【004】AIよ、テルミンの声は聞こえているか?

 レフ・セルゲーエヴィチ・テルミンという人物を知っているだろうか。


 旧ソ連の物理学者であり、発明家であり、音楽家である。


 彼はある日、ふたつの高周波発振器である鉄の棒の間に手をかざすと、発振周波数が変化することを発見した。

 この発見からヒントを得たレフ・テルミンは、ふたつの発振器から出力される信号を混合し、低周波として取り出すことに成功する。

 さらにこの低周波を音色として出力することによって、空中にかざした手の動きに合わせて音色を奏でる電気的な楽器を作り出した。


 これが世界初の電子楽器『テルミン』である。


 当時のソ連指導者であったレーニンの前で『テルミン』を演奏したところ絶賛され、レーニン本人までもが演奏を練習するという熱狂ぶりで歓迎された。


 1930年代。


 ソ連が欧米諸国と競い合うようにテクノロジー国家を目指して躍進していた時代。レフ・テルミンは一躍時の人となり、政府の技術開発部から諸手を挙げて歓迎された。


 数年後。電子楽器『テルミン』の技術力を諸外国へ喧伝するため、アメリカへ渡り演奏会を開くまでになり、レフ・テルミンはその際に諸外国の同時代の先駆的な技術や科学者と親交を持ち、さらなる研究開発へと邁進していく。


 すべてが順風満帆だった。先進的な研究も、技術開発も、そのどれもが新たな未来を明るく照らす希望の光のように思えた。


 しかし、その輝かしい栄光にも影が忍び寄ってくる。

 世界が戦争へと突き進んでいった時代の、なんとも重苦しい影が……。


 1930年代後半。彼の平和の象徴とも言うべき電子楽器『テルミン』は、機能的にそのまま軍事転用できてしまうことが判明した。


 アメリカにおいてほぼ亡命状態にあったレフ・テルミンは(一節によれば)ソ連の秘密警察(KGB)によって拉致され、ソ連へと連れ戻されることになる。


 彼はそのままスパイ容疑で拘束され、強制収容所へと収監された。

 そして第二次世界戦争の最中、彼は特殊収容所へと移動し、ひたすらに盗聴器や時限爆弾のセンサーなどを開発させられることになったのだ。


 手をかざして音楽を奏でるシステムは、足が横切ると炸裂する地雷のシステムとなり、周波数を変換する高度な技術は、そのまま堅牢な暗号化システムへと変貌していった。


 世界大戦が終息していく1947年。レフ・テルミンはようやく刑期を終えて自由の身となる。


 アメリカへ渡航し、旧友と再会するも、晩年は再びロシアへ戻り、モスクワにおいてその生涯を閉じたのだった。


 彼はただ、電子機器が音を奏でるという面白さ、それを工夫してメロディを奏でる美しさを喜んでいた、ただそれだけの無害な発明家だったはずだ。

 しかし、結果として彼は時代に翻弄され、意に沿わぬ形で自分の技術が人を殺していく様を知ってしまった。


 僕は、過剰なほど便利になっていく人工知能の進歩を実感する度に、このレフ・セルゲーエヴィチ・テルミンの生涯を思い出してしまう。


 僕らがその便利さを享受し、創造性を刺激させるツールを使用して、新たな文化を作り出していこうとしている反面、そこには得も言われぬ黒い影のようなものの存在も感じてしまうのだ。


 AIによって管理されている検索エンジンには人々を監視し、その情報を収集する能力がある。


 AIによる自動運転による車両の開発は、自律制御によって街を蹂躙する戦車や戦闘ヘリにいともたやすく転用できるだろう。


 AIによる予測、予報の精度が向上し、囲碁では名人に打ち勝つほどの戦略性を備えているということは、そのまま戦争の作戦計画の立案、戦闘シュミレーションによる効率的な兵器の運用計画などが提案できてしまう。


 chatGPTのような大規模言語モデルを搭載した自然言語処理タスクに特化したシステムを使えば、国家規模でのサイバー攻撃、デマゴギーによる大衆心理の操作など、あらゆることが可能となってくる。


 人工知能が意識を持って人類に反抗するなんていう特異点シンギュラリティの問題よりも、もっと現実的に人間がAIを使ってデストピアを築き上げる方法の方が現実的で、それこそ無限に方法があるような気がしてならない。


 だけど、AIの理論を提唱し、その技術を実現させた人たちは、そのほとんどが善意から始まっているはずだ。音楽を愛したテルミンと同じように。


 人工知能のみならず、ブロックチェーンやNFTといった技術も、平和利用すれば全世界において教育を受けられないでいる子どもたちに最低限の知識と教養を与えたり、すべての文化的活動に正当な報酬が分配されるような社会へと変革させることができるほどのポテンシャルがある。


 社会がそれを望むかどうかによって、テクノロジーは変容する。悪にもなるし、救世主メシアにもなる。


 便利さに浮かれるばかり、気づいたときには人工知能なしには生活できない……なんてことにならないように気を引き締めたいものだ。


 ある日、目が覚めたら『ビッグ・ブラザー(※1)』、に管理されて、奴隷のような日々を過ごすことにならぬよう、僕らはもっとテルミンの声を真摯に聞いておくべきなのかもしれない。


(※1)ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する架空の人物。偶像の独裁者としてよく用いられる。





 ――なんてことを考えてしまうほど、あっという間に僕の生活にAIがするりと潜り込んできている。

 便利だし、楽しいし、これはヤバイ! 


 どこかの国の陰謀だとしたら、まんまと術中にハマっているわい!

 という危機感をちょっとシリアスタッチで書いてみました。


 chatGPTも、Stable Diffusionも、これまでできなかったことが数クリックでできてしまう夢のようなアウトプット・ツールである。

 あまりに画期的すぎて、爆速で拡散していき、すでに手がつけられないほどの亜種が誕生している。


 法的整備もままならぬまま拡散していくAIの遺伝子ミームは、今後どのように僕らの生活を変えていくのか。


 楽しみでもあり、恐ろしくもある今日このごろなのであった。

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