第7話 亡き母について
「仕事をして来いと言ったはずだが?」
蒼子を抱いてデレデレとしている鳳珠に鳳環が呆れ声で言う。
「子供は遊ぶのが仕事ですので」
「…………子供?」
「この娘は口は悪いが非常に賢い。しかも幼いながらに美しく愛らしい顔立ちをしています。将来は傾国の美姫となるでしょう。才を伸ばすには色んなものを見せて経験させるのが一番です」
怪訝そうな顔をする鳳環に鳳珠は言う。
「お前、子供がいるのか?」
まるで立派な父親のような発言をする鳳珠に鳳環は問う。
このような親バカ発言は実際に子を持たねばできまいという鳳環の見解からの問い掛けであった。
「いいえ」
「相当遊んでいたようだが? 子供の一人や二人、いてもおかしくないだろう」
肘掛に腕をついて眉を顰めた鳳環は言う。
「やめてください。教育に悪い」
蒼子を片腕で抱き、胸に寄せる。
蒼子の片耳が鳳珠の胸にぴたりとくっつき、反対の耳を大きな手で優しく塞いだ。
優しく少しだけ甘い香りが鼻孔を掠め、蒼子を何だか落ち着かない気持ちにさせる。
子供じゃないって言ってるのに。
いい加減に降ろして欲しい。
不満に思うがその一言は口に出すことができなかった。
「子供には綺麗な言葉を聞かせなければ」
「…………」
何を言っているんだこいつは? というような目で鳳環は息子を見やる。
「子供と女を大人しく連れてくればこの場で婚姻話を白紙にしてやるが?」
「おりませんが白紙にしていただけるのであれば是非お願い致します」
「子供を父なき子にするつもりか? 片親の子育ては大変だぞ」
「父も母も、何もありません。いないと申し上げております」
自分の言葉を信じない鳳環に鳳珠は小さく睨みつける。
「全く、その顔で睨むのは止めろ。折角、残っているお前の母の面影が塗り潰される」
肘掛に肘を着いて鳳珠は溜息を零す。
「そなた、母を覚えているか?」
「えぇ。ある程度は」
淡々と鳳珠は答えた。
鳳珠の母君である橙火という女性は既に故人だ。
後宮では最も若く、最も美しい妃で、高級妓楼から鳳環によって身請けされたと聞く。
誰よりも若く、誰よりも美しかった彼女は後宮では最も身分が低く、妬まれ、常に嫌がらせを受けていた。
皇子を産んだことで嫌がらせは激しくなり、遂には毒を盛られて亡くなった。
橙火妃が亡くなった時、鳳珠は八歳ぐらいだったと蒼子は記憶している。
「橙(とう)火(か)は小さな村から妓楼に売られた娘だった。美しい娘だった。話を聞くと、憐れに思えてな。妓楼にいるよりはマシだろうと思って側に置くことにした。生きていれば今年で三十七か」
感慨深そうに顎に蓄えた髭を撫でながら鳳環を前に鳳珠はさっと蒼子の耳を優しく手で塞いだ。
鳳珠は不気味なものを見るような目で父親である鳳環を見ていた。
妓女達は訳があって妓楼に売られた者がほとんどだ。
聞けば悲しく、切なくなるような身の上話をネタに男の庇護欲に火を付けるのも女達の手管の一つ。
国の最高権力者はベタな手口にまんまと乗せられたらしいが、気になったのはそこではない。
「聞き違いでしょうか。生きていれば……何です?」
「ん? 生きてば三十七だと言ったが?」
聞こえなかったのか? と鳳環は言う。
鳳環の言葉に鳳珠は分かりやすく顔を引き攣らせた。
それもそうだろう。
鳳珠は御年二十三歳。母親は十四歳で鳳珠を生んだことになる。
鳳環は六十に近い歳だったはずだ。
「言っておくが、出会った時にはあやつは既に女だったぞ。問題ない」
聞きたくないと、鳳珠はあからさまに嫌そうな顔をした。
鳳珠からは父親に対する嫌悪感のようなものが窺える。
鳳環の言う通り、十四歳であれば結婚している者もいる。おかしくはない。
しかし、鳳珠の中では十四歳の娘はまだ子供の部類であり、性的な対象にはならないようだ。
「何も言っておりません。とにかく、お止め下さい。蒼子の前では」
教育に悪いと言いながら鳳珠は優しく蒼子の頭を撫でる。
大人同士のつまらない話の間を誤魔化すように。
「ふむ。まぁ、いい。子供と女がいるのであれば早めに連れてこい。共に過ごせる時間は短いぞ」
まるで子煩悩な父親のようなことを言う。
この覇王のような男と父親という言葉が似合わな過ぎて蒼子は鼻で笑いたくなった。
ここまでの流れで鳳珠が婚姻話を理由に呂家に行くことを命じられたのは理解できた。
蒼子が呼ばれた理由も理解できた。
しかし、帝が婚姻話を理由にしてまで鳳珠を呂家に向かわせたい理由は何なのかはまだはっきりしない。
それに、鳳珠の母親を話題に出したこともだ。
「不可解、といった顔をしているな、神女よ」
心中を言い当てられた蒼子だが、動じることはしなかった。
「そこの女たらしが役に立つこともあるかもしれぬ。頼んだぞ」
結局のところ、何故鳳珠が呂家のことを頼まれたのか分からないまま蒼子は謁見の間を後にすることになった。
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