第18話 お父様と呼ばれたい


「聞いたか。お前達」


 真剣な声音で鳳珠は言う。

 視線は三人が出て行った扉に注がれている。


「お父様だぞ?」


 何だ、あの可愛い生き物は。


 そう言って鳳珠は身悶えする。

 上目遣いで『お父様』と自分を呼ぶ蒼子が頭から離れない。


「そうですね、お父様」

「良かったですね、お父様」


 無表情で双子は言う。


「何だ、その反応は。お父様だぞ?」


 鳳珠は真面目な顔で繰り返した。


 皇子であることを一度も偉ぶったことがない主が蒼子に『お父様』と呼ばれたことで偉ぶっている。


「お父様だぞ」


 また言った。


 双子の反応が気に入らない鳳珠は不満そうに繰り返した。

 この主は自分達に何を期待しているのだろうかと双子は思った。


 そしていよいよ主が妻もいないのに父親になってしまったと。


「そもそも、一体どういうつもりで『お父様』になったんです?」

「まさか、蒼子様に『お父様』と呼ばれたかっただけだなんてふざけた理由じゃありませんよね?」


 椋に続き、柊が妻もおらずに子持ちとなった理由を問う。


「あの呂鄭という男……どうにもきな臭い」


 鳳珠は先ほどと打って変わり、真剣な声音で言う。

 その表情も先ほどまでのデレデレと崩れたものとは違い、緊張感を帯びている。

 だが『お父様と呼ばれたかっただけ』という言葉は否定しない。


「きな臭い……というのは?」


 椋の問いに鳳珠は腕を組んで鋭い視線を窓の外に向けた。

 窓からは先ほどの東屋が見え、池の水面を鯉が揺らしている。


「あの男、おそらく普段から白燕に手を上げている。貴族であるなら、将来を考えて娘に傷が付くことを嫌がる親がほとんどだ。白燕のあの器量であれば傷一つなく、身綺麗なままで家門の利益のためになる家に嫁がせたいと思うものだろう?」


 この国の男は身綺麗な女を好む。


 特に貴族の婚姻では女は清いままで嫁ぐことが求められる。

 この国の男は男との交わりがなく、身体に傷のない綺麗な女を好むのだ。


 鳳珠にはこの感覚がよく分からない。


 自分がもし妻を娶るのであれば、精神的に支えてくれる女がいい。

 賢ければなお良いが、男性経験の有無はどうでもいいと思っている。


 むしろ、経験があるからこそ、そこから人の見る目を養うことができると思っているし、教養の一つであると考えている。


 しかしそれは鳳珠の考えであり、一般的には身綺麗な女、傷のない女が好まれるのだ。


「あんなゴロゴロとした石がついた指輪をしたまま頬を叩いてみろ。下手をしたら顔に傷が付くぞ。そんなことも気にしないくらいには普段から娘の扱いがぞんざいなんだろう」


 拳を振りかざしていたわけではないが、あのゴツゴツした指輪に少しでも頬が掠れば、それだけで傷になるだろう。


「それに、私に対してのあの怯えよう……お前達や柘榴はともかく、私だぞ? 私相手に怯えていたんだぞ?」


 今まで真剣に話を聞いていた椋と柊は途端に白けた表情になる。


 この言葉の意味するのは『老若男女誰もが見惚れる自分の顔が通用しなかった』ということだ。


 確かに誰もが見惚れる唯一無二の美貌であることは双子も認めているが、こんなにも当然の如く自分の顔が良いことをひけらかされるとイラっとする。


 双子は常々そう思っていた。


 それはおいておくとして、つまり白燕は顔面の造作に関わりなく、男に恐怖心があるということ。


 鳳珠の顔を見て失神する者はいても怯える者はいなかった。



「あの娘はおそらく日常的な暴力で男が怖いのだろう。気の毒なことだ」


 鳳珠がそう言うと椋も柊も顔を曇らせる。


「女に手を上げる男にロクな奴はいない。蒼子は賢いが口は悪いからな。神官の娘ということにしておけば、多少は相手を刺激しても目を瞑ってくれるだろう」


 椋と柊は納得する。


 蒼子の口が悪くなるのは鳳珠に対してだけなのだが、外見のような幼さは蒼子にはない。


 サバサバとした物言いと大人びた態度は何も知らない大人であれば気に障ることもあるだろう。


 女子供に平気で手を上げる者であれば、蒼子にも躾と称して手を上げる可能性はある。


 あの僅かな会話だけで、呂鄭を警戒し、蒼子を守るために機転を利かせた主を椋と柊は尊敬した。


 蒼子から父と呼ばれ、嬉しいあまりにドヤ顔で『お父様だぞ?』と連呼していた男と同一人物とは思えない。


「それに、あの男は神女ではなく神官が来たと知ってようやくもてなす準備を始めたようだ。呂鄭は娘に手を上げることを考えると、間違いなく女を見下す性分だ。蒼子が表立って動いても、調査は上手く進まないだろう」


 本来、男親というものは娘に甘いものだ。 


 東屋にいた白燕は小さくなって震えていた。


 着ている服も、ギラギラと着飾った父親とは違って質素なもので、装飾品は一切身に着けていなかった。


 可愛い娘であるならば、美しく着飾らせて、憂い顔などさせたくないと思うものだろう。


 綺麗な服を着せて、愛で、常に笑顔でいて欲しいと願うものだ。

 金があるのに娘に使用人のような服を着せ、暴力を振るって、精神的に支配しようとする呂鄭は一般的な親ではない。


 実の娘ですらこの扱いだ。


「生意気な蒼子は大神官の娘ぐらい大袈裟な嘘でもつかなければ売り飛ばされるかもしれん」


 鳳珠は不愉快そうに眉を顰めて言う。


「売り飛ばされる……大袈裟かもしれませんが、まぁ、ないこともなさそうですね」


「えぇ。何と言ってもあなたに負けず劣らずお美しいお顔立ちですし」


 椋と柊は言う。


 大袈裟だと笑い飛ばしたいところだが、蒼子も類稀なる美貌の女童だ。

 蒼子を守る手段としては妥当かもしれないと双子は思った。


 双子はここでようやく主が蒼子に『お父様』と呼ばれたかっただけで父娘ごっこを始めたという考えを否定することができた。


「おい、お前達。何か私に対して不敬なことを考えていなかったか?」


 目聡い鳳珠の指摘に対して椋と柊は『いいえ』と揃って首を横に振った。


「それにしても……」


 東屋での出来事を思い出し、鳳珠は眉を顰めた。


 鄭は蒼子に嫌悪感を示しながらも、蒼子をやけに気にしていたのだ。


 嫌いなものが側にあれば気になるのは当然なのだが……。

 まさか、おかしな趣味があるわけじゃなかろうな?


 そういう趣味ではないと思いたい。

 そう思いたいが、蒼子はお世辞抜きに見目麗しい娘だ。


 幼い頃はみんな可愛いなどと言うが、他の者とでは話にならないぐらい群を抜いた美しさと愛らしさなのだ。


 子供が嫌いであっても、あの娘相手ならば良からぬことを考える輩がいても全くおかしくない。


 そう思うと胸の奥がざわざわしてきて、鳳珠は警戒心を高めた。


 目が離せんな。


 鳳珠は蒼子達が出て行った扉の方に視線を向ける。


「二人共、蒼子が一人でいる状況を作るな。念のため、柘榴にも伝えて置け」


 真剣な面持ちの主に双子は素直に頷いた。

 

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