第3話 わたあめ

「みんなお疲れ様! 今からお昼休みにします!」


 綺麗なアートを施した黒板を背に文化祭実行委員が声を響かせる。

 呼びかけを合図に食堂へ行ったり、近くの机に友達と集まったり、各々好きなように昼休みを過ごし始めた。


「大輔、早く弁当食おうぜ。」


 岸津はリュックサックを漁りながら、こちらに背を向けたまま大きな声を出す。

 メイドカフェは最後に僕と岸津の作った看板がドアの上に飾られ完成した。まだ慌ただしい他クラスを見ると、このクラスはかなり順調に進んでいるらしい。

 窓の外には雲ひとつない青空が広がり、祖父の家でのんびりとわたあめを食べていた小学生の夏休みを思い出した。


「午後から予行だから、早く食って準備しねえと。」

「準備なんてすることある?」


 岸津はタッパーを持ち適当な席に着くと、こちらの様子を伺うこともなくタッパーの蓋を開けた。僕もリュックからお弁当箱を取り出すと岸津の対面に腰を下ろした。


「俺らは受付の予行が終わったらお客役するだろ。早く食って歯を磨きたいんだよ。笑った時に歯の間にハンバーグが詰まってたら汚いだろ。」

「確かに。」


 岸津は話しながら豪快にスプーンを動かし始めた。タッパーの下半分はご飯、その上はハンバーグや卵焼きなどのおかずが所狭しと並べられている。


「てか予行でメイド服着るらしいな。」

「え、今日は着ないんじゃなかった?」

「いや、変更して今日着るらしい。なんかサイズとかも確かめたいらしい。」

「そうなんだ。」

「律のメイド姿か〜。」

「気持ち悪いよ。」


 岸津は「うるせ」と言いながら笑った。岸津の口から食べかけのご飯が見えたが気にならなかった。

 僕も坂沙さんのメイド姿を思い浮かべて口角が上がったから、周りから見れば同じく「気持ち悪い」部類に入るだろうと思った。


「お、その唐揚げうまそう。くれよ。」

「あげるわけないじゃん。盗ろうとするな。」


 僕の大好物である唐揚げの争奪戦を繰り広げていると、岸津の後ろから川井さんが近づいてきた。傍には坂沙さんもいる。

 ふと、坂沙さんのメイド姿が先ほどまでよりも鮮明にイメージされて、一瞬ガードが緩まった隙に岸津に唐揚げを奪われた。


「岸津に家沖くん、おつかれさま! 岸津、ここ座っていい?」

「い、いいよ。」


 岸津はそう言って、右手に持っていた唐揚げを僕のお弁当に戻した。陰で悪口を言っていたら、その本人が現れた時のような表情をしている。

 川井さんの「岸津」呼びは昨日よりさらに自然になっている。この順応力が川井さんが人気な理由の一つだと思う。昨日の帰り際、廊下で川井さんと生徒指導主任の山田先生が話しているのを目撃した。そして、先生は離れたところで見ていた僕に気づくとすぐに表情を険しいものに戻し廊下を歩いて行ってしまった。

 少し残念そうな顔をした川井さんは「山田先生はいつもそうだよ」と言っていたけれど、少なくとも僕は山田先生が笑顔になっているのを見たことがない。


「家沖くん、その唐揚げ美味しそうだね。」

「うん、美味しいよ。食べる?」

「いいの? ちょうだい。」


 僕がお弁当を差し出すと、川井さんは箸で岸津が手に持った唐揚げではないものを1つつまむ。笑顔で「美味しい」と小さく呟く。


「俺にもちょうだい。」


 岸津にもお弁当を差し出すと、岸津が元々食べようとしていたものを右手で掴んだ。「確かにうまいな」と少々大袈裟に言った。


「わ、私も欲しいな。」

「うん、もちろん。」


 僕の隣の坂沙さんにも同様に差し出す。坂沙さんは控えめにお辞儀をすると、若干震える箸で摘むとゆっくりと口に運んだ。「この唐揚げ美味しいね」と僕の顔を見て言われたので、僕は咄嗟に目を逸らしながら「ありがとう」と返すことしかできなかった。

