そうしてあっという間に三週間あまりが経過した。

 早朝。

 先生は荷造りをして、森を出発しようとしていた。


「よしっと。忘れ物は……まぁしても大丈夫か。リイン! ワシがいない間もしっかり修行しておくんだぞ」

「……嫌だ」

「は?」

 

 予想外の否定に驚いた先生は、持ち上げようとしたカバンを手放す。

 驚き目を大きくして俺を見る。


「嫌ってお前……」

「俺も先生と一緒に行く!」

「お前……何言ってるんだ? 別にそんなこと――」

「俺はまだ! 先生から学びたいことがたくさんあるんだ!」


 先生の言葉を遮って、俺は高らかに吠える。

 こんなにも感情を露にしたのは初めてかもしれない。

 それほどの強い思いが胸にある。

 

「リイン……」

「先生の下で修業して俺は強くなった。まだまだ強くなれる気がしてる。けど、俺一人じゃダメなんだ! 近くに目標があってこそ、俺は強くなれる」


 この一年半、先生のことを目標にしていた。

 強さの象徴、明確なイメージがあることは強くなる上で重要だ。

 この人を超えたい。

 この人のように戦えるようになりたい。

 今まで偉人たちを目標に剣術を磨いたように、この世界で目標にすべき相手は今、目の前にいる。

 

「先生! 俺をもっと強くしてくれ!」

「――ったく、相変わらず馬鹿だな」

(別に一旦帰るだけで、挨拶が済んだら戻ってくるつもりだったんだが……まぁいいか)

「いいぞ。けどお前は子供だ。しかも貴族のガキだろ? だったら相応の話を済ませてから――」

「もう終わってる」

「え?」


 先生は驚き目を丸くする。

 嘘じゃない。

 本当に、この話は終わっているんだ。


  ◆◆◆


「お父様、お母様! 修行のために家を出る許可をください!」


 俺は二人に頭を下げた。

 先生がいなくなるという話を聞いてすぐ、家を出る決意をしたんだ。

 だけど勝手に家を出るわけにはいかなかった。

 貴族という立場もそうだが、一番は義理だ。

 ここまで俺を育ててくれた人たちに、不義理を働きたくはなかった。

 お母様が心配そうに尋ねてくる。 


「家を出るって……どこにいくつもりなの?」

「剣術を教えてくれている先生がいます。その人のところへ行くつもりです」

「先生がいることは知っている。二度ほど挨拶はされた」


 お父様と先生は面識がある。

 俺に修行をつけていると聞いて、何度か挨拶に来てくれた。

 たぶんお父様は、先生が人間ではないことに気付いていないけど。


「今日までお前の指導をしてくださった方だ。悪人とは思っていないが、なぜ急にそんな話をする?」

「実は先生が、一身上の都合で故郷に戻られるそうです」

「故郷はどこなのだ?」

「わかりません。そういう話はしていないので」


 テキトーな場所を言ってごまかす手段もあった。

 けれどやめた。

 この二人は誠実だ。

 誠実な人たち相手に、嘘はつきたくなかった。

 たとえ交渉が不利になるとしても。


「……どこともわからない場所へは……危ないわよ」

「そうだな」


 案の定、あまり理解は得られない。

 それでも俺は……。


「お父様たちの心配は理解してます。けれど俺は、先生から学びたいことがたくさんあるんです!」

「……それが、お前の望みなのか?」

「あなた?」

「はい! 俺がそうしたいんです!」


 今の俺にできることは一つ。

 自分の思いをただまっすぐ、偽りなく伝えることだ。

 前世では失敗した。

 両親に夢を語っても、一度も理解してもらえなかった。

 仕方がないことだ。

 あの世界で武士を目指すなんて、誰が聞いても否定するだろう。

 けれどこの世界なら……この二人なら。


「わかった。認めよう」

「あなた、いいの?」

「……この子自信が望んでいるなら止めることはない。私たちが思っている以上に、リインはしっかりしている」

「それはそうだけど……」


 お父様は認めてくれそうだが、お母様はまだ心配している。

 ここからさらなる説得を、と考えていた俺より先に、お父様が口を開く。


「リインに魔術師としての才能がないと知った時、私たちは何もできなかっただろう? 嘆くことしか」

「あなた……」

「貴族の中でも、魔術師としての才覚は重要だ。王都の学園に通うなら尚更……リインが望まないなら、王都の学園への進学も考え直すつもりでいた。だがこの子は、前向きに日々努力していた。その姿を見て、こう思ったのだ」

「――この子は自分の力で、自分の道を作れる子」


 お父様の言葉を代弁するように、お母様が続けた。

 二人は頷く。

 そんな風に考えてくれていたことを、今さら知ることになった。

 二人は俺が知らないところで悩んでいたんだ。

 貴族として、魔術師としての俺の行く末を。

 無能な子供なんてと切り捨てず、俺が幸福になれる道を……。


「リイン、それがお前にとって必要なことなら止めはしない。ただ、学園には入りなさい。家の習わしもそうだが、あの場所は多くの出会いがある。きっといい出会いもあるはずだ」

「はい! その日までには必ず戻ります」


 前世では仲たがいしてしまったけれど、今世は失敗しなかった。

 優劣をつける気はない。

 それでも、この家に生まれなおしたことは俺にとって幸福だ。


  ◆◆◆


「学園に入学するまでの期限付きか」

「はい! 残り一年半で、先生から学べるものをすべて身に付けます!」

「……よし、いいだろう。ただし後悔するなよ?」

「その質問にはずっと前に応えていますよ」


 俺が後悔するとしたら、立派な武士になれないこと。

 ここで先生と別れたらきっと、一生後悔する。

 先生とも歩めるのなら、たとえ地獄だろうと突き進もう。


「覚悟はできているか。じゃあ行くぞ」


 先生は懐から紫色のナイフを取り出す。

 異質な気配がするナイフだ。

 ただのナイフではない。

 先生はナイフを手に、目の前の空気を斬る。


「空間に亀裂が?」

「移動用の魔剣だ。ここから普通に歩いたら一月かかる」

「そんなに……どこなんです?」

「――魔界」

 

 先生が先に亀裂に入る。

 俺も遅れないようにそれに続く。

 開かれた景色に、俺は思わず言葉を失う。

 そこはまるで別世界。

 禍々しく、昼間なのに赤い月が輝く場所。

 眼前には見たことがないほど大きな漆黒の城があった。


「ここが俺の家、ようこそ魔界へ! そしてここが……魔王城だ!」

「魔王……」


 先生は口にした。

 魔界に君臨する悪魔の王。

 絶対的支配者にして、人類にとって最大最強の宿敵。

 今の尚、戦い続けている相手の名を。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【あとがき】


第二章はこれにて完結となります!

次章をお楽しみに!


できれば評価も頂けると嬉しいです!!

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