第28話 首飾り


「そろそろ、下がらせてもらおう」


 頃合いを見て鳳珠は呂鄭に言う。

 広間はまだまだ賑やかで、あちこちで酒を求める声が上がっていたが、長旅で疲れているし、このままこの男と酒を飲み続けるのは嫌だった。


「そうですか、では白燕。神官様を部屋までお送りしろ」

「はい、お父様」


 立ち上がった鳳珠に白燕が呂鄭に命じられるように付き添う。

 キラリと白燕の首飾りの石が鈍く光って見えた。


「すまない……少々飲み過ぎたようだ。肩を貸してくれないか?」

「もちろんです」


 鳳珠は白燕の華奢な肩を借りて、足元に注意しながら部屋を出た。

 

 部屋に向かうにつれて宴の喧騒が遠ざかり、静けさが広がるに張り詰めていた緊張を解した鳳珠は白燕から離れる。


「すまなかった。ここでいい」

「え…………」


 鳳珠が身体を離すと白燕は困惑した表情を浮かべる。

 それはあまりにも鳳珠の足取りがしっかりとしてるせいだろう。


「父親に何か言われたか?」

「………………」


 無言で視線を逸らす白燕を見て、鳳珠は確信する。


 大方、神官の手つきになれとでも言われたのだろう。


 酒にはたんまりと媚薬が入っていた。

 以前に媚薬を大量に飲まされた鳳珠は大抵の媚薬や催淫剤の類は効かない身体になっている。


 故に、王宮に戻ってからの見ず知らずの女からの夜這いや宴での古狸達の手回しによって寄越された女の誘惑は全て退けることができた。


 ただ、身体が媚薬に対して反応しにくくなっているせいで、それなりの量を飲まないと媚薬の存在に気付けないのは少々問題かもしれない。


「どうか、お部屋までお連れくださいませ」


 微かに声を震わせて言葉を紡ぐ白燕に鳳珠は驚き、目を見張る。

 そして大きな溜息をついた。


「出会ったばかりの男にそんなことを言うものではない」


 白燕は見た所、男は苦手のはずだ。

 なのにこんな台詞を言わなければならない理由があるのだ。


「呂鄭殿には『部屋まで行ったが娘が父親を恋しがって泣いていたので、一緒に過ごすことは出来なかった』とでも言え。『娘は父がいなければ寝れないそうだ』と言えば納得するだろう」


 鳳珠はそれらしい理由を作って白燕に告げる。

 その言葉に少々驚いた様子で白燕は鳳珠を見つめた。


「…………よろしいのですか? 姫様をそのようにダシにしても」


 白燕は不満そうな口ぶりで鳳珠に言った。


「蒼子は聡明だ。蒼子がここにいれば、同じことを言っただろう」


 鳳珠は自信に満ちた声で言う。

 

 きっと蒼子であれば、白燕の立場を慮り、同じことを言うだろうと予想する。

 むしろ鳳珠よりもずっと気の利いたことを言うかもしれない。


 その言葉に白燕はただ茫然と立ち尽くす。

 

 白燕からしてみれば、あのような幼子がそのようなことを言うわけがないと思うだろう。

 そして、それを信じている鳳珠も異様な人間に思えるに違いない。


 だが、事実だ。

 蒼子は愛らしいだけでなく、賢く、聡明なのだ。

 見た目の幼さとは反対に、大人も驚くほどしっかりとした思考をしている。

 正直、子供に似合わぬ賢さが不気味ではあるが、それは蒼子の個性だ。

 その個性を尊重し、鳳珠はこれから蒼子がどう成長していくのかを見守りたい。

 

 しかし、理解しがたいと白燕の目が明白に語っている。


 必ずしも他者の理解を得たいわけではないので、鳳珠はそれ以上は言わなかった。


 そして気になっていたことを訊ねることにする。


「その首飾り……似たようなものを他の娘達もつけていたな」


 鳳珠は白燕の首にある石のついた首飾りに視線を落とす。

 白燕の白い首に赤い石と黒の紐でつくられた首飾りが存在を主張している。


 他の娘も同じ組み合わせの首飾りをしていた者と、青い石に白い紐の首飾り、緑の石に黒の紐の首飾りと、いくつか種類があるようだった。


「これは……この町の風習のようなものです。女性はこのような首飾りを家から出る時に身につけるのです」


「そうなのか。いや、少し気になっただけだ」


 鳳珠はそう言って白燕に背を向ける。


「ではここで。そなたの舞は誰よりも美しかった」


 鳳珠は広間の中央で舞う白燕を思い出し、白燕を称賛する。


 衣を翻し、腕を広げて舞うその姿はまるで美しい鳥のようだと思った。

 天井に向かってしなやかに真っすぐに伸びた腕と天井を見つめる鳶色の瞳は自由を求めて飛び立とうと燻る鳥の姿のようで、とても印象的だった。


 それだけ告げると鳳珠は蒼子の元へ向かうために歩き出す。


 白燕を一人置き去りにするような形になってしまったのは申し訳ないが、変な気を持たせるのは良くないし、その気持ちを呂鄭に利用される可能性もある。


 呂鄭の思惑ははっきりしないが、鳳珠が欲に駆られて白燕に手を出すことを望んでいることは確かなようだ。

 その気はないとしっかり線を引いていた方が良いだろう。 


 そんなことを考えながら歩いていると、白燕の首飾りが脳裏に過る。


「風習か……」


 見た目は派手ではないが品のある首飾りに見える。

 しかし、鳳珠はあれがただの首飾りには思えず、嫌悪感を覚えた。


「あまり趣味がいいとは言えないのは……私の感性の問題だろうか?」


 短めの色紐に存在を主張する石がついた娘達の首飾りが、鳳珠にはまるで動物の首輪に見えたのだった。

 

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