うちの神様が超尊い
黄黒真直
うちの神様が超尊い
皆さん聞いてください! うちの神様は、超尊いんです!
箒星のような長い銀色の髪、輝く星々のようなくりっとしたお目目、繭のように白くて柔らかな頬、梅のように淡く色付いた唇!
身長のほどは
そんな神様が、幾重にも重なった裾の長い着物を着て、懸命に舞を踊っているのです。よちよちとしたその動きの、ああ、なんて尊いことでしょう!
もちろん見た目だけが神様の尊さではありません。この村の民を想うその御心が最も尊いのです。
今だってそうです。干ばつで苦しむ民たちのために、神様は舞を踊っているのです。ああ、なんて尊い行為でしょうか。夏の夜、締め切った神楽殿の中で、神様は民のために人知れず働いているのです。その尊さを見ることができるのは、私だけなのです。
「さっきから何をジロジロ見ておるのじゃ」
舞を中断して、神様はしかめっ面になりました。なんて尊い御尊顔! 今その
「舞を見ております」いいえ、本当は神様を見ております!「舞が正しいか監督するのも、巫女の役目ですから」
「それにしては妙な目つきじゃが」
なんて鋭い観察力でしょう! この私の心中を察してしまうなんて! 人間観察など、赤子の手をひねるようなものなのですね!
「そんなことはありません、神様。私は真剣に見ております。そんなことより、舞を止めてはいけませんよ。ささ、続きをお願いします」
「本当かの」
怪訝な顔をしながらも、神様は舞を再開しました。しかしその動きには、どうにもキレがありません。そもそも以前の神様なら、舞を途中で中断するなどあり得ませんでした。
どうもお疲れのようです。この神楽殿が暑いからでしょうか。
いいえ、そうではありません。このところ、神様はずっとこんな調子なのです。舞以外の神事でも、身の入り方が以前に比べて弱々しいのです。
まるで反抗期のようです。もしそうならなんて尊いのでしょう。神様のわがままなら、何でも聞いてしまいそうです。ですが神様を正しい方向へ導く巫女として、それだけはやってはなりません。
ああ、なんて皮肉な役目! 神様の尊いわがままを一番近くで聞けるのに、それを叶えてあげられないなんて!
「あーもー、止めじゃ止めじゃ!」
神様はいきなり舞を止め、大の字に寝転がってしまいました。長い裾が捲れ、細い御御足がちらりと見えます。なんて尊い。
「これだけやって、なんで雨が降らんのじゃ!」
神様が両手両足を赤子のようにバタつかせます。その度に着物が捲れ上がり、神様の肌が露わになっていきました。ああいけません、そのように暴れては! 私の中の獣の部分が暴れ出してしまいます!!
「落ち着いてください、神様。このところ様子が妙ですよ。いったいどうされたのですか?」
「むぅぅぅ……別にどうもなっとらんわ!」
神様は尊い頬を膨らませて、さらに尊くなられました。この表情を見られるのなら、ずっとこんな調子でも良いとすら思えます。
いえダメです、私は巫女です。神様の調子が悪いのなら、調子を取り戻させるのが私の役目。それに私だって、わかっているのです。本調子で元気いっぱいの神様が、一番尊いってことは。その姿を取り戻すために、私は全力で巫女の役目を全うしなくてはいけません。
神様の調子が優れない理由はわかっています。民からの敬愛が足りないからです。神様の体力の源は、民たちの信仰心なのです。
ですから調子を取り戻すには、まず敬愛を取り戻す必要があります。そのために、民を干ばつから救おうと儀式を行なっているわけですが……。神様の調子が悪く、うまくいっていません。
これは困りました。調子を取り戻すには敬愛が必要なのに、敬愛を得るには調子が戻らなくてはいけません。完全な板挟み。にっちもさっちも行きません。
ああ、どうして民は、神様を敬ってくれないのでしょう! こんなにも尊いのに! 今だって不貞腐れて、神楽殿の板敷の上をごろごろしています。なんて尊い拗ね方でしょう! 板敷の上を転がったら絶対痛いのに、それを我慢して拗ねているのです!
「神様、床を転がってはいけません。お召し物が汚れてしまいます」
「平気じゃろ。お前さんが毎日綺麗にしとるじゃないか」
その通りです。この神社は神様のお住まいですから、私は毎日隅から隅まで綺麗にしています。それを神様はきちんと見てくださっているのです!
「そういう問題ではありません。床と擦れると、布は破けてしまいます。それを汚れると申しているのです」
「むぅ、仕方ないの」
神様は素直に起き上がり、床にあぐらをかきました。そして、ああ、なんということ! 裾を摘み上げて、ぱたぱたと煽り始めました! 上げるたびに神様の小さいお膝が、太ももがちらちらと見え、だ、だめです。空気と一緒に、私まで着物の中に吸い込まれそうです!
「神様、お暑いのですか?」
「そりゃ夏だからの。我だって暑さは感じる。雨が降ってないせいで、蒸し暑さはないがの」
「たしかにその衣装は暑いでしょうからね」
「本当じゃ! どうしてこんな、暑くて重い服を着なくてはならんのじゃ!」
はて、言われてみればそうです。あの衣装は、いったいいつから着ることになっているのでしょう。
あれは元々、私たち巫女が代々着ていた衣装をもとにしています。神様がこの地に降り立ったとき、今後は神様が舞を行うと宣言され、私が神様の体型に合わせて作り直したものなのです。
「待ってください、神様。もしかして、着なくてもいいのでは?」
「は? なんじゃ、どういうことじゃ?」
「そもそも舞というのは、精霊に話しかけるための言語です。精霊たちは声による言語を持たず、舞うことで会話をしており、私たちがそれに合わせているに過ぎません」
「そうじゃな」
「そして、精霊は各々好きな格好で生活しており、そのまま会話をしています。つまり、舞に服装は関係ないのでは?」
「なんじゃと!?」
今まで考えたこともありませんでしたが、一度考えてしまえば、もう当たり前のことのように思えます。人と会話するときに、いつも決まった服装をする必要があるでしょうか? 動きさえ合っていれば、どんな格好でも構わないのではないでしょうか?
「ですから、もっと軽くて動きやすい格好をすれば、神様もお疲れにならず、正しく舞えるのではないでしょうか」
「なるほど。じゃが、何を着れば……」
「決まっています。裸になりましょう!」
「なっ!? 何を馬鹿なことを言っておるのじゃ!」
「馬鹿ではありません! 論理的に考えて、当然の帰結です!」
舞装束が暑くて重いなら、全部脱いでしまえば涼しいし軽いのです! これは決して全くやましい心から出た言葉ではなく、論理的合理的建設的に考えて出した合法的な結論なのです!
「い、い、嫌じゃ! 精霊が見ておるのじゃろう!?」
「精霊が見ているのは舞の動きだけ。姿が見えているわけではありません。見るというより感じ取ると言った方が近いでしょう」
「だとしても、お前さんが見とるじゃないか!」
「私のことは気にしないでください!」
「気にするわ!」
神様は着物をかき寄せて、防御の姿勢をとってしまいました。少しやり過ぎてしまったようです。反省しましょう。
「わかりました。しかし問題点がわかったのですから、解決方法を探りましょう」
「むぅ。それはそうじゃな」
「私が考えておきますので、今夜はもう寝ましょう。普段なら、もうお眠りしている時間です」
「む、もうそんな時間か。わかった、寝るとしよう。はぁ、いったいどうすればいいのじゃろうなぁ……」
翌朝目を覚ますと、神社の裏手から、何やらぱたぱたと尊い足音が聞こえてきました。寝巻き姿のまま裏口から出ると、薄い絹の着物を着た神様が、畑の前で舞を踊っていました。
その尊さと言ったら! 夏の朝の日差しを受けて、白い絹と銀色の長い髪が輝いています。まるでそこに小さなお月様があるかのように、神様の周りに光輪が見えました。なんて尊い光でしょう! 私は誘蛾灯に集まる虫のように、神様の元へ吸い寄せられていきました。
「おはようございます、神様」
「おお、起きたか、伊与よ」
神様は舞を止めることなく言いました。
「昨日お前さんに言われた通り、装束を着ずに舞っているが、涼しくて踊りやすい。それに、これでも確かに精霊が反応してくれておるように感じる」
どうやらそのようです。神様の動きは昨日よりも機敏ですし、畑の植物もなんだか生き生きして見えました。
しかし、それでもまだ本調子ではないご様子で、時々足元がもたついていました。
ちょうど舞が終わったので、私は聞きました。
「まだ踊りにくいですか?」
「そうじゃのう……この着物は軽いのじゃが、意外と足を大きく動かしにくいの」
そう言うと神様は、ああ、なんということ! お股を大きくお広げになりました!
