ワケナシ不動産

海洋単細胞

第1話 幽霊と住みたい男

「幽霊の恋人と一緒に住める物件を探してるんです。」

 人当たりのよさそうな、いかにも好青年といった風貌の彼はそう切り出した。


「ええと……?」

 腰かけようとして引いた椅子に手をかけたまま、古賀はワンテンポ遅れてやっと声を発した。彼は今なんて言ったのだろう。いや、聞こえてはいたのだが、いまいち意味が飲み込めない。

「恋人」

「はい」

「幽霊の?」

「そうです」

 参ったな、と古賀は思った。うちは確かに小さな個人経営の不動産屋だ。そのため、ときどき青柳所長からの紹介で変人が舞い込んだり、大手では取り扱えないような激安訳アリ物件を求めて生活に困窮している人が訪ねてきたりすることもあるのだが、「幽霊と一緒に住みたい」なんて人は流石に初めてだ。中途半端な姿勢のままでいたせいで腰が辛くなってきたが、かといってじゃあ幽霊も住みやすい物件ならこちらはいかがでしょう、なんて腰を据えて話を深める気にもなれなかったので、腰を伸ばして、彼にも席を立ってもらうように促す。


「すみませんが、冷やかしならウチはちょっと……」

「冷やかしじゃないです。胡散臭いこと言ってるのは分かってます。でも本当に今困っていて……ここなら色々な物件を取り扱っていると聞いて、もうここが最後なんです」

 青年はそれでも席を立とうとはしなかった。困ったことになった。なんせ嘘を言っているようには見えないのだ。今住んでいるところを追い出されたらもう住めるところがなくなる、そういった焦りが声に滲んでいた。


 新卒で所長に拾われて7年目になるが、不動産屋をやっていると、やっとの思いで住める物件を見つけた人や、月末まで居て良いと大家に言われたのに勝手な都合で追い出された人など、健康で文化的な最低限度の生活ギリギリのラインに立たされている人と向き合う場面がある。そういう焦燥感はどう隠そうとこちらに伝わってしまうもので、逆にそういう体で人をからかおうとしても容易に模倣できる類のものではない。彼からはまっすぐな不安が感じられた。

 幽霊云々はともかく、彼が今衣食住の瀬戸際に立たされているのは間違いないのだろう。事務員の森田くんがここに居たら「そんなんだから安い物件紹介しろとか値下げしろとか客が付けあがるんスよ」とお小言を貰いそうだが、生憎今日はお休みだ。


 やれやれ、と思いながら古賀は椅子に座った。なぜ幽霊を言い訳に使っているのかは分からないが、彼の頭に住みたい理想の物件があるのなら、不動産屋としてはそれを探す手伝いをしなければならない。

「わかりました。できるだけ、良い物件を探してみます」

ぱ、と青年の顔が明るくなる。

「本当ですか!信じてくれるんですか」

 幽霊についてはその存在を疑っているので、彼の言う事をまるまる全部信じたわけではないのだが……今それを突っ込むとまたややこしくなりそうだ。とりあえず物件探しを進めて、また幽霊のことで問題が生じればその都度対応していけばいいだろう。


 とはいえ、幽霊と暮らしたいという曖昧な条件だけでは、何百もある物件の中から最適解を探すことはできない。立地や間取り、バストイレは別がいいか、築年数は?予算は、駅からのアクセスは?といった具体的な条件をひとつひとつ丁寧に聞き出し、それに一番近い物件を見つける。それが不動産屋の仕事だ。その為にはいろいろと質問をしていかなければならない。……というか。

「そういえばお名前、まだお伺いしていなかったですね……すみません」

「え?ああ!こちらこそすみません、朝から飛び込みで……。僕は、」

 彼がそう言いかけたところで、入り口のドアベルがチリンチリン、音を立てる。2人目の客か?だとしたら大変だ、今は俺一人しかいない……と思ったところで入ってきたのは、ひとりの女の子だった。


 リン、と余韻を残しながら閉まる扉を尻目に、彼女は小さな声であいさつをした。

「すみません、少し電車が遅れて…。そちらの方々はお客さん、ですか」

 色素の薄い瞳で依頼人のあたりを見つめる彼女は、この春に所長が連れてきた新人の久瀬汐音さんだ。募集や面接は所長がひとりでやっているので直接顔を合わせたことは無かったが、履歴書には目を通したのですぐに気づいた。しかし今日は出勤日だったのだろうか。所長からは何も言われていないし、シフトボードにも名前はない。

「そう……だけど、あの、久瀬さんは今日シフト?」

戸惑ったように彼女は返す。

「今日から研修を始めると青柳さんに、……所長に言われたのですが」


 うちの所長はいい加減な所がある。自他ともに認める姉御肌でおおらかな雰囲気はとても好ましい一方、共有するべき事項を連絡し忘れる、書類の提出期限を守らないなどかなり大雑把な面が目立つ。そうは言っても流石に限度があると思う。新人研修を担当する部下に新人研修の日程を伝え忘れるなんてことあるだろうか?というか、社会人としてあってはいけないのでは?

