貴族には何もわからない


「――ですから、新しい単位を作る必要があるんです。そのために必要なのは、絶対的な基準。それを知るために必要なのが、この日時計なんです。それで……」

 

「残念ですが、その考えには賛同しかねますな」

 

 

 シャルが、いよいよ新しい時間の定義に踏み込もうとしたその時、それを遮る声がした。


「……どちら様です?」

「ご存知ないのですか? この方は、当研究施設長でもおられるフランソワ公ですよ?」


 研究者たちが、いつの間にかそこにいた髭面の大男に向かって、一斉に頭を下げる。

 それを見て、シャルとモーリスも慌てて追従。


「失礼しました、フランソワ公。実際に顔を伺うのは初めてですので……」

 モーリスが答える。


 フランソワ公――えっと確か、現皇太子妃の腹違いの兄……だったかしら? 

 シャルは記憶を辿ってから、目の前の大きな身体をちらり。


「まあまあ、地方の商会なんぞが王族の顔を見たこと無いのは仕方ないでしょう。それより……新しい単位でしたか?」


 そう言ってフランソワ公は目線を落とし、シャルを舐め回すように見つめる。

 明らかに横幅が広いその身体、服にも贅沢な飾り付け。それらを見せびらかすように、空いている左手で裾を触る。


 ――こんな印象の良くない貴族、この世界にもいるんだ……シャルの気分が少し沈む。


「妄想は結構ですが、所詮妄想ですな。そんなもの私を含め、各地の貴族が許すわけないじゃありませんか」

「……しかし、フランソワ公はお困りの経験は無いのですか? 例えば、報告書に記載の数量が合わなかったとか……」


「うむ、そういう計算は使用人に任せているので、気にしたことはないですな。計算間違いがあったら、その者に罰を与えれば良い話です。他の貴族も同様のはずですよ」


 そのフランソワ公の言葉は、淡々としている。

 貴族には関係のない話だ……そう言わんばかりに。


「しかし、間違いが続いたら、実害が出るのではありませんか? フランソワ公も、あまり使用人がミスばかりしていたら困るでしょう」

「その時はクビを切るのみです。……特に中央の、発言力の強い貴族は何も現状に不満ありません。伝統文化に紐付いた、歴史ある単位を変えることに、我々には何一つメリットなんて無いんですよ」


 ……シャルとフランソワ公の間には、大きな隔たりがある。

 平民と貴族との隔たり。それはシャルの考えているものより、ずっと大きい。

 

「ここの研究者や、あなたたちのような平民は困っているかもしれませんが、平民だけではこの社会は動かせないことぐらい、わかるでしょう? それとも田舎者のあなたには、難しい話です?」


 それぐらいわかってるわよ、と言いたいのをシャルはこらえる。


「はなから無理なことをやっても時間の無駄ですよ。そんなことに精を出すぐらいなら、お茶くみや料理の練習でもしたらどうです? 家のためにも、そろそろ嫁ぐ準備をしなきゃいけない頃合いでしょう。女が出しゃばったところで、いいことないですよ?」



 ――シャル、我慢の限界。


「なるほど。つまり、わたしがどれだけ主張しようとも、困っているのは平民だけなので、実際に法令を出す貴族を動かすことはできない、とおっしゃられるのですか?」

「メリットが無いと人は動かない、当たり前でしょう」

 

「わかりました。では今からわたしは、あなたのメリットを取り上げます」


 そう言うとシャルは、台の上からペリランド式日時計をすっと持ち上げた。


「ちょっと?」

「この日時計の話は、無かったことにしましょう。せっかく正確な時間を測れる機会を提供しようと思ったのに、残念残念」


 研究者たちの声に、シャルはわざとらしく大声で答える。


「待ってください、シャルさん。その日時計がちゃんと機能するということが、まだ我々には分かってません」

 そう声を上げたのは、さっき1パップスの話をした研究者だ。


「そうですかそうですか。フランソワ公が、出しゃばってもいいことないと言いましたので、その通りにしようと思うのですが、不満でしたか? ……あっ、そうですよね。もともと皆さん、この時計の仕組みが気になってたんですもんね」


「シャル……」

 モーリスの言葉も聞かず、シャルは喋り続ける。


「フランソワ公は、ここの研究施設長なんですよね? この時計の仕組み、理屈を成果として国王陛下に報告すれば、手柄になると思うのですが? まだ話してないこの時計の秘密、たくさんありますよ?」


 

「……それで?」

「わたしの主張を、貴族の勝手な理由で切り捨てたことを撤回してください。そして、新しい単位を作るということの重要性を認めてください」


 シャルはフランソワ公を見上げる。

 この男は、なんにもわかっていない。

 王家の親類になるほどの大貴族であるこの男には、毎日計算ミスで多くの問題が発生している現状など、きっと見えていないのだ。いつかそれが自分の首を絞めることになる、そんなことなど全く眼中にない。


 ……それこそ、毒抜きに失敗したキノコでも食べない限りわからないのだ。

 いや、大貴族の料理は事前に使用人が毒味するだろうから、それでもわからないかもしれない。


 フランソワ公の視線は、明らかにシャルを見下していた。


「……お前、私がどのような人間かをわかってそんなことを言っているのか? 子供だから無礼は許される、とでも言うのか?」


 声を荒げるフランソワ公。モーリスも、研究者たちも、周りの大人は動けない。


 

 ……と思ったら。

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