第八章 極限の中で

 力を失いギガスが倒れる。

 彼が意識を失い、術式効果は消滅する。

 それに合わせて魔力による妨害も解除する。

 紫色の壁と赤い結界が同時に崩れる様は、世界が作り変わるような絶景。


「本当……倒してしまったの?」

「だから言ったろ? あいつが負けるわけねーんだよ」

「リインの勝利ですね」

「ふぅ……」


 俺は小さくため息をこぼす。

 なんというか、期待外れで落胆した。

 これまで暴れ回った脱獄囚だというから期待したのに、これじゃ……。


 その時、空間に穴が空く。

 不気味な生物の顎のように開いた穴は、一瞬にしてギガスを取り込み消滅する。


「今のは――」


 空間転移系の術式か?

 ギガスが隠していた三つ目の術式?

 いや、奴は完全に意識を失っていたし、術式が使えるような状態じゃなかった。

 絶命寸前の状態であんな芸当はできない。

 まったく気づかなかった。

 術式発動までのタイムラグ、魔力の揺らぎも感知できないほどに。


「おいリイン! 今のなんだよ!」


 王女様の手の上で、イヤリング状態のグリムが叫ぶ。

 三人がこちらに駆け寄り、グリムとヴィルがひょいっと飛翔して俺の耳に戻った。


「おそらく転移系の術式だと思う。どうだ? ヴィル」

「そうだと思います」

「どういうことだ? あの野郎が隠してやがって逃げたのか?」

「ち、違うよお姉ちゃん。魔力の残滓があの人のものとは違う。この感じ、私たちと同じ……」


 俺とグリムは同時に気付く。


「「悪魔か!」」

「た、たぶんですけど」


 それなら納得もいく。

 四百年以上脱獄者を出さなかった監獄を突破し、囚人たちに命令して暴れさせ、ギガスを王都に仕向けた黒幕。

 悪魔は契約に厳しい種族だ。

 癖のある囚人たちが従ったのも、助けられた際に契約を結んでいたからだろう。

 だとしたら……。


「転移先はどこかわかるか? ヴィル」

「えっと、一瞬しか見えなかったので、方角くらいしかわからないです」

「十分だ。どっちだ?」


 ヴィルの左耳のイヤリングは、方角を示すように浮かび傾く。

 その方角は、俺が予測した場所を示す。


「やはりそっちか」


 俺は懐から先生にもらった魔剣を取り出す。

 空間を移動する魔剣。

 何もない空間を切り裂くことで穴を開き、任意の場所につなげることができる。

 移動先は一度でも魔剣をもった状態で行ったことがある場所に限る。


「グリム、ヴィル、魔界に戻るぞ」

「お、急だな」

「や、やっぱりあの方角って」

「ああ。おそらく転移先は魔界だ。だったら魔王と先生に直接話を聞いたほうがいい」


 魔王のことだから、この状況も見ているはずだ。

 ただの人間界のもめ事なら任せたけど、悪魔が絡んでいるなら面倒なことになる。

 大事になってしまう前に、先生たちに相談しよう。


「そういうわけだ。王女様は危ないからここに」

「私も一緒に行きます」

「え?」

「は? おい何言ってんだよ。オレたちは魔界に帰るんだぞ?」


 驚いたグリムも聞き返す。

 しかし王女様は毅然とした態度で応える。


「わかっています。魔界に私も連れて行ってください」

「本気かよ。魔王様の前だぜ?」

「ええ、だからこそ行きたい。魔王には一度会ってみたいと思っていたのよ」


 そう言って彼女はニコリと微笑む。

 いつも通り冷静に、動揺や焦りは一切見せない。

 冗談ではなく本心でお願いしているのがわかってしまう。


「それに、事件はまだ終わっていないのでしょう? だったらリインには役目を果たしてもらわないと困るわ」


 彼女は俺の手をそっと握る。

 

「私のナイト様は、私を一人にしていなくなったりしないわよね?」

「……」


 手が、わずかに震えている。

 表情や声に出さないだけで、彼女も怯えているんだ。

 王都まで攻め込んで来た囚人。

 その裏に、悪魔まで関係しているのだから、何も感じないはずはなかった。

 握るその手は、一人にしないでと懇願しているよう。


「わかった。けど大人しくしてくれよ」

「ええ、もちろんよ」

「本気でつれてくのかよ」

「ああ、そういう契約だからな」


 グリムはぼそりと、悪魔かよとぼやく。

 契約を重んじるのは悪魔だけの話じゃない。

 人間だって、約束をする。

 それに敵の目的が彼女の術式ならば、彼女を一人にして奪われるてマヌケもいいところだ。

 俺の近くにいたほうが守りやすい。

 いたって合理的な理由だ。


「行くぞ」


 久しぶりに帰ろう。

 俺たちが共に過ごした場所に。

 斬り裂いた空間の亀裂に、俺たちは入る。

 穴を通ればその先はもう魔王城。

 懐かしき景色が広がる。


「ふぅ~ ひっさしぶりに帰って来た~」

「うんしょっと」


 グリムとヴィルが元の姿へ戻る。

 学園内ではずっとイヤリングの状態を保っていないといけない。

 二人とも背伸びをしたり腕を回したり、よほど窮屈だったのだろう。


「それが本来の姿なのね」

「ああ、そういやオレたちの姿を見るのは初めてだったな」

「あ、改めてこんにちは?」

「ええ。二人ともよく似ているわね」


 魔王城に足を踏み入れたのに王女様はマイペースに笑う。

 この人は肝が据わっている。

 王族の人間が、魔界の王が住まう城に一人で訪れているのに。

 もしかすると度胸は俺よりあるのかもな。

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