6 三月二十九日 十三時から十八時まで。

 この世には、地獄が存在します。

 天国は知りませんが、少なくとも地獄と呼ばれるものは存在します。

 さらに正確な表現をしようとするならば、地獄があるかは定かではないですが、地獄の入り口は存在するのです。

 それは、多くの人が地獄の存在を望むからです。

 地獄への道は善意で舗装されている、とはよく言ったものです。

 地獄というものは現世で悪事を行った人間には、たとえば相応の罪が与えられなければならないという願いにより発生しているのです。悪人が天寿を全うする、あるいは死刑されたとしても己の人生に満足して逝く、というのはどうしても納得がいかない。良き人々、善人の全ての悪は裁かれるべきであるという祈りによって、地獄は存在するのです。

 それは人類が道徳というものを発展させるうえで、必要だった悪意なのだと思います。人々が十分に理性的で、善をなし、悪を廃せる社会システムを構築できるのであれば、地獄など要らなかった。しかし、そうはならなかった。だから人間は、悪を裁く神や、天国や地獄、そしてそれらを統括する宗教という偉大なる文化を発明したわけです。

 そういった人間の信仰の中で、日本各地に長い年月をかけて、地獄の入り口というものが生成されてきました。出来てしまえば、そこに畏怖の念や恐怖心、あるいは日々を生きる人々の悪意が溜まっていきます。

 感情とは、人間の持つ偉大な力です。ゆえに、地獄の門がある場所には、そこが地獄の門であるからこそ、ある種の負のパワースポットと化していく。

 こちらの地獄の門ですが、門という名の通り、時々、開いてしまいます。と、言いましょうか、開くから門なのです。非常に逆説的な論理です。そこに地獄の門があって、そして門の中に、どんどん悪しきものを供給してしまっている。いつしか中身が溢れてきてしまう。

 人間がそう思うから、そうなるのです。人類が死後の世界に想いを馳せることを完全にやめ、他人をひがむこともねたむこともやめ、怒ることもやめ、そして愛することすらやめ、悟りの境地に達したのならば、地獄もいつかなくなるのでしょうが、どうもまだまだ遠い未来のようです。

 そして、地獄の門が一度、開いてしまえば、蓄積された負の力が吹き荒れる、という始末な訳です。良き人々の道徳心ゆえに地獄の負の力は生成され続けていきます。今、この瞬間も。

 平たく言ってしまえば、たいていの地獄の門は定期的なメンテナンスを必要とする訳です。


 さて、地獄の在り様をお話したところで、この地域にも、地獄はございます。

 口伝では、元より地が穢れており、事実、山姥が出たりする土地な訳です。もっとも、その由来も因果も定かではありませんが。

 つまりは『姥捨て・子捨て』を行ったから、地が穢れて、山姥も出現したわけですが、罪の意識を回避するために『あそこには地獄があった、地獄があったから山姥もいるし、地も汚れている。だから、老人や子供といった弱者が消えても仕方ない』という理屈ですね。まあ、卵と鶏、どちらが先か、というような話です。

 というわけで、ここの地獄は十年に一度、鎮める必要があるのですが、その儀式が近づいております。

 儀式の内容に関しては基本的に、秘匿しておりますので、内容に関してはご説明を省かせていただければと思います。まあ、凡そ、皆さんの想像通り、そして、想像を絶する生贄の儀式、という訳ですね。

 さて、ここまで申し上げれば、理解も出来ることでしょう。

 そう、私こそが、次の生贄の儀式の贄を担うことになったということです。それが決まったのが、おおよそ一年のちょっと前。

 贄として、本来は一年間の間、身を清める必要があるのですが、昨今では少々事情が変わっているらしく。

 当主様――ああ、私の父上に当たる方です――が、私はそのままでも大丈夫だから、と一年ほど、旅に出てきなさい、と命じたのです。贄としての責務を全うするには見聞も必要だ、と。どんな世界を救うのか、その目で見てきなさいと。

 もっとも地獄の門など、日本では各都道府県にひとつはあるものですし、放置したところで、どの程度の被害が出るのかも定かではございません。そんなもの一つを収めるのに『世界を救う』なんて、いささか大げさ過ぎると思うのですけどね?