 ともかく新人だという彼女には一切非はないので、自己紹介もそこそこに、とりあえず横に座って受けたてホヤホヤの新件を見ていてもらうことにした。


 依頼人の彼は名を戸塚悠人と言った。

 3月末まで普通にアパートで暮らしていたのだが、幽霊になってしまった彼女(名前は由梨花さんというらしい)が鳴らすラップ音が止まなくなり、楽器か何かを鳴らしていると思った住人達から騒音の苦情が相次いだ。2人はなんとか解決しようとしたのだが事態は好転せず、挙句の果てには風も無いのに下の階の洗濯物が飛んでいったり、隣のベランダの鉢植えが割れたりと、住民トラブルにまで発展してしまい、つい先日家を追い出されてしまったらしい。今までは物件探しの傍らカプセルホテルや漫画喫茶で何とか凌いでいたが、貯金も底をつきかけており、このままでは仕事を続けことすら危うい、となって最終的にここに転がり込んできたのである。古賀の勘は当たっていた。むしろ通り越して現実の方がギリギリアウトを超えていた。何はともあれ手遅れになる前で良かったと思う。

 しかしそういう事情で追い出されたとなると、条件に合う物件というものがかなり限られてくる。

「具体的にはどういう所が良いですか?立地とか、間取りとか。」

「そうですね……やっぱり、まず何より地縛霊が居ないところですかね。地縛霊は基本的にその場所から動けないので、由梨花と喧嘩しちゃうんです。一緒には暮らせないので……」

 頭を抱えたくなった。地縛霊が居るかどうかなんて登記には書いていないので条件に加えようがない。辛うじてできるのは過去に事件や事故が起こっていない賃貸をピックアップしていくことくらいだ。幽霊は信じていないが、彼が妄想する幽霊の緻密な設定にはいっそ感心する。幽霊同士はお互いを認識できて、馬が合わないと喧嘩になるらしい。今度から地縛霊に関する記載事項を増やしておくべきだろうか。

「な、なるほど。あと他にはありますか?できるだけ、その…物理的な条件で」

「あ!防音がしっかりしてるところがいいかな。引っ越した後ラップ音が収まる保証もないので。由梨花もその方が安心できるだろうし。前のアパートにいた時は、自分のせいで迷惑かけてるってずっと落ち込んでいたんです。」

 なるほどその由梨花さんとやらは、成仏できずに恋人に憑いて回るくらい未練があるのに、一方でとても優しく繊細な心の持ち主なようだ。ポルターガイスト現象で申し訳なさを感じる幽霊、ちょっと面白い。


 しばらく戸塚さんと二人で物件についてあれこれ話していると、手持無沙汰になったのか、久瀬さんは席を立ってオフィスの奥の方へ行ってしまった。しまった、退屈だっただろうか。古賀は自分たちだけで会話を進めて彼女を置いてけぼりにしてしまっていたことを反省したが、とはいえ入りたての新入社員にどういう物件がいいと思う?なんて話を振ることはできないのでどうしようもなかった。いろいろと考えが頭の中をぐるぐると回る。

 しかし、初めて部下を持つ響の余計な心配とは裏腹に、戻ってきた彼女は湯呑をふたつ乗せた盆を持っていた。お茶を淹れてきてくれたのだ。

 どうぞ、という小さな声と共に湯呑が、ひとつは戸塚さんの前に、もうひとつは物件情報と間取りをラミネートした案内の横に置かれる。頼りない上司の分も淹れてくれたのだろうか。ありがたいが今は飲めない。仕事中に出すのはお客様の分だけで大丈夫だという事をあとで伝えておこう。古賀は湯呑から物件案内に目を移した。

「ええと、今お伝えできるのはこのあたりですね。少なくて申し訳ありませんが、もっと詳しいことは管理人さんや大家さんに直接確認しなきゃわからなくて。実は……事故物件と言うのは基本的に3年が経過したら普通の物件として扱われるんです。でももしかしたらそれ以上長い間その……いる可能性とかも一応、考えてですね」

