先人の知恵を借りて
翌日の昼。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
モートン男爵邸の屋敷内の一室で、シャルはそう言って頭を下げた。
野乃の記憶の中からはホテルの宴会場を思い起こさせる、ちょっとしたパーティーが開けそうな部屋。
その奥の一段高くなった場所にシャルは立ち、集まった人々の顔を眺めていく。
モーリス始め、ペリランド商会の人たち。
ユリウス、ジャンポールと偽金貨を持ってきた行商人の男。
他にも、ジャンポールの呼びかけで集まった他の商店の主人や職人たち。
ジャンポールはリブニッツ伯爵にも声をかけたそうだが、どうやらいないようだ。
とにかく、数十人の男たち全員が、壇上のシャルにまっすぐ眼差しを向ける。
――もし転生なんてせずに、日本で学生生活を続けてたら。
教授たちを前にする研究発表も、きっとこんな感じなのかもしれない。
別にこれから審査される、というわけでもないのにシャルは少し緊張してくる。
脈が速くなったような気がする。頭の中で、これから喋ることがぐるぐる回りだす。
……いやいや、わたしがこれから話すことは未知の新研究とかではない。
地球では現代よりおよそ2200年前に発見された物理学の法則だ。そしてこの世界でも当然成り立つはずのものである。
――だったら、いつも通り、学校で教えるときのようにやらないと。
相手が子どもから大人に変わった、それだけの話である。
「これからお話するのは、金や銀に混ぜ物が入っていないかを調べる方法……より正確に言えば、ある物体の密度を比較するための方法です」
密度という言葉は、この世界に存在したっけ?
一応概念的には『一定体積あたりの重さ』という値の必要性は認識されているらしいが。
……まあ、単位がめちゃくちゃの世界でそんなものを測ったところで……とシャルは思う。
もちろんベース法においては、基本単位の計算で求められる組立単位の一つとして、密度もしっかり明記している。
「必要なのは、混ぜ物がされてるか調べたい物体と、それと同じ重さの金や銀」
壇上のテーブルの上に置かれた偽金貨と、ジャンポールとモーリスが用意してくれた同じ重さの金の塊をシャルは示す。
「それと重さを測るための天秤棒、そして物体を沈められる程度の水槽です」
水の張られた水槽。観賞用の小さな魚を入れればそのままインテリアとして使えそうだが、今日はそういうことはしない。
「始める前に、少し理屈を説明しますね。……物体の中には、水に浮くものがあります」
シャルは、あらかじめ拝借しておいた積み木――普段エルビットが遊んでいるものだ――を一個取り出し、水槽の中に落とす。
木材を加工して立方体にしたそれは、少し沈んだがすぐに浮き上がり、半分ほど水面下に浸かった状態でプカプカと浮く。
「なぜ浮くのかというと、水が支えてくれるからなのですが……では、いったいどれぐらいの力で水は物体を支えてくれるのか」
喋りだすと、気分が落ち着く。
シャルはここで一旦周囲を見渡す。
「……ユリウス様、ご想像はつきますか?」
「え、えっと……そりゃあ、その積み木が沈もうとする力よりも強い力だろ? そうじゃないと沈んじまうんだから」
「そうですね。ところで、当然水に沈む物体というのもあります」
シャルは今度は、銅貨を一枚水槽に落とす。
銅貨はゆっくりと水の中を落ち、水槽の底にコトリと到達した。
「なぜ積み木は浮き、銅貨は沈むのでしょう? ユリウス様」
「銅貨の方が重いからじゃないのか」
「はい。正確には、銅貨の方が沈もうとする力が強いからです。水が支えてくれる力より、沈もうとする力の方が大きいから銅貨は水に浮くことができない」
ここで重さと沈む力、すなわち質量と重力の違いを指摘して解説してもいいが、それは脱線も甚だしいというものだろう。ベース法の案には軽くそれも書いておいたが、今はその話は後回しだ。
「ですがユリウス様、重さで言うのなら、船はこんな積み木や銅貨よりずっと重いですよね? なのに船は沈まない。人がたくさん乗っても、積み荷をたくさん載せても。なぜでしょう?」
「…………あれ、なんでだ?」
ユリウスがフリーズする。
……わかります、その気持ち。講義の内容が全くわからないときって、そうなりますよね。
「それは、船が大きいので、より多くの水が船を支える格好になるから……でしたっけ? 昔そんな風に聞いた覚えがあります」
ジャンポールが声を上げる。
「男爵様、正解でございます。水が支えてくれる力は、物体の大きさ……体積によって決まるのです。そして、その力が物体の重さによって決まる沈む力より大きければ、物体が水に浮き、沈む力のほうが大きければ、物体は水に沈みます」
「重さと体積の両方が重要、ということですか」
「はい。積み木が浮くのは、体積は小さいけど、軽いから。船が浮くのは、重いけど、体積が大きいから。銅貨が沈むのは、体積が小さい割に重いから。……物体の浮き沈み、またどれぐらいの勢いで沈んでいくかというのは、重さと体積によって決まるのです」
そう言いながらシャルは天秤棒の片方の端に偽金貨を、もう片方の端に金の塊を細い糸でくくる。
天秤棒を糸で吊るすと、偽金貨と金の塊はどちらに傾くこともなく止まる。
「さて、ご覧のように、二つの物体の重さは同じです。……ならば、二つの物体の沈み方に差が出れば、それは体積が違うということにほかなりません。もし重さも体積も同じなら、この天秤を水中に入れても釣り合うはずなのです」
「……な、なるほど……」
「シャルさん……あなたは本当に天才なのですね」
シャルの言いたいことがわかり、集まった商人たちからざわめき声が響く。
……天才か……
自分は過去の人たちのひらめきを後から知り、真似しているだけなのに。
決して自分が思いついたものではない。それをさもたった今考えたかのように語ることに、シャルは罪悪感を覚える。
古代ギリシャの科学者・アルキメデス。彼が、王から『この金の王冠に混ぜ物が入っていないか調べてほしい。ただし、王冠を壊したり溶かしたりせずに』と頼まれたときに考え出した方法が、水が支えてくれる力、すなわち浮力の性質を使ったこのやり方である。
入浴中にこれを思いついたアルキメデスは、喜びのあまり『ヘウレカ(わかった)!』と叫びながら裸のまま走り出したらしいが、シャルはとてもそんな気分ではない。
かと言って、『実はこれは大昔にある人が考えた方法で……』と言い出すのも面倒になりそうな気はする。やっぱり、転生のことを話す気にもなれない。
「いえ、きっとわたしでなくてもこの方法に行き着く人はたくさんいるでしょう。それに、これをやるためには比較用の同じ重さの金や銀が必要です。方法を思いついたとしても、実際にやるには少し手間がいる」
だから、シャルはこうやって謙遜することしかできない。いや、謙遜になってるのかもわからないが。
「でも、それを用意できる男爵様なら、この方法で偽金貨を見破ることができます。一枚一枚やらなくてはいけないので、多少時間はかかるかもしれませんが……」
シャルは吊るされた偽金貨と金の塊を、平行を保ちつつ水中に沈める。
……天秤棒はゆっくりと、でも確実に金の塊の側へ傾いた。
そこでシャルの緊張は、ようやく完全に止まったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます