弐
物心ついた頃から、憧れを抱いた。
大河ドラマで見た武士の姿に。
そのドラマでの主役は武士ではなく将軍で、武士たちは将軍の意思に従い死闘を演じる。
言わば脇役でしかない。
彼らは叫び、死を恐れず斬り合い、バタバタと仲間が倒れていく中で奮戦する。
時に負け戦であろうと一歩も引くことはない。
所詮はドラマだ。
けれど幼い俺にとっては衝撃的だった。
こんな男たちがいるのか。
自分にとってはなんの得もない、ただ死にゆくだけの戦場に臆することなく踏み入る。
信ずる主の命に従って。
これが武士、これが剣士たちの死に様だ。
子供のころの憧れなんて、成長すれば薄れていく。
野球選手になりたい。
飛行機のパイロットになりたい。
芸能人になりたい。
そんな可愛らしい夢なんて簡単に消える。
ただ、中には愚直に夢をあきらめず努力して、本当に掴んでしまう者たちもいる。
一応は俺も、その人たちと同じ側にいるのだろう。
もっとも俺の場合はフィクションの域に達している。
河原で飛ぶ燕を見つめる。
明日は雨なのだろう。
燕は低いところを飛んでいる。
ぼーっと気配を消して立っていると、燕がこちらに向かって飛んできた。
そこへ間髪入れずに木刀を振りぬく。
が、当然のごとく避けられてしまった。
「くそっ! やっぱり無理か」
自由に飛ぶ燕を斬り落としたと言われる『燕返し』。
すごい技だ。
同じことができるようになりたいと修練を重ねてきたけど、いっこうにたどり着く気配がない。
どれだけ筋力をつけても限界がある。
体力に自信があっても、無尽蔵にはなれない。
あらゆる流派を独学で身に着け、実戦の中で使うことで鍛え上げた。
着実に強くなっている感覚はある。
と同時に、どう足掻いたってたどり着けないと身体が悲鳴を上げていることもわかってしまう。
「……いや、まだ修行不足なだけだ」
高校を中退して家を出て、ひとりで全国各地を巡った。
強者なんてほとんどいない。
偶に骨のあるやつがいるけど、俺の足元にも及ばなかった。
名人や達人と呼ばれる人たちもそうだ。
たしかに技の熟練度はすごい。
それでも実戦に長けているわけじゃない。
もし彼らが戦国自体や罰末にタイムスリップしたら、そこらへんを歩いている放浪者にも負けてしまうだろう。
単純な技量だけじゃないんだ。
斬らねば死ぬ。
抜かねば死ぬ。
恐怖すれば死しか待っていない。
そういう環境で育った者でなければたどり着けない境地がある。
かくいう俺も足りていない。
自分をできるだけ追い込んではいるものの、今の世は平和すぎるから。
「きゃあああああああああああああああああ!」
「ん?」
河原で沈む夕日を見ている俺の耳に、どこからか女性の叫び声が聞こえた。
けれど叫び声は掻き消える。
ピタリと止まり、不自然なほど静かになる。
「あれは……」
一台のワンボックスカーが見えた。
明らかにおかしい動きをしている。
大きな男たちが慌ただしく何かを詰め込み、わずかにみえたのは人の脚だった。
「人攫い? にしては大胆すぎるな……」
もっと隠れ忍んでするべき行為だ。
こんな何もない川辺で堂々と。
俺以外にも見ている人はいる。
ただ恐れてか、誰もが気づかないふりをしていた。
「……ちょうどいいや」
不完全燃焼感がぬぐえなかった。
彼らなら、本気の俺にも応えてくれるかもしれない。
◇◇◇
「は、離して!」
「騒ぐんじゃねーよ!」
「いや!」
パチンと大きな音が鳴る。
叩かれた頬が赤く晴れて、手足を縛られた少女は倒れてしまう。
そんな彼女を男たちは見下ろす。
「おいおい下手に傷つけるなよ? こいつは交渉に使うんだからな」
「わかってるよ。にしても馬鹿な奴だな~ 三戸部組の一人娘が、護衛もつけずに歩いてるなんてよぉ~」
「っ……あなたたち、こんなことをして無事で済むと」
「こっちのセリフだぜ? 無事に帰れると思ってんじゃねーぞ、クソガキ」
男の一人が縛られた少女に手を伸ばす。
いやらしく。
「おい」
「いいじゃねーかちょっとくらい。どうせ人質にした後は好きにしていいんだろ? だったら今いじめたって変わらねーよ」
「それもそうか。ほどほどにしろ」
「あいよ」
「や、やめて」
逃げようとしても手足を縛られ動けない。
地面を這うように逃げる彼女を、男は乱暴に抑え込む。
「前々から味見したかったんだよ~ さぁいい声で泣いてくれ! もっと嫌がれ!」
「だ、誰か助けて!」
「ははっ! そうだそれだ! 泣いたって誰もきやしねーがなぁ!」
直後、どごーんと鳴り響く音。
彼らがいた倉庫の扉を、無理矢理こじ開けた音だった。
視線が集まる。
正々堂々と、真正面から現れたその男に、注目せずにはいられない。
「男がよってたかって一人の女の子に乱暴する……か。著しく武士道にかける連中だな、まったく」
「なんだてめぇ……」
「子供?」
「おいおいクソガキ! ここはガキが来ていいところじゃね……え?」
舐めて近づいた下っ端の男は、いきなり昏倒してしまう。
男の手には木刀が握られていた。
その木刀で何をしたのか、彼らには見えていない。
「なっ……」
「あなた……は……?」
「悪いけど俺は正義のヒーローじゃない。ここではただの……人斬りだ」
開いた天井から差し込む月明かりに、その瞳は赤く光る。
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