弐
「――入りなさい」
扉の向こうから呼ばれる。
俺たちが転移したのは王座の間の前だった。
扉に触れることなく勝手に開く。
招いているんだ。
この城の主が。
扉の先の玉座に、彼女は座っている。
「おかえりなさい。グリム、ヴィル、それにリイン」
「ただいま、魔王」
彼女は俺たちを見てニコリと笑みを浮かべる。
傍らにはいつものように先生の姿もあった。
「よぉ、リイン。元気そうだな」
「はい。おかげさまで。先生もお変わりなさそうですね」
「人間と一緒にすんな。たかが数日で何も変わらないぞ」
「俺たちだってそこは一緒だから」
先生との何気ない会話は落ち着く。
我が家に帰って来たような安心感だ。
なんていうと、本物の我が家と両親に泣かれるかな?
魔王が俺に言う。
「来る頃だと思っていたわ」
「――やっぱり見ていたんだな」
「ええ」
魔王アスタロト。
彼女が所持する術式の一つに『千里眼』というものがある。
この魔王城にいながら、世界全土を見渡すことのできる術式だ。
魔力量によって効果範囲が上下する力だが、彼女が使うと死角はない。
学園での様子も、千里眼の術式で把握済みだろう。
「状況はいらなそうだな」
「ええ、でもその前に、挨拶はしておいたほうがよさそうね」
魔王の視線は俺ではなく、後ろにいる彼女に向けられる。
俺たちは帰ってきた感覚だが、一人だけそうじゃない。
彼女にとってここは敵地。
そして向かい合うのは、それぞれの代表。
「初めまして、魔王アスタロト。お会いできて光栄です」
片や人類の代表、イブロニア王国の王女、ミストリア・イブロン。
「ええ、私も光栄よ。人類の可愛らしいお姫様」
相対するは魔界の王。
善世界最強の存在、魔王アスタロト。
人類と悪魔。
両者は何百年も前から敵対し、今も争い続けている。
その代表が手の届く距離で見合う。
魔王を前に人間の王女なんて無力だ。
けれど彼女は動じない。
いつものように毅然と振舞い、優しい笑みを浮かべる。
「お噂通り、お綺麗な方なのですね。驚いてしまいました」
「あら嬉しいことを言ってくれるわね? 人間界でもあたしの魅力は伝わっているのかしら」
「ええ、魔王は絶世の美女であると」
「ふふっ、そういうあなたも素敵よ?」
ふいに魔王の姿が消える。
気づけば彼女は俺の横を通り過ぎ、王女様の前にいた。
魔王の手が、王女様の頬に触れる。
「肌も綺麗ね。食べてしまいたいほどに」
妖艶で鋭い視線が王女様に向けられる。
以前、俺も似たようなことをされた時、咄嗟に下がってしまった。
だけど彼女は俺ほどの身体能力はない。
反応した時にはもう、逃げる隙はないだろう。
「こんな場所に一人で来るなんて、危ないとは思わなかったのかしら?」
「――思いませんでした」
彼女は動じない。
逃げられなかったのではなく、最初から逃げる気なんてなかったように。
「だってあなたは、私に何もしない。あなたは私に興味がないから」
「……」
彼女の眼は、相手の感情を色で認識する。
そして肌で触れ合えば、相手の考えだけでなく過去まで覗くことができる。
この術式効果は、魔王にも有効なのだろうか。
今、彼女たちは触れ合っていた。
ならば王女様は魔王アスタトロの過去を捉えている?
「あなたは興味のない相手に無駄な時間を使わない。だから私にも、何もしてこない。それにあなたは……私を敵だと思っていないのでしょう?」
「――ふふっ」
魔王は呆れたように笑い、その手を頬から離す。
「まったく、リインといい最近の人間は肝が据わっているわね」
「はっはっはっ! イカレてるのはリインだけじゃなかったな! よかったじゃないか、リイン」
「何がよかったですか」
「……ふぅ」
王女様は小さく息を吐きだす。
さすがに多少の緊張はしていたみたいだ。
それでも凄いをしている。
魔王を相手に最後まで態度を崩さず、笑顔で話をしていたのだから。
「確かにその通りよ。でも残念ね? 今は少しだけ、あなたに興味が湧いてきたわ」
「それは光栄ですね」
王女様は微笑む。
魔王は彼女に背を向け歩き出し、玉座に戻って腰をおろす。
どうやら魔王も、王女様がここにいることに納得したようだ。
「事情は察しているわ。聞きたいことはあの男がどこに消えたのか、でしょう?」
「ああ、世界を見渡せるあんたなら知ってるんだろ? 今回の騒ぎの黒幕が誰なのか」
「もちろん知ってるわよ。ルキフグス……少し前からあたしの周りで好き勝手してる悪魔ね。あたしを倒して次の魔王になろうとしてるみたいよ」
魔王は淡々と語る。
やっぱり黒幕は悪魔だったか。
しかも魔王はそのことを知っていた。
「なぜそこまで知って放置していたのですか?」
当然の疑問だ。
驚いたのは、それを尋ねたのが王女様だったこと。
魔王は答える。
「無視しても問題なかったからよ。あたしを倒そうとする悪魔なんて、この魔界に五万といるわ。ルキフグスもその中の一体に過ぎないの。一々気にしてられないわよ」
「……」
「あら、気に障ったかしら?」
僅かに王女様は苛立ちを見せ、それを鋭く指摘する魔王。
気持ちはわからなくもない。
今回のターゲットは王城様だった。
魔王が対処を放置したことで標的にされたのだから、間接的に魔王のせいと言えなくもない。
ただ、その憤りを魔王にぶつけるわけにもいかないと、王女様も理解しているだろう。
「狙われたのは災難だったわね? でも仕方がないわ。『共心』を持っているあなたは、ルキフグスにとって最高の餌だもの」
「餌……あまり嬉しくない表現ですね。まるで私を食べるつもりみたいじゃないありませんか」
「そう言っているのよ」
「え?」
虚を突かれたように王女様は目を丸くする。
そんな彼女に魔王は続ける。
「ルキフグスの術式は、食らうことで術式を奪う。あなたを食らって『共心』を奪うことで、私を超えようとしているみたいね」
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