 少し話がそれました。

 この贄役というのが、正直なところ、色々と難しい話がございまして、その一つがお金の話となっております。

 こちらの地獄の鎮撫に関してですが、国や地方自治体から、それなりに報酬が出るものとなっています。事実、私どもの家がそれなりに富んで暮らしていけているのも、多くが十年に一度のその報酬、手当によるものを収入源としております。

 繰り返しますが、湯水のようにお金を使える本当の大金持ちという訳ではございません。十年に一度、億近い収入が発生する、そのほか、いくつかの優遇措置を受けている、というだけなのです。

 その結果として、地獄の鎮撫が決まるたびに、既得権益に居座る我が一族と、その利権を奪おうとする様々な勢力。さらには、諸々の理由で参加してくる個人の方々と、なかなか血なまぐさい戦いが発生しているんです。


 どこか、あっけらかんとした雰囲気でずいぶんと物騒なことを言う。

「まあ、正直なところ、私には戸籍もございませんので。

 備品として作られた、私製児、といったところですね。ですから、死んでしまったところで、実は問題はないのですよ。私以外の贄を使うという手段もございますし。

 けれど、私の家にも面子というものがございますので、基本は私で実施したいというところでございます。

 何よりただの備品のこの身ではございますが、作り上げるのにそれなりに手間暇かけて作って頂いておりますので、そこいらの人間に破壊されて、いたずらに損失とする訳にもいきません。そこで、私の護衛、世話役として、この人が手配されたのです」

 そう言って、紹介されたのは先日、出会ったスーツの男だった。

 男はどこか所在なさげに頭を下げた。肉体はがっしりとしているが、どことなく頼りない。

「革命戦士ですよ」

「茶化すな」

「あら、本当の事じゃないですか。十年前に生贄となる予定だった、私の叔母に当たる存在を救えなかった後悔から、日本の既存のオカルト世界を改革しようとした革命家。先日のたとえを借りるならば、日本中に拳銃をばらまこうとした大馬鹿野郎。オカルト世界の権力構造に真正面から喧嘩を売り、その八割を破壊したところで、ようやっと敗北した伝説の大失恋野郎にして元テロリスト。裏稼業だからこそ、自由競争による淘汰が行われていなかったオカルト世界を一掃するために踊らされた偉大なるピエロ。日本では間違いなく一位。世界でも指折りの実力を持ちながら、今では自分の力におびえながら暮らす権力の犬。三度の超幸運を得たにも関わらず、驚くべき愚鈍さでただの凡人であり続ける超一流の魔法使い。プロフェッショナル中のプロフェッショナルでありながら、少年のように初々しいスーパーアマチュア、超ど素人。三熱の騎士と呼ばれた存在の一人『白熱』にして『黒弓の射手』『消し炭』『燃え尽きた男』。オカルトと科学の最新鋭技術をもって改造された上、手に負えなくなり半ば廃炉扱いを受けている人造太陽擬神『ヒルコ』。エネルギーの化身。玄館千冬(クロダテチフユ)です。この人、名前も戸籍も抹消されていて『それ』とか呼ばれていたので、私が名付けました! いろいろと、私とお揃いです!」

「楽しそうだね?」

 随分と早口で千秋ちゃんから語り出される情報の波に気おされて、少し僕は気圧される。明るい子だとは思っていたが、本来、こんなに元気な子だったのか。

「ファンなので! 大ファンなので! この人の記録は先も申し上げました私の叔母、先代の生贄ですね! その日記にも残っていたのです。それを読むうちに私もこの人に護られて、使命を全うしたいと思うようになったのです。正直、十年前はこの人、ほぼ無名だったんですよ。だから、うちみたいなとこにも呼べたのだと思いますが、今は無茶苦茶有名人なので! 私の事お姫様、なんて呼ぶ人もいますが、せいぜい、私は田舎の猿山のお姫様程度。たいして、彼は仰々しい二つ名で分かる通り、日本でも最強のオカルティストです! それも呪術、心霊系ではなく魔法使い。しかも、サイボーグ。カッコよくないですか!?」