「ほれ、こうして足を広げると、裾がまとわりついて来るんじゃ。それに布同士の摩擦もあるようで、意外と足を開けたり閉じたりしにくいのじゃ」
神様は足を開けたり閉じたりしました。ああ、そのたびに、裾が神様の御御足に絡みつき、その輪郭が布地越しに顕になっていきます! い、いけません、そのままではお股の輪郭すら見えてしまいそうです!!
「神様、裾が邪魔であるなら、たくし上げるか、切ってしまえばよろしいのでは?」
「ななな、何を言っておるんじゃ! そんなことしたら、素足が丸見えではないか!」
やはり神様は、肌を晒すのに抵抗があるようです。こういうのは一度やってしまえば却って快感になるものですが、その一度がなかなか難しいものですから仕方がありません。つまり、神様が踊りやすくするには、次の二つの方法があるということです。
ひとつ。どうにかして一度肌を晒させて、抵抗をなくす。
ふたつ。肌を晒さずに済む動きやすい方法を考える。
一つ目の方法の方が、明らかに簡単そうに思えます。決して、私が見たいからではなく、合理的な判断として。
「そ、そんなことより! 伊与よ、見るのじゃ! 例の植物が立派に育ったぞ!」
神様は短いお指で畑を差しました。そこには等間隔に、茶色く太い植物が育っています。
見たことのない植物です。当然です、私と神様が作った植物なのですから。まだ名前もつけていないその植物は、そろそろ食べ頃のはずでした。
この植物は、私と神様が精霊の力を借りて作り上げた、乾燥に強い植物です。成功すれば、発芽から結実まで、朝露だけで十分育つことでしょう。
今年は特に雨が少なく、民が渇きに苦しんでいますが、そもそもこの地域は大昔から雨が少ないのです。歴代の巫女たちは毎年のように雨乞いの舞を踊り、何度も干ばつの危機を回避してきたと言い伝えられています。
しかし今は神様がいらっしゃいます。舞を踊れる労働力が二倍に増えたと言えます。そこで私が提案し、乾燥に強い植物を、何年もかけて開発しているのです。もしこれが成功すれば、渇きはともかく、飢えは回避できるようになるはずです。
しかし……。
「これ、食べられるのですか?」
「そのはずじゃが。果実だけでなく、花も葉も幹も根も、どこでも食べ放題のはずじゃ」
「試しに一本、食べてみましょうか」
私はその植物を一本、両手で掴んでみました。ぶに、とした感触があります。
この植物は、非常に柔らかい繊維の束でできています。その繊維の中に水を貯め込むことで、乾燥を耐え抜くようにできているのです。まさか手で触ってわかるほどとは思いませんでしたが。
私は力一杯、植物を引っ張りました。畑の柔らかな土が盛り上がり、植物は根っこごと引っこ抜けました。
「簡単に抜けますね」
「その方が収穫しやすかろう。さて、食べてみるぞ」
私は植物の土を落とすと、炊事場に持っていき、鉈でいくつかに切り分けました。
繊維の束でできているため、幹を横に切るのは苦労しましたが、縦には容易く切れました。少し切り込みを入れれば、手で裂くことすらできました。また、繊維を切ると中から透明な液体が出てきます。舐めてみると、とても甘い汁でした。
葉や枝、果実は手でむしり取り、私はそれぞれの部位を器に分けて、神様の待つ神社の裏手へ持っていきました。
「ではいただこうか」
「はい、いただきます」
私は神様と精霊に感謝を示し、それを口に運びました。まずは幹です。棒状に切った物を、端から齧っていきます。
噛めば噛むほど、口の中に甘い汁が広がっていきます。みずみずしい桃を、さらにみずみずしくしたような食感です。ですが……。
「……」
「……」
神様も私も、ずっと無言で、口をもぐもぐと動かし続けます。
か、噛み切れません。繊維が柔らかすぎて、いくら噛んでも弾力で弾き返されてしまいます。
「噛み切れないの」
「そうですね」
困ったように言う神様のその尊い表情! ほっぺたの中に繊維が詰め込まれているのが、外からもわかります! ああ、つんつんしたい。柔らかなほっぺたに柔らかな繊維が詰め込まれ、きっと途方もない柔らかさでしょう!!
