「――入りなさい」


 扉の向こうから呼ばれる。

 俺たちが転移したのは王座の間の前だった。

 扉に触れることなく勝手に開く。

 招いているんだ。

 この城の主が。

 扉の先の玉座に、彼女は座っている。


「おかえりなさい。グリム、ヴィル、それにリイン」

「ただいま、魔王」


 彼女は俺たちを見てニコリと笑みを浮かべる。

 傍らにはいつものように先生の姿もあった。


「よぉ、リイン。元気そうだな」

「はい。おかげさまで。先生もお変わりなさそうですね」

「人間と一緒にすんな。たかが数日で何も変わらないぞ」

「俺たちだってそこは一緒だから」


 先生との何気ない会話は落ち着く。

 我が家に帰って来たような安心感だ。

 なんていうと、本物の我が家と両親に泣かれるかな?

 魔王が俺に言う。


「来る頃だと思っていたわ」

「――やっぱり見ていたんだな」

「ええ」


 魔王アスタロト。

 彼女が所持する術式の一つに『千里眼』というものがある。

 この魔王城にいながら、世界全土を見渡すことのできる術式だ。

 魔力量によって効果範囲が上下する力だが、彼女が使うと死角はない。

 学園での様子も、千里眼の術式で把握済みだろう。


「状況はいらなそうだな」

「ええ、でもその前に、挨拶はしておいたほうがよさそうね」


 魔王の視線は俺ではなく、後ろにいる彼女に向けられる。

 俺たちは帰ってきた感覚だが、一人だけそうじゃない。

 彼女にとってここは敵地。

 そして向かい合うのは、それぞれの代表。


「初めまして、魔王アスタロト。お会いできて光栄です」


 片や人類の代表、イブロニア王国の王女、ミストリア・イブロン。

 

「ええ、私も光栄よ。人類の可愛らしいお姫様」


 相対するは魔界の王。 

 善世界最強の存在、魔王アスタロト。


 人類と悪魔。

 両者は何百年も前から敵対し、今も争い続けている。

 その代表が手の届く距離で見合う。

 魔王を前に人間の王女なんて無力だ。

 けれど彼女は動じない。

 いつものように毅然と振舞い、優しい笑みを浮かべる。


「お噂通り、お綺麗な方なのですね。驚いてしまいました」

「あら嬉しいことを言ってくれるわね? 人間界でもあたしの魅力は伝わっているのかしら」

「ええ、魔王は絶世の美女であると」

「ふふっ、そういうあなたも素敵よ?」


 ふいに魔王の姿が消える。

 気づけば彼女は俺の横を通り過ぎ、王女様の前にいた。

 魔王の手が、王女様の頬に触れる。


「肌も綺麗ね。食べてしまいたいほどに」


 妖艶で鋭い視線が王女様に向けられる。

 以前、俺も似たようなことをされた時、咄嗟に下がってしまった。

 だけど彼女は俺ほどの身体能力はない。

 反応した時にはもう、逃げる隙はないだろう。

 

「こんな場所に一人で来るなんて、危ないとは思わなかったのかしら?」

「――思いませんでした」


 彼女は動じない。

 逃げられなかったのではなく、最初から逃げる気なんてなかったように。


「だってあなたは、私に何もしない。あなたは私に興味がないから」

「……」


 彼女の眼は、相手の感情を色で認識する。

 そして肌で触れ合えば、相手の考えだけでなく過去まで覗くことができる。

 この術式効果は、魔王にも有効なのだろうか。

 今、彼女たちは触れ合っていた。

 ならば王女様は魔王アスタトロの過去を捉えている?


「あなたは興味のない相手に無駄な時間を使わない。だから私にも、何もしてこない。それにあなたは……私を敵だと思っていないのでしょう?」

「――ふふっ」


 魔王は呆れたように笑い、その手を頬から離す。


「まったく、リインといい最近の人間は肝が据わっているわね」

「はっはっはっ! イカレてるのはリインだけじゃなかったな! よかったじゃないか、リイン」

「何がよかったですか」

「……ふぅ」


 王女様は小さく息を吐きだす。

 さすがに多少の緊張はしていたみたいだ。

 それでも凄いをしている。

 魔王を相手に最後まで態度を崩さず、笑顔で話をしていたのだから。


「確かにその通りよ。でも残念ね? 今は少しだけ、あなたに興味が湧いてきたわ」

「それは光栄ですね」


 王女様は微笑む。

 魔王は彼女に背を向け歩き出し、玉座に戻って腰をおろす。

 どうやら魔王も、王女様がここにいることに納得したようだ。


「事情は察しているわ。聞きたいことはあの男がどこに消えたのか、でしょう?」

「ああ、世界を見渡せるあんたなら知ってるんだろ? 今回の騒ぎの黒幕が誰なのか」

「もちろん知ってるわよ。ルキフグス……少し前からあたしの周りで好き勝手してる悪魔ね。あたしを倒して次の魔王になろうとしてるみたいよ」


 魔王は淡々と語る。

 やっぱり黒幕は悪魔だったか。

 しかも魔王はそのことを知っていた。


「なぜそこまで知って放置していたのですか?」


 当然の疑問だ。

 驚いたのは、それを尋ねたのが王女様だったこと。

 魔王は答える。


「無視しても問題なかったからよ。あたしを倒そうとする悪魔なんて、この魔界に五万といるわ。ルキフグスもその中の一体に過ぎないの。一々気にしてられないわよ」

「……」

「あら、気に障ったかしら?」


 僅かに王女様は苛立ちを見せ、それを鋭く指摘する魔王。

 気持ちはわからなくもない。

 今回のターゲットは王城様だった。

 魔王が対処を放置したことで標的にされたのだから、間接的に魔王のせいと言えなくもない。

 ただ、その憤りを魔王にぶつけるわけにもいかないと、王女様も理解しているだろう。


「狙われたのは災難だったわね? でも仕方がないわ。『共心』を持っているあなたは、ルキフグスにとって最高の餌だもの」

「餌……あまり嬉しくない表現ですね。まるで私を食べるつもりみたいじゃないありませんか」

「そう言っているのよ」

「え?」


 虚を突かれたように王女様は目を丸くする。

 そんな彼女に魔王は続ける。


「ルキフグスの術式は、食らうことで術式を奪う。あなたを食らって『共心』を奪うことで、私を超えようとしているみたいね」

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