭へと出れる通路を進み、内鍵を開けて庭へ出た。


 静寂に包まれた夜の庭に冷たい風が吹き抜けて、蒼子の黒い髪を攫う。


 空を仰げば大きな月が上り、周囲を明るく照らしている。

 時折、月にかかる雲が輝く月を朧げに見せるのがまた美しい。

 雲が切れ、夜空に輝く月はより一層、存在感をました。


 空には星も浮かんでいるのだろう。

 しかしあまりにも強い月の輝きがそれらを消してしまっている。

 まるで月の精霊のような鳳珠と似ている。


 皇帝は太陽だ。


 真夏の、平気で何日も輝き続ける厄介者。

 天から人々を支配する絶対的な存在。


 蒼子にとっても煩わしい存在だ。


 だが、月は違う。


 時に心を慰め、勇気づけてくれるような、安心できる存在だ。


 蒼子はしばらく月を眺めていた。

 するとどこかから話し声が聞こえてくる。


 声のする方へ足を向けると、納屋が見えた。

 納屋の入り口前に二人の人影がある。


 一人は白陽だ。しかしもう一人は影になっていて見えない。


 一体、こんな時間に何をしているんだ?


 疑問に思い、蒼子は建物の影に隠れて耳を澄ます。


「神官が来た所で心配はない。どうせ呪いを払うことはできない。今までもそうだっただろう?」


 影の男は言った。


「しかし、あの神官は今までの偽物とは違うのです。神力がある」

「多少の神力があったところで、何もできないさ」


 不安そうな声で言う白陽に男は軽い口調で言った。


「…………それもそうですね。それも子連れだ。叔父に頼まれていやいや来たんでしょう。やる気もなさそうでしたし」


 白陽は呆れ声で言う。


 なるほど、白陽からはしっかりと鳳珠と蒼子が親子に見えているようで安堵する。

 そしてやる気がなさそうに見えているらしい。


「はぁ? 子連れ? 舐めてんのか。少し痛い目でも見せてやれば逃げ帰るんじゃねーの?」


 不穏な発言をする男に白陽は首を横に振る。


「邪魔ではありますが、神官は致し方なく来ただけでしょう。子供にも罪はありません」


 そこまでする必要はないと白陽は言う。


「それもそうか。それじゃあ、あいつらと同じか。まぁ、何せ邪魔なことには変わりないが」


 そう言って男は白陽に何かを手渡した。


「まだこんな物があったのですか⁉」


 忌々しさと驚きが込められた声が上がる。


「もし、神官が邪魔であれば使うといい。皇帝から寄越された神官であればそれなりの神力があるはずだからな」


「邪魔になるようであれば使わせてもらいます」


 受け取った何かを見つめて白陽は頷く。


 蒼子は眉を顰めた。

 この二人は蒼子達がここへ来たことを快く思っていないようだ。


 邪魔だからと、私達に何をするつもりだ?


 蒼子は訝しい表情を作る。


「それと……本当に叔父様は見逃してくれるんですよね?」


 白陽は緊張感の滲む声で男に問い掛ける。


「あぁ。あの男には借りがあるからな。心配すんな」


 借り? 白陽の叔父というと呂鴈のことか?


 蒼子は首を傾げながら様子を窺う。


「時はすぐに満ちる。楽しみにしておけ」


 男は声を弾ませて言う。

 二人は会話を終わらせると違う方向に歩き出す。


 マズイ!


 蒼子のいる方へ男が歩いてくる。

 踵を返そうとすると背中に何かがぶつかった。


「んぐっ⁉」


 口を塞がれ、身体を拘束される。


 身を捩って抵抗するがこの身体では何もできず、その場から凄い速度で遠ざかる。

 足は宙に浮き、誰かに抱え込まれている状態で物陰に入った所で止まった。


「動くな」


 蒼子を拘束する何者かが耳元で静かに囁いた。

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