たやさま
こんにちは。
いつもいろいろと考えさせられます。
感覚過敏な人間が他の人と同じように行動できるよう、過剰な刺激を自分で制御するのではなく、そのような傾向は大なり小なり万人にあるものだとして、環境側を制御するサービスとして全員に提供するという考え方、面白いです。
おそらく、学校にあるルールの大半は些末なことなので、子供社会で毎年ルール改定をやらせると、また学びになるかもしれませんね。
危惧するのは、「主役である子供たち」の「主役」は、えてして声の大きな子供、となることです。まったく意見の言えない子にとっては、結局はお仕着せられるだけ。また、自分の意見が通らないことを不満に感じるだけで、意見を言えることの大切さを学び取れない子供も出てくるかもしれません。そのあたりをどこまで丁寧に拾っていけるかを考えないといけないんだよなあと思わされました。
作者からの返信
佐藤様
いつも温かいコメント、ありがとうございます。
おっしゃる通り、学校は本来子どもが主役であり、それは意見を言える子だけではなく、どんな子でも大事な主役であることを考えておく必要があるんですよね。
物語の中では、声に出せなくても頭の中では子どもたちは素晴らしい想像を思い描いていることを大切に書くよう意識しています。
すごいですね。個人の体調に合わせて周りの環境を自動で整えてくれる、そんな学校があれば、気持ちよく安心して学校に来れる子たちが増えるんじゃないかなぁと。子どもたちだけでなく、そこで働く大人にとっても、心地よいかも。
読みながら、こんな学校があれば、というか、世の中の様々な職場もみんなこんな風にできるのなら、と思いました^^
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そうなんですよね。夢のような話かもしれませんが、こんな風な心地よさがいろんな場面で広がってくれることを願いたいです。