 僕の大好物は残り二つになってしまったけれど、全く悪い気はしないどころか快晴の空そのもののような気持ちになった。


「家沖くん、これあげる。私が作ったから味の保証はできないけど…。」


 坂沙さんは言いながら、僕のお弁当に卵焼きを入れてくれた。


「あ…ありがとう。」


 唐揚げの隣に置かれた卵焼きは、お母さんには申し訳ないけれどものすごく輝いて見えた。


「「おかえりなさいませ、ご主人様!」」


 受付を終え看板をくぐり店内に入ると、たくさんのメイドさんたちがお出迎えをしてくれた。店内はたくさんの風船や折り紙などで装飾され、本当に秋葉原にあるメイドカフェに来たみたいだった。行ったことはないけれど。


「こちらの席でよろしいですか? ただいま萌キュンウォーターをお持ちしますね。」


 右胸に「りつか」と名札のついたメイドさんが笑顔で会釈してくれる。

 僕と岸津はそれに対して律儀にメイドさんへ頭を下げて応えた。岸津も僕と同様に緊張しているのが伝わってくる。


「なぁ、大輔。律のメイド姿かわいすぎないか?」

「さすがに可愛いね。」

「俺、鼻血出そうだわ。」


 岸津は運ばれてきた水を一息で飲むと、大きく息を吐いた。

 岸津の表現は大袈裟だけれど、他クラスの人たちや先輩後輩が覗きに来るくらい人気なのは事実だ。

 当の川井さんはそのような視線には慣れているのか全く気にすることなく、お客役のクラスメイトに対して胸の前でハートを作り「萌え萌えきゅん」をしている。サービス精神もあるのか時折、ドアから覗く他クラスの生徒や先生方にも手を振っている。


「お、お待たせしました…あまあまわたあめです…。」


 坂沙さんが僕と岸津が注文したわたあめを持ってきてくれた。名札には「こい」と書いてある。


「あ、ありがとうございます。」

「なにかしこまってるのお前。」


 岸津が不思議そうにこちらを見ている。自分では平静を装っているつもりだけれど、言葉がうまく出てこなかった。

 坂沙さんはわたあめを僕たちに手渡すとすぐに注文を聞くために他の席へと行ってしまった。


「なぁ、坂沙ってあんなに可愛かったっけ? やっぱり律はライバルも多いし坂沙にしようかな。」

「なに言ってるの。」


 反射的に声のトーンが少し低くなってしまったけれど、岸津は気にする素振りを見せない。


「冗談だよ。冗談。俺は律が好きだからな。お、このわたあめおいし——」


 思わずため息が出た。決して岸津の冗談に対してではなく、岸津のように素直に好きといえない自分に対して。


「家沖くんは彼女いるの?」

「いないよ。」


 4人でお弁当を食べ始めて少し経った時、唐突に川井さんが訊いてきた。

 突然のことに少し戸惑ったもののすぐに答えた。これに関しては、悲しいかな本当のことなので全く問題ない。しかし、この後の質問に対する返答が、わたあめを美味しく食べられない原因になっている。


「じゃあ好きな人は?」

「いないよ。」


 再びすぐに答えてしまった。「いる」という二文字がとても恥ずかしくて変に強がってしまった。


「…本当に?」

「う、うん。」


 川井さんは取り調べをする刑事のように鋭い眼光でこちらを覗き、最後とばかりに確認した。これに対しても素直になれない自分にさらに失望した。


「なぁ、律は彼氏い——」


 これ以降、岸津が川井さんを質問攻めにしたため、昼休みの終わりまで僕は何かを訊かれることはなかった。

 坂沙さんは自分から質問することもなく、たまに川井さんから話題を振られると短く返事をするだけで積極的に会話へ参加することはなかった。また、お弁当を半分ほど食べたところで「お腹いっぱい」と言って教室の外へ出て行ってしまった。

 坂沙さんは隣の席で表情が確認できなかったけれど、声のトーンがいつもよりも低く感じた。


「急に暗くなったな。」

「本当だね…。」


 岸津の言葉に窓の外を見ると、昼を過ぎ少し西側へと傾いた太陽を雲が覆っている。下から上にかけて徐々にとんがっていき、ちょうど食べているわたあめと似ている。

 わたあめの食べた瞬間の甘さは、口の中で溶けた後もネバネバと張り付くようなしつこさを残し気分が悪くなる。


「はーい、撮りますよ。はいチーズ。」


 入店当初のテンションからだいぶ落ちていた時、チェキ撮影の練習をすることになった。川井さんの相手に立候補したのはもちろん岸津で、クラスメイトたちからの嫌みな視線を受けながらも全く気にする素振りを見せずに川井さんの隣を陣取った。


「家沖くん、伊香ちゃんの練習相手になってくれないかな?」


 岸津との練習を終えると、川井さんは遠くで眺めていた僕の方へとやってきた。川井さんの隣では坂沙さんがこちらの様子を伺っている。


「うん。わかった。」


 僕はそう言って坂沙さんの隣に並んだ。ポーズは胸の前にハートを作るだけのシンプルなものだけれど、心が締め付けられるように苦しくなった。


「家沖くん! もっと笑顔!」


 カメラを構えた川井さんに言われ、僕は慣れない笑顔を顔に貼り付けた。

 出てきたチェキは、坂沙さんが受け取った。


「け、家沖くん、ありがと。後でメッセージ送るね。」

「う、うん。ありがとう。」


 坂沙さんと僕はお互いにお礼を言い合うと、坂沙さんはすぐに他のチェキ撮影の手伝いに行ってしまった。

 ベッドに入り寝ようと電気を消した時、スマホから通知オンがなった。


 23:03 『今日はチェキを撮ってくれてありがとう! 写真の写真になっちゃうけど…』

 23:03 『(写真)』


 23:05 「こちらこそ! 写真の写真笑 確かに!」


 23:08 『明日本番で緊張する…笑』


 23:10 「坂沙さんなら大丈夫だよ笑 メイド服似合ってたよ!」


 23:11 『え、やった!笑』


 23:15 「なんでよ笑」


 23:21 『だって似合ってるって!』

 23:21 『お世辞でも嬉しい!!』


 23:23 「お世辞じゃなく可愛かったよ」


 23:23 『ありがと!』

 23:25 『なんか照れちゃうね…』

 23:28 『家沖くんは明日、誰とまわるの?」


 23:29 「岸津と午前中は一緒に回る予定」


 23:29 『あれ、午後は?』


 23:31 「岸津はメイドカフェの受付するから一人…笑」


 23:31 『私もシフト終わって午後は一人なんだ笑』


 23:33 「そうなんだ笑」


 23:33 『うん笑』

 23:37 『もしよかったら一緒にまわりませんか?』


 23:40 「いいけど、なんで敬語?笑」


 23:41 『いいの?』

 23:41 『なんとなく笑』


 23:44 「うん、シフト終わったら連絡ください」


 23:46 『わかった!』

 23:46 『なんで敬語なの笑』


 23:48 「なんとなく」


 23:52 『校門で待ち合わせにしよ!』

 23:52 『明日よろしくね!』


 23:59 「うん」

 0:03 「おやすみ」


 スマホを充電器にさしベッドに寝転がると心地良い疲労が押し寄せてきた。しかし、緊張と期待で心臓が落ち着く気配がない。無理やり目を閉じると坂沙さんが届けてくれたわたあめを思い出した。口に入れるとほんのりとした甘さを感じ、すぐに溶けて軽く残る後味がさらに次の一口を促す。

 記憶の中のわたあめは、食べている時なぜあれほど気分が落ち込んでいたのかわからないくらい美味しいわたあめだった。

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夕日が沈むまでに 志野理迷吾 @Shinorimaigo

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