「少なくとも、生で食べるのは無理ですね。調理してからでないと食べれないでしょう」
「仕方がないの。根っこや枝も同じ感じじゃろうか」
「おそらく」
「じゃあ次は葉っぱを……む、飲み込めん」
神様はまだもぐもぐしていました。
「お水持ってきますね」
私は枯れかけている井戸から水を汲んできました。
それから私たちは、葉っぱと果実も試食しました。葉は苦かったですが、噛み切ることができました。味付けをすれば食べれるでしょう。
そして果実。これは見事なまでの美味しさでした! 幹と異なり乾燥していましたが、その分味が濃縮されており、今まで食べたことのない甘さでした。繊維の中の甘い汁から、水分だけを取り除いたような味なのです。種子もぷちぷちしており、簡単に噛み潰すことができました。いくら食べても飽きの来ない味と食感だったのです。
それを食べたときの、神様の尊い反応と言ったら! 目を輝かせ、喜びと幸せに満ちたように頬を染めたのです! 小さな両のお手手で果実を掴んだまま、私を見上げたその仕草は、ああ、いっそ神様ごと食べてしまいたくなるほどでした!
「これは……大成功じゃな!?」
「はい!」
幹は失敗でしたが、こちらは大成功です。村のみんなには果実を食べてもらえば、干ばつもなんとか乗り越えられそうです。
……と、思ったのですが。
「喉が渇くの」
「そうですね……」
非常に乾燥している果実のため、食べれば食べるほど喉が渇いていきます。飲み水も少ないというのに、これでは食べられません。
「あ、なら、幹の汁を吸ったらどうですか?」
「なるほど、名案じゃ!」
私たちは幹の繊維の端を口に咥え、ちゅうと吸いました。そのときの神様のお口の尊さは、言葉を呑むほどでした! 小さなお口をさらに窄め、ほんの少しだけ突き出し、一生懸命に汁を吸っているのです。なんて健気で尊いお姿でしょう! 口移しで飲ませてあげたくなります。
「喉は潤うが、なんというか、飲みにくいの」
「甘い果実に甘い飲み物ですから、くどく感じてしまいますね。桃に蜂蜜をかけて食べるようなものでしょうか」
「そんな贅沢な食べ方をしたことがあるのか!?」
「ただのたとえ話ですよ」
「なんじゃ。しかし、我は甘いもの大好きじゃが、ここまで甘いと、ううむ」
「食べにくいですか?」
「喉さえ渇かなければまだいけるが」
「しかし緊急事態ですからね。民には我慢してもらうしか……」
「ならぬ!」
神様は突然、語気を強めました。
「我は何があっても、民に我慢などしてほしくないのじゃ!」
そうでした。それこそが神様が唯一望むことであり、この地に降り立った理由でもあるのでした。
この神様は、まだ見習いなのだそうです。神様が言うには、人の住む土地ごとに神がいて、その土地の人々を守っているのだそうです。私たちの住むこの地域に人が住み始めたのは、数世代前のこと。この神様はそのとき生まれました。神々にとってそれはつい最近であり、したがってこの神様も、神々の中では若輩者なのだそうです。
そのせいで、この土地をうまく守ることができず……ついに、自ら乗り込むことにしたそうです。
乗り込んできたところで何ができるのか私はよくわかりませんが、こうして尊いお姿を毎日見ることができるので、私には何の文句もありません。
いずれにせよ、神様のお考えはわかりました。すべての民を、我慢と苦しみから救いましょう。
「なら、やはり、なんとかして雨を降らせましょう」
私は最も単純な解決策を提案しました。
「それが民を救う一番の近道です」
「ううむ、わかってはいるのじゃが……」
神様は植物の幹を吸いながら唸りました。幹の端を噛みながら、手で引っ張って繊維を伸ばしたり縮めたりしています。なんて尊い手慰み! 私たちが開発したばかりの、ついさっき初めて手にした植物を使って、もう新しい遊びを開発しています! 素晴らしい知性です!!
「しかし、どうすればよいのじゃ?」
もちろん裸で舞うのが一番です、と言うのを私はなんとか堪えました。
「先ほど舞っていたのは、大地の精霊へ呼びかける舞でしたね?」
「うむ。この植物をうんと食べやすくしてくれと頼んでおったのじゃ」
私の目にも、そう舞っているように見えました。多少、動きが覚束ないところはありましたが、大地の精霊に言いたいことは伝わったはずです。そして実際、その依頼は、完全でないものの果たされたように見えます。
雨乞いの舞も、神様の動きは大筋では間違っていないのです。ですから、空の精霊に、言いたいことは伝わっているはずです。少々訛りの強い言い方になってしまっているかもしれませんが、わからないということはないでしょう。
にもかかわらず、雨が降らない。いったいどうしてでしょう。
「もしかして、空の精霊たちに何かあったのでしょうか?」
「なに!?」
「もともと雨の少ない土地ですので気付きませんでしたが、これだけ雨乞いをして全く降らないのは、よく考えたらおかしな話です。もしかして精霊たちに、雨を降らせたくても降らせない事情があるのではないでしょうか?」
「どんな事情じゃ!?」
「それは全くわかりませんが、そう考えると辻褄が合う気がします」
そうとわかれば、やることは一つ。
「神様、今から空の精霊の祠に行きましょう」
「なに!? あの山の上にか!?」
「はい! 行って、何があったか確かめるしかありません!」
「じゃ、じゃが、外に出るのは……」
神様が渋ります。怯えたような、不安がるような表情に、私の胸がきゅんきゅんと騒ぎ出します。
「なんですか、神様?」
「民に会うのは、まだ少し、怖い……」
神様は、民を救おうとしています。が、民の方は、救われようとあまり思っていません。というより、本当に救ってもらえるのか、みんなまだ懐疑的なのです。神様がこの村にやってきてまだ一年。人口も少なく、閉鎖的なこの村で、突然現れて神を自称する銀髪幼女の言うことを、誰が信じられるでしょうか?
もちろん私はすぐに信じました。日々の巫女修行を通じて、神様の存在を感じられるようになっていたからです。神様からは、間違いなく神様の存在を感じることができたのです。あのとき私は、それまでの辛い修行の日々が救われたように感じました。神様にそう告げると、神様は慈愛に満ちた最高に尊い笑顔を見せてくださったのです。
「ですが、神様。民の内実を知らずして、民を救えませんよ」
「むぅぅ……」
「それに今日は、村はただの通り道です。さ、準備しますよ」
雲ひとつない、とても良い天気でした。からっとした夏の日差しが、砂利で舗装された道を熱しています。
一見爽やかなそんな光景こそが、今の私たちにとって一番の問題です。登山用の草履を通して、地面の熱さが伝わってきます。もう何日も、この地は温められ続けているのです。
村の中心に近づくにつれ、民の姿がちらほら見え始めました。みな、朝の畑仕事を終え、家へ帰るところでした。
「おや、伊与様、久しぶりだねぇ」
と村のご老人に話しかけられました。皆に「牛飼い」と呼ばれているお婆様です。
「お久しぶりです。あれから飼料の方はどうなりました?」
「もう間違えることがなくなったねぇ。牛たちