月明かりのスケッチ
三奈木真沙緒
どうして、こんな顔を知ってるの…?
……まだ眠っている彼のむき出しの肩に布団をかけ直して、私は抜け出し、ネグリジェのゆがみを直した。喉が渇いてたまらなかった。カーテンの隙間から差す月明かりを横切って、なるべく音を立てないよう、冷蔵庫を開けてお茶を飲む。
この部屋に来るのは久しぶりだ。
絵に描いたような遠距離恋愛。それぞれ仕事も忙しいし、休みも合わない。電話、テレビ電話、メッセージアプリ、もろもろ駆使してはいるけれど、「会った」ということにはならない。そのうえ彼はクールというか淡泊というか、気持ちをあまりはっきり言語化してくれない人だ。優しい人だとはわかっているけど、もの寂しくなるときもある。今日――もう昨日になってしまった――久しぶりに会えたから、喜んでくれているとは思いたいけど。
彼の寝息が静かに聞こえてくる。
……ふと、机の上に目がいった。そこそこきれいで、でも片付きすぎていない机上に、ノートパソコンと外付けのキーボードが斜めに置かれている。彼はキーボードにこだわりがあって、使い勝手とデザインを両立するものを、あれでもないこれでもないと試すのが趣味だ。今使っているらしいのはキーひとつひとつが丸いデザインで、私からすればこちらの方が使いにくそうに見える。近いうちに、また替えるかも。
そして、そばの棚から1冊のスケッチブックが、ちょっと斜めにはみ出していた。――へえ、絵なんか描くんだ。知らなかった。確か彼の仕事に絵は関係ないはずだ。何も考えず、私はスケッチブックを手に取った。ちょっと暗い。私はカーテンのそばに移動して、月明かりの中でページをめくった。
――けっこう、上手なんだ。
鉛筆で描かれていたのは、オートバイ、自動車など、普段から興味を持っているものだと思われた。……あ、パソコンのキーボードのスケッチもある。そこの枕元にある目覚まし時計も。この一輪挿しは、玄関のそばに置いてあるものだ。これ描いたときは、こんな花を生けてたんだ。……身近なものもけっこう描いているようだ。
めくり続けて、ふと息をのんだ。
ひとりの女性の絵が描かれていた…………というか、これ……私、だよね。
私、だった。
ひとつのページの中に、私の顔が4つ5つほども描かれていた。それぞれいろいろな表情をしていた。なんというか、……いきいきとしていて、実物の私より美化していると思う。
でも、やっぱり……私だ。
恥ずかしくなって、私はページをめくった。そこには、たくさんの花の中に座って微笑んでいる、私がいた。
自分で言うのも何だけど、とても柔らかくて、穏やかな表情で。
ていうか……私、こんな顔、するの?
彼が、目の前で私をモデルに絵を描いていたことは一度もない。絵が趣味だなんて、たった今知ったくらいだ。それに、数か月単位で会っていない。今までのテレビ電話や写真の交換でも、こんな表情していないと思うんだけど……。
どうして、こんな顔の私を……?
「勝手に見るなよ」
いつ起きたのか、彼にひったくられた。あられもない恰好で、よほど慌てたみたい。
……確かに、勝手にのぞいた私が悪い。
「ごめんなさい」
「素っ裸見られるより恥ずかしい」
彼はスケッチブックを棚に押し込みながら、顔をそむけてそう言った。
「……ねえ、どうして、私を描いたの?」
「……聞かれるだろうと思ったから、見せたくなかったんだ」
やっぱり彼はこちらを見なかった。
月明かりしかないのにどうしてか、耳が染まっているのが、わかった。
月明かりのスケッチ 三奈木真沙緒 @mtblue
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