 彼の〝設定〟を逸脱しないように頭の中で考えながら話していたのでモニョモニョとした口調になってしまった。となりで肩を震わせている空気を感じる。久瀬さん、君の担当上司はものすごくバカっぽそうに見えるだろうが、これでも精一杯やっているんです。いもしない幽霊を怖がっているとか、顧客の押せ押せ感にひるんでいるとか思われているのかもしれないが心外だ、これはれっきとした、仕事人としてのパフォーマンスであって、決してお客様に屈しているわけでも、幽霊に恐れおののいているわけでもないのだ、と久瀬さんに届くはずもない思念を送っておいた。戸塚さんはああ、と頷いてから

「地縛霊の確認、ですか。そうですね……行けば由梨花が分かると思うんですけど、事前に調べておけるならそれに越したことはないですもんね!ありがとうございます、由梨花にかかる負担についても考えてくれて……。いろんな不動産屋を回ったけど、こんなにちゃんと考えてくれた担当さんは初めてです……!」

としみじみ感じ入っていた。

 そりゃあ不動産屋のドアをたたいて開口一番「幽霊と一緒に住める物件どこですか」ときたら大抵の業者はお帰り下さいと言うのではないか…と思ったが口には出さなかった。ウチはとにかく規模が小さいため、案件ひとつでも逃せないという金銭的に切迫した理由があって引き受けただけなので、そんなに感謝されると落ち着かない。というか、顔を合わせるように時々目線を横に滑らせて、何もない空間に微笑みかけるのをやめてほしい。もしかして〝そこに居る〟という設定なのだろうか。ここまで手が込んでいるともはやただの妄想と言うよりイマジナリー(ガール)フレンドとか、幻覚とかそういうたぐいのものなのではないだろうか。この言動のせいで周りに避けられて、病院やカウンセリングを薦める友人や家族とも疎遠になっているとか……。いやでも、戸塚さんには戸塚さんの生活と人間関係があるのだから、そんなところを無遠慮に突っ込むわけにも……。

 などと妄想が肥大化したところで久瀬さんに声をかけられ、現実に引き戻される。助かった。

「あの、私も内見にご一緒しても良いですか」

「え?ああもちろん。じゃあ研修も兼ねて、着いてきてもらってもいいかな。できるだけスピーディーに進めたいから、結構ハードなスケジュールになっちゃうけど……」

「大丈夫です。それに……先輩おひとりだと、危なっかしいので」

 最後の方は小声でよく聞き取れなかったが、危なっかしいって言わなかったか?今。三十手前のオッサンを指して、そんな……?確かに年上の威厳とかは全然ないと自覚しているけど、そんな…………?

「もうひとついいですか?」

「ア、 ウン…」

「このお茶……」

 久瀬さんが指をさしたのはさっき持ってきてくれた湯呑だった。ああ、俺がいつまでたっても手を付けないから、不審に思ったのだろうか。古賀はそう判断して、眉をへなっと下げて小声で伝えた。

「ああ、ごめん。ありがとうね。でもお客さんがいるときは大丈夫、あとでいただくよ。ありがとう。」

 純粋な好意でやってくれたのだから冷たい言い方にならないように……と思うあまりありがとうと2回言ってしまった。気まずい。しかし対する久瀬さんは、嫌そうな顔でも安心した顔でもなく、余計に不安そうな顔をした。

「……やっぱり。」

「え?」

「いえ……すみません。次から気を付けます。」

 彼女はお茶を遠回しに拒否されたことに怒るでもなく、悲しむでもなく、何か大事なことを確かめようとして良くない結果を得てしまったかのようにうつむいてしまった。何かマズいことを言ってしまったのか。彼女の不安げな顔が気にかかったが、その後戸塚さんが後日の連絡や内見の日程について尋ねてきたので、理由は聞かずじまいになってしまった。



 そうしてあれよあれよと内見の日がやってきた。

 うちが仲介している物件の管理人に片っ端から電話をかけまくり、3年以内に「殺人事件」「孤独死や不慮の事故死」「特殊清掃が必要になる死」が発生していない物件をピックアップし、さらにそこから防音、バストイレ別、収納多めの部屋を探し出す。

 なかなか骨の折れる作業だったが、そこを乗り切ってみれば案外少なく、最終候補に残ったのはたった4件だった。この4件のうちのどれかが、戸塚さんと由梨花さんのお気に召すことを願うばかりだ。

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