誤差も積もれば無視できない
「真北ってどっちですか?」
示された方向に棒を合わせて、シャルは日時計を屋上の台の上に置く。
幸い、今日はよく晴れている。
はっきりした影が作られ、目盛りの一点を示す。
今はちょうど、太陽が真南を指したところだ。
「では、これから日没までの間、この影が等速で動き、正確に時を刻むことをご覧いただこうと思います」
……日時計の噂は、この研究者たちももちろん知っている。
セーヨンに、シンプルな目盛りで今までよりずっと正確に時を刻める日時計がある……それが大嘘だとは思わない。新興とはいえ、貴族であるモートン男爵家が理由もなくでまかせを言うはずはない。
――でも。なんで、そんなことができるのか?
そしてそれを、本当に目の前にいる小娘が考えたというのか?
現実には、ちょっと考えがたい話だ。
「……さて、この日時計を観察する間に、わたしから皆さんにお話したいことがあります」
シャルは呼吸を整える。
これを話すために、今日まで準備してきたのだ。
「わたしがこれを作ったのは、時間の単位の基準を作るためです」
「単位の基準? それはマイントとかアナーのことでは?」
「いえ、そういうことではありません。誰にとっても厳密な、普遍的な時間の単位……それを作るための作業です」
「……普遍的?」
「はい。どこの誰にとっても、同じ1マイント、1アナー、1ジョア……それが、わたしが欲しいものです。いえ、時間だけではありません。長さ、面積、体積、重さ……」
研究者たちが、一同によくわからないというような顔をするのが、シャルにはわかる。
「全世界の、いつでもどこでも、換算無しで使える新たな単位の形を作りたいのです。――皆さんもありませんか? 単位の計算で苦労した経験は……」
屋上に来るまでに研究施設の内部を少し見てきたが、計算式の書かれた羊皮紙がいろんなところに見えた。
野乃の記憶の中の研究室とは似ても似つかないが、学術研究のために計算が必要なのは、どこの世界も変わらない――シャルは確信していた。目の前の人たちも、単位で苦労しているはずだ。
「……確かに、新入りと話が合わないということは、ままあるな」
「研究資料を仕入れて、数が合わないということもあったが……」
よしよし、やっぱりそうだ。シャルは心のなかでガッツポーズ。
「ただ、だからといってわざわざ新しい単位を作るなんて、そんな必要があるんでしょうか?」
「正直、労力が……」
「はい。パッとできることではありません。ただ、結論から言いますと、そこまでする必要はあります。既存の単位を使うのには限界があります」
シャルは力強く言い切る。
「な……なんでそんなことを言うんです?」
「昔から使われてきて、それで誰も困ってないのに?」
……シャルから言わせると、どうして困らないんだとしか思えないのだが。
「では皆さんにお聞きしたいのですが、普段使っている単位の中で、はっきりとその定義を言えるものって、どれだけあります?」
「定義?」
「はい。だって、定義を知ってないと、正確な値は言えないでしょう? 手を広げてこれぐらいの長さ、とかは無しですよ?」
後ろで聞いているモーリスは心配になる。
……大人相手に、まだ10歳のシャルがこんなことを言って、大丈夫か?
そう思わせるほどに、シャルの口調は厳しい。
「……私の故郷では、かつて火山の噴火から住民を救った、パプワという人物の手の長さを1パップスとしています」
ややあって、一人の研究者が手を上げて言った。
シャルはそれを聞いて、手元にある、ユリウスが作ってくれた単位一覧を取り出してその記載を探す。
「……はい。南部の山岳地帯ですよね。名前が少しずつ変わっていますが、各地の街に似たような伝承があって、そこから単位が生まれています。……ところで、手の長さって、どうやって測ったんです?」
「以前はどうだったのかは不明ですが、私の故郷の街には中心部にパプワの銅像がありまして、それを元にしています」
「では、その銅像はいつごろできたものです? 場所はどこに?」
「場所は神殿正面の広場です。いつというのは、さあ……私の祖父が生まれた頃にはもうあったそうですから……」
答えてくれた研究者は、モーリスと近い見かけ。
若く見積もっても40代は確実だろう。……ならば。
「そんなに昔から屋外にある銅像なら、風や雨で相当すり減ってますよね。ということは、それを元にした1パップスの長さは、ちょっとずつ短くなっている……ということになりません?」
「……確かにそうでしょうが、しかしそんなの微々たるものでは? 現に老人の方と話してても困ることは無いですし」
「でも、例えばそのパプワの時代の資料が見つかったとして、当時の1パップスと今の1パップスって、どれぐらい違うんでしょうね?」
「……」
シャルが調べた範囲だと、そのパプワというのは今から500年ほど前の人物だ。なんなら、実在していたかどうかもちょっと怪しいレベルである。
「もしそこに実験や観測の記録が書かれていたとして、それを今読み解いて再現しようと思ったら? それが、あなたの孫やひ孫の時代だったら?」
「……」
「わたしが本で読んだ言葉に、『ちりも積もれば山となる』というのがあります。微々たる違いでも、何世代も経てば、それはきっと無視できないレベルの誤差として現れるでしょう」
研究者たちから言葉は出ない。
シャルの主張を伝えるのには、もう十分だ。
「……こんな状態では、とても定義とは呼べません。他の単位も、そんなのばかりです」
シャルは追い打ちをかけるように、手元の単位一覧を読み上げる。
「人物の身体を使用した長さや重さの単位は、あまりにもブレが大きすぎます。ひどいものだと、『叫び声が聞こえる一番遠い場所までの距離』なんてのがあったりします。こんなの、測る度に変わってくるじゃないですか」
これを見たときの絶望と言ったら……なぜこんなのが今まで使われ続けていたのだろう。
シャルはその後もひとしきり単位一覧から、これは駄目、あれは不十分と言い続けた。
そして一回息を吐いてから、まとめにかかる。
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