理系女子大生、異世界でメートルを作る

シャルの思いがけない交渉

「フランソワ公、確かに今の彼女の言動は無礼なきらいがありますが、主張自体には一理あります」

　まただ。1パップスの話をした研究者が、フランソワ公に向かって一歩進みでる。

「噂に名高い、シンプルでわかりやすい正確に測れる時計というのが本当ならば、未だかつてない画期的なものです。この研究施設の大きな成果になり、フランソワ公の発言力にも影響が出るはずです」

「予算もたくさんつけてもらえます」

「かねてより我々がお願いしていた、施設の増築も……」

　若めの研究者数人から、続いて声が上がる。

　……王家直属の研究機関でも、予算とかで悩んでるんだ……と、シャルの中の野乃がため息。

「だからといって、私に譲歩しろというのか！」

　しかしフランソワ公の一喝で、研究者たちの首がすくむ。

「いや、ですが……」

　なおも食い下がった一人の研究者の襟元に、フランソワ公の右手が無言で伸びる。

　――伸びた、その時。

「フランソワ公！」

　屋上の外から、大声が届いた。

　呼ばれたフランソワ公はバツが悪そうに右手を下ろすと、声のした方向へ。

「なんだね！」

　建物の斜め下にいる兵士に向かって、フランソワ公は屋上から少し身を乗り出す。

「そちらに、メイ様はいらっしゃいますか！」

「いないぞ！　なんだ、また行方不明になったのか！」

「申し訳ありません！　今捜索中でございます！　お手すきであれば、フランソワ公も捜索にご協力するよう、皇太子様からのお達しです！」

「……わかった！　今行く！」

　そう言うと、フランソワ公は息を吐く。

　メイ様というのは、５才になる現国王の孫娘である。

　国王・王妃夫妻にとっては初孫ということもあり、非常に可愛がられているが、好奇心旺盛で少し大人が目を離すとすぐいなくなる。その度に、城内は大騒ぎだ。

「あの……フランソワ公……」

「話は後だ！　お前らも捜索を手伝え！」

「しかし、我々には研究が……」

「いいから早くしろ！　国王陛下がご立腹になる前になんとしても見つけ出すのだ！」

　フランソワ公の有無を言わさない物言いに、研究者は慌てて屋上を出ていく。

「あの、フランソワ公？」

「……タイミングが良かったな。ペリランド商会、落とし前は後できっちり付けてもらうぞ」

　シャルとモーリスにそう言って、フランソワ公自身も下への階段を降りていった。

　＊＊＊

「シャル！　貴族相手に変な態度を取らないでくれ」

「貴族だからって平民を煽っていいことにはならないでしょう」

　屋上で二人だけになると、モーリスはまずシャルを叱りつけた。

「別にフランソワ公が良いとは言ってない。ただ我々のように貴族と取引をするような平民は、ある程度我慢も大事だってことだ」

「じゃあお父様は、田舎者と見下されて嫌ではないのですか？」

「そういうことじゃない、冷静になれと言っているんだ。相手は貴族、それに王家の親類だぞ」

　貴族だからなんなのよ。

　だいたい、貴族と平民の、どこがどう違うっていうの？

　……野乃の記憶に目覚めたとき抱いた素朴な疑問が、またシャルの中に浮かび上がって。

「それだけの人物なら、取引相手にするには格好でしょう、お父様？」

「シャル、お前、最初から……」

　微笑んだシャルを見て、モーリスは察する。

　最初からシャルは、このペリランド式日時計を交換条件にして、単位を統一するという主張を受け入れさせようとしたのではないか。

　一度モーリスとジャンポールに提案した後も、シャルが計画のために何やら色々していたことぐらいは、モーリスもなんとなく把握していた。まさかこの王都で、王家の関係者に話をふっかけるとは、予想外であったが。

（まさか王家の親類に直接話ができるとは、さすがに予想外だったけど）

　そのシャルの心中まではわからなくとも、モーリスを驚かせるのには十分だった。

　……我が娘ながら、底知れなさ過ぎる。

「実験は一時中止したんで、屋上にいる理由も無いですよね。お父様、中に入りません？」

　そう言って屋上を去ろうとする、まだ10歳の自分の娘が、モーリスには見知らぬ誰かのように思えた。

　シャルとモーリスは一階まで降りてきたが、フランソワ公も、他の研究者たちも全員出払っている。

「……我々もメイ様を探すべきだろうか？」

　チャンスとばかりに研究室の隅々を見て回るシャルに対し、モーリスは窓の外を見ながらポツリ。

「でもお父様、メイ様の顔は……」

「……見たこと無いな」

　シャルは野乃の記憶の中にある、時代劇作品を思い出す。

　将軍や偉い人が素性を隠して街で遊んだりとか、世直しの旅に出たりとか、なんで誰も気づかないんだよと思ってたけど、そもそも偉い人の顔を見たことない人が大多数なのだ。写真なんてものは当然存在しないし、気づくほうがおかしい。

　現にシャルはもちろんのこと、モーリスも、王室の人間の顔を誰一人として見たことがなかった。

　時たま届く噂で、メイ様というのが国王・王妃夫妻の初孫だということは知ってるが、そんなものだ。

（でもさ、お姫様なら顔分からなくても、服装とかで目立ちそうなものじゃない？）

　先程のフランソワ公の例を見ると、普段から王家や大貴族の人間はそれなりに派手な服装をしているのではないかという想像が、シャルにも容易にできる。

　シャルが今まで見たことある貴族の娘はみんな、童話の中のようなきれいなドレスを着ていた。ましてや王家のお姫様である。

（どこかに隠れてても、この庭の中なら色合いですぐ分かりそうな気がするけど……）

　そう、例えばあの窓の向こうに見える、木々と茂みに紛れて動く鮮やかな青色のように……

　……！

「どうしたシャル？」

　モーリスの言葉も聞かず、シャルは手近な出口から建物の外に出る。

　シャルたちが入ってきた玄関の反対側、建物の裏はすぐ林になっていて、奥には城壁が見えている。

　裏口からシャルが出ると、ほぼ目の前で青いひらひらが動いていた。