 千秋ちゃんは立ち上がり、今にも踊りだしそうな勢いで、身振り手振りを付けて語っている。

 そう、戻ってきた千秋ちゃんはすっかり癒えていた。どういうことか、左目以外は。

「私たちの一族の中でも、地獄の鎮撫は最大級の業務なのです! なので、唯一、特別に地獄の鎮撫に当たるものは名前と、一行の来歴が一族史に刻まれます! その一行に『千秋、千冬に護られつつ、地獄を鎮撫する』と記録されること。我々二人で、前回の一族の汚名を雪ぎ、後世に語られること。それが今の私の夢なんです!」

 酷くハイテンションで語られる、千秋ちゃんの夢にくらくらした。

 なんだそれ。

 先輩の顔は無表情。

 僕はどんな顔をしているのだろう。

 思わず、スーツの男を眺める。男は少し悲し気な表情で首を振った。


 スーツの男に連れられて、外に出る。好きに呼んでいいよ、と言われたので、クロさんと呼ぶことにする。

 たぶん、今頃、千秋ちゃんは先輩に千冬さんの凄いところを語りまくっている。

 そこから逃げたかったのか、千冬さんは僕を近くのコンビニまで、と連れ出したのだ。最寄りのコンビニまで十五分。

「コーヒーでいいか?」

「うん」

 コンビニで缶カフェオレをおごってもらい、そのままぶらぶらと歩いていく。

 そう、渡されたのはコーヒーじゃなくてカフェオレだった。

「甘党なんですか?」

 少し怪訝な顔をしたが、すぐにクロさんは僕の質問の意図を理解してくれたようだった。

「缶コーヒーのブラックはすっぱくて苦手なんだよ。甘いの嫌いだった?」

「いえ、そんなことはないんですが」

 缶カフェオレを啜る姿は妙に絵になっていて、アイドルのようなイケメンではないものの、そこそこの伊達男ではある。しかし、千秋ちゃんが語った超一流の魔法使いという響きからはイメージできない、どこか親しみ安さを感じる人だった。スーツではなくユニフォームでも着れば、運送業者や引っ越し業者の宣伝にでも出てきそうな雰囲気だ。

「それにしても、護衛なのに、千秋ちゃんから離れて大丈夫なんですか?」

「あー……護衛って言うのは半分名誉職みたいなもんなんだよ。あの子は自らを備品だと言ったが、そういう意味だと、俺もあの子の家に国から貸し出された備品みたいなもんだ。確かに俺は強いし、あの子が死なないように力を尽くすことはできる。しかし、人を本来の形で命を護るというのは、護衛のプロのノウハウあってこそだ。事実、今もあの子は、あの子の家の連中の監視下にある。だから、俺がいなくても大丈夫なのさ」

 そんなことをどこか気だるげに語る姿は、やはり長距離運転明けのトラックの運転手にしか見えない。いや、スーツ姿であることを考えれば、外回り営業をサボっているサラリーマンの方が近いだろうか。

「クロさん、実はあんまりやる気ない?」

 千秋ちゃんの情熱的な紹介には似つかわしくない、その態度に思わず、そんなことを聞いてしまった。

「あー、やる気がないわけではないんだがなあ。どちらかと言うと、気乗りしないという方が近いというか。

 ま、ダメな大人なのは否定しねえよ。だから、お前みたいなのとしょっちゅう顔突き合わせるんだろ」

「もしかして、僕、今、なんか酷いこと言われた?」

「さあな」

 クロさんは苦笑気味に答えて、カフェオレを飲み干す。

「もう少し、付き合ってくれ」

「何に?」

「蹂躙。やる気ない訳じゃないところ、見せてやるよ」

 クロさんがそう言った瞬間だった。視界が青く染まった。

 突然、真っ青な世界の真ん中にいる。

 青い床が永遠と続いていく。空というべきか、天井というべきか上方も果てまで青く、それゆえに高さもわからず、地平線では空と地の見分けがつかない。地面に足がついている感覚があるゆえに、床、と表現したが、青い球体の中に浮かんでいると表現した方が正しいのかもしれない。

 十分に明るいが色の変化もなく、どこまでも一様に青い空間。

「さあ。行こうか」

 クロさんはそのトンネルを歩き出す。

「なんですか、これ」

「ワープ? 的な。別に問題ないんだけど、一定のペースで歩いてくれると調整が楽で助かる」

「はあ。わかりました」

 空間を歩いていく。十分に明るいが色の変化もなく、どこまでも一様に青い空間は少し不気味だった。

「二、三秒。目を閉じて。開けてても良いけど、ちょっと酔いやすいよ」

 数十秒ほど、歩くとクロさんがそう言った。言われるままに目を閉じる。瞼の奥に明滅を感じた。

「もういいよ」

 目を開ける。

 真っ暗だ。目が馴染むまでに随分と時間がかかる。

 目が慣れてくると、そこはいかにも巨大な屋敷の門扉の前だった。山奥か、森の中か、大きな木々に囲まれている。

「ここは?」

「敵陣。本丸にいきなり突っ込むと取りこぼしが多くてね」

「何ですか、それ」

「まあ、今回の俺たちに対する敵対勢力の中心部だと思ってくれていい。俺がうっかり護衛をしくじって――というか、正確には、あの子の家の警戒網が破られて、先輩ちゃんの前に千秋を墜落させた原因でもある」

 まあ、見て行きなよ。

 門扉の前には見るからに、チンピラ染みた男たちがたむろしていた。衛兵替わりだろうか。クロさんは何事も無いように、ふらふらと前に歩いていく。

「例えば、目の前にいる三人。実に頭の悪そうな雰囲気だが、三人とも、実は時を止める能力者だ。正確には時を止められると思っている能力者だ。それなりに一般への被害を出している、悪人と言っていいかな?

 こういう派手な能力はおバカちゃんの方が使いやすいんだ。賢ければ賢いほど、自分のやっている無茶に気づいてしまって、能力が弱化する」

 チンピラ、と呼ばれた三人のうち二人が姿を消した。

 残る一人はピタリと動きを止めている。

「なにこれ」

「彼らが時間を止めただけだな。俺がちょっと手を入れて、失敗させたが。オカルトの基本は人間の想像力と願いだ。時が止めるという想像と、願えばそれが叶うと気付いた彼らが、その願いの代償を支払わされたんだ」

「時間を止めるって願うって、なにそれ」

「アダルトコンテンツでも見すぎたんだろ。

 さて、一人目の失敗。彼は周囲の時間を停止している時に、自分もまた時間が停止していると思っていたんだろうな。つまり時間停止の能力を使えば不老不死となれる感覚だ。その停止している世界で自分だけが自由に動ける、と。そのうえで、俺に妨害されて、彼の理論で中途半端に自分の周囲だけの時間を止めようとした結果、地球の自転に置いて行かれた結果、爆速で西へ飛行して、燃え尽きた。

 さて、もう一人を説明すれば、彼は時間停止を自身の無限加速の延長線上と捉えていたんだろうな。結果、自身の肉体の限界を超えて、無限に加速した結果、肉体が耐えきれず自らの力で爆散した。

 そして、あの子はリーダー格で多少、賢かったんだろうねえ……なにがおきたかは、まあ、見りゃ分かるわな。時を止めて、周囲の空気も固定化された結果、何もできずにいる。半端に賢くて即死しなかった分、割と地獄かもね。意識だけでいろいろと考える中で、動くことが出来ないというのは。自分自身で時間を止めてしまった以上、意識だけは酷く長い悠久の時を過ごしている可能性もあるわけだ。まあ、介錯くらいはしてやるか」

 何をした訳でもない。

 クロさんの言葉にただただ合わせるように、最後の一人が糸の切れたマリオネットの如く、ごしゃりと倒れる。 

 クロさんの言葉を信じるならば、僕の目の前で三人の人間が死んだことになるのだろうが、どこか非現実的でなんの感傷も抱けなかった。

 時代劇の殺陣で、出血も無く悪役がばっさりと切られた瞬間の感覚に似ているのかもしれない。

「という訳で、魔術版返りの風、人を呪わば穴二つ。願いが叶う世界というのはろくなもんじゃなく、オカルトだって何でもありじゃない。何でもありに見えなくもないが、使い方を考えなければそれなりの代償を支払わさせられる。オカルトの多くが神や悪魔に依存するのは、自分たちがなす無茶苦茶の理由付けだ。『神の御業』『悪魔の力』と言っておけば、それ以上の突っ込みようはなくなる。偉大なる神だろうと唾棄すべき悪魔だろうと、魔法や魔術といった種類の力の言い訳としては最大級のものさ。

 まあ、なんにせよ、彼らは本当に使い捨ての駒だったんだろうね。力の使い方だけ教えてもらっていたんだろ。神も悪魔も、彼らを護ることはしなかったわけだ」

 クロさんは倒れたチンピラに一瞥もくれず、大きな門を正面から眺める。

 ぶち壊すつもりなのだろうか。

 一瞬そんなことを思う。

「クロさんは大丈夫なの?」

「千秋が言ってただろ? エネルギーの権化だって。

 一応、今、千秋のバックアップに滅茶苦茶リソース割いてるから、ぼちぼち大変だけどな。それでもこの程度は朝飯前だ」

「そうだ。それも聞きたかったんだ。どうやって、あの子を治したの? マヤさんのとこでも治せなかったのに」

「内緒。企業秘密。ただ、まあ、あの子と俺だから出来てるってことではある」

 さて、こんなもんで良いかな、そんなことを言うとクロさんはくぐり戸を開けて、中に入っていく。

「え」

 もっと派手な突入を妄想していたから、随分と拍子抜けしてしまった。漫画で見たような溜めビームや、あるいは寸勁的なサムシングで手を当てただけで粉砕するのだと、心のどこかで期待していたのは内緒だ。

 僕も追いかけるように中に入る。

 絶句した。

 何十人という人間が、倒れて綺麗に庭に並んでいる。異様な風景だった。全員が胸に手を重ね、目を閉じ、仰向けで並んでいる。顔は、それぞれ着ていたのであろう上着や、近場にあったのだろうタオル等で覆われていた。

「なにこれ」

 眠っているのではない。遠めに見て、その多くが、おそらくは全てが生きていないだろうというのが、容易に感じ取れた。

 動揺して、僕はわずかに動けなくなる。

 相変わらず現実感は薄い。

 凄惨な死体の幻影や幽霊は、何度か黄昏のお茶会で見たことがある。先日の千秋ちゃんの姿も相当なものだった。

 しかし、この量の死体には初めて遭遇した。

「待ち伏せしてたやつら。君に凄惨な風景を見せたくなかったから、外傷なく即死させたし、きれいに並べたんだけど……余計に不気味だったかもね。ごめんよ」

 動揺してしまった僕をなだめるように、クロさんは苦笑しながら、優しく語りかける。その作った声音が、少し腹立たしい。どうして、どいつもこいつも、僕に死体を見せたがるのか。せめて、事前に一言案内が有っても良いじゃないか。

「人間兵器だからね、俺」

 なんの反応もできないでいる僕に、クロさんは大丈夫だと諭すように語りかける。

「俺の本気はこんなものじゃない。出力まだまだあげられるんだよ。まあ、とりあえず、この程度の相手なら君は絶対に死なないから大丈夫だよ」

 わざとすっとぼけているのか、どうなのか。僕が動揺しているのはそこじゃない。

 クロさんはそう話すと『とはいえ、とどまるのは得策じゃないね。行こうか』と奥に進んでいく。靴も脱がずに屋敷へ上がりこむ。

「さらに言うとこれでもリミッターかかってる状態なんだよ。

 五年前だったかな。そのリミッターを外して、俺を制御出来る子を殺しちゃったんだよね。俺を使って世界征服しようとしたもんだから。で、今は次の制御できる存在が現れるの待ちなんだ」

 少しだけ誇らしげに、人懐っこい微笑みでクロさんは僕を見る。

 それを聞いて、どう反応しろというのか。

 僕の戸惑いを知らず、クロさんは奥へと向かっていく。中は古いが造りのしっかりとした立派な屋敷だった。時折、周囲からばたり、だとか、がたんといった音が響く。

 具体的なものは何も見えないていないから、想像するしかないが、まさしく、今、人が死に、倒れた、そんな物音だ。

 そこそこ多いな。最近、オカルト界隈も不景気だからなあ。やっぱり景気が良いってのが平和には一番大切だよなあ。

 そんなことをぼやいているクロさんの態度が、僕の想像が正しいのだと教えてくれていた。

 さながら、ぷちぷちとアリをつぶすように。

 見えぬ場所に、今も山と死体が作られているのだと思うと不気味だった。だけれど、不思議なほどに現実感がない、夢の中を歩くように、僕はクロさんについていく。

「そうだな、釈迦に説法垂れるとしようか。魔王って、何処にいると思う?」

 だぶん、僕をなだめようとしているのだろう、穏やかに笑いかけるクロさんにうすら寒いものを感じた。

 ここに、と口から出かけたが、やめておく。

「地獄に」

「そう。それは一つの正解だ。絶対的善性を持つ、一神教的価値観の魔王というのは、たいてい、地獄にいる。さて、もう一つの居場所だが、魔王は天にいる」

 目に見えぬが死屍累々の地獄のような状況を自ら作り出しながら、クロさんは散歩するかのように屋敷を進んでいく。

「例えば仏教の世界の第六天魔王。かつて織田信長が名乗ったということで有名なこの魔王は、その名の通り、第六天にいる。天国とは違う。これは実は人間界よりちょっと上の世界の中の、一番上だ。一番下の第一天には四天王で四方を守る持国天、増長天、広目天、多聞天なんかもいたりする。聞いたことあるだろ? 詳細を知っているかはともかく、聞き馴染みのある守護神と言えば、って感じの神様たちだ。その一番上に魔王がいるってのはなかなか素人目にも含蓄深い。仏道を学んだ結果として、力を得る。そして、それは人間を守る力にもなりえ、人間を害する力にもなりえる。まあ、言い方を変えると自分が強くなればなるほど、敵も強くなる、そんなインフレバトル漫画的世界観ともいえるな」

 クロさんについていくと、いかにも分厚く重そうな、木製の扉があった。

「さて、ラスボスとのご対面だ」

 クロさんはその扉を開く。よく見ると、錠前替わりであるだろう、鉄の閂が切断されていた。これもクロさんによるものなのか。

 奥には、いかにも偉そうな紫と金の法衣を来た老人がいた。数人の護衛らしき人々に囲まれている。

「さて、こいつらはその第六天魔王の化身だったり、なんだったりと言われる大天狗の降臨を待っている。なんでも、大天狗は願いを叶えてくれるそうだ。彼らは乱れた世界を正す、そのために、今回の地獄を利用したいんだと」

「利用できるものなの?」

「さあ? 俺は知らない。知ろうとも思わない。で、そのために一般人を巻き込もうとしてた。現に、巻き込まれた人もいる。例えば、資金獲得の手段かつ、後方かく乱、一種のテロリズムとして『心を強くする』『願いを叶える』『良い夢が見られる』そんな煽り文句で願望の力を増幅する薬を売っていた。

 その結果、自身の強い思い故に怪物を生み出してしまった人もいた。こう表現すると、日曜朝の特撮チックだな。さて、感想は?」

 ああ、そうか。

 だから、連れて来たのか。

 老人が何事かを叫んでいる。が、何も聞こえない。そこまで来て、自分がどうやらある種の隔絶された状況にあるらしいことを知る。

 人が倒れる音や木々の葉擦れ、人の倒れる音といった、周囲の音は聞こえているのだから、器用なものだと思う。

 これも現実感のなさに一役買っていたのかもしれない。

 護衛たちが次々と、流血もなく倒れていく。

 いまだに何事かを大声で叫んでいる老人を見据える。

「くそったれ」

 老人がぴたりと止まった。

 首がずるりと落ちる。

 どさりと倒れた。どう言った訳か、血の一滴も流れない。良くできた粘土細工のようだった。

「『神は天にいまし、世は全てこともなし』だ。人間の暗躍程度でいちいち神様が降臨されたら人間はやっていけんのよ。

 困ったことに日本の神様は気まぐれで、時々、本当に降臨しちゃうのよな」

 神の降臨。

 ずいぶんとスケールの大きな話だ。

「最悪」

「そうだな、最悪だ」

 そうして、クロさんは頭をかく。

「けれど、あいつらは悪いことをしてるわけじゃない。実際、今日、俺が殺した奴らにだって、守りたい愛する家族がいた奴もいる。俺にかなわないと分かってて飛び出してきた勇敢な奴もいる。あいつらなりの大義もあっただろう。

 そもそも、奴らの罪は殺される程なのか? と聞かれたら誰も答えられない。

 例えば、あいつらが売ってた薬で自信の邪念が増幅して、怪物を生み出してしまったとして。

 聖書でいうところの『情欲を抱いて女を見るものは、それを姦淫したのと同じである』という考え方。つまりは、悪事をなしたいと考えた時点で、そいつは悪なのであって、それが表に出てしまっただけ、とも言えるわなあ。何を悪となすかはさておき、だ。

 ただ、一つだけ間違いないのは、あいつらは俺に戦いを仕掛けてきていた。これも厳密にどっちが先に手を出したのか、と聞かれたら答えられないのかもしれない。なにもわからないさ」

 ま、つまりはちっちゃな戦争みたいなものさ。

 そこで、僕の意識はすっと途絶えた。


 気付くと、僕はコンビニの前で、コーヒーを啜っていた。

 え。

 クロさんを見ると、どこか茶目っ気のある表情で、ウインクをしてきた。くそ。

「今のは?」

「お好きなように解釈するといい。必要以上に罪悪感を背負う必要もないさ」

 罪悪感。

 そう言われて、ようやっと、殺人の現場を目撃したのかもしれないという恐怖がやってきた。

 まるで、テレビか映画を見ているような気持ちで一連の様子を眺めていた。

 無数の不気味な死体への恐怖はあれど、殺人への恐怖はなかった。

 一体、なんだったのか。

 先輩の事を殺す夢を見たことが一度だけあった。

 その時と似た気持ち悪さだった。

 自分がつい先ほどまで殺人を何とも思っていなかった事と、自分が視たものが何かわからない気持ち悪さ。背中に怖気が走る。

 なんとなく、腹が立った。だから、一言嫌味でも言ってやろう。

 ちょっとした確信がある。

 千秋ちゃんを護るという仕事に、やる気がない訳じゃない、ただ気乗りしない。

 かつて、千秋ちゃんの叔母を救おうとして、失敗した。

 この救うと、護るの違いは、つまり。

「クロさんさ、もしかして千秋ちゃんに生きたい――救われたいって言ってくれるの待ち?」

 クロさんの表情が一瞬すっと消え、無表情になる。が、すぐにへらりとした苦笑を浮かべる。

 ああ、なるほど。確かに、プロフェッショナルだ。なんなら、クロさんの動きの中で、今日一番、プロっぽい側面を見たかもしれない。

「さあ、どうだろうな? ごまかしてるんじゃなくて、わからないんだ」

「何が?」

「自分が、どうしたいのか」

「うわあ……ダメな大人だ」

 先日、顔を合わせた時から、気付いていたが、クロさんとは妙にウマがあいそうだった。随分、年上なのになんなのだろう、この感覚は。

「人間、自分が本当に何をしたいかなんて分かってる奴の方が少ないんじゃないか?」

「そんなもんかな。僕は……僕は先輩と一緒にいられれば、それで良いんだけど」

「一緒にいる、ねえ」

 クロさんはちょっと思案顔をした後に、一万円札を数枚、僕に差し出した。

「今日のお駄賃」

 お金は欲しい。が、流石に突然すぎる。

 給料をもらうようなことはしていない。

 受け取りを拒否しようとしたところで、追い打ちをかけられる。

「先輩ちゃんとの時間を削ってまで、俺の話を聞いてもらった料金さ。

 それをもって、明日は遊びに行こうか。後輩君だって、お金の心配せずに、それっぽいデートしてみたいだろ?」

 それは確かにしてみたい。凄くしてみたい。

「先立つものがなければ何も思いつかない。想像して、願う。人間、想像外のことは、したいことの候補にすら上げられないものさ」

 くすりと笑って見せる。 

 くそ。なんか負けた気がする。

 そんな思いをしながら、そのお金を僕は結局、受け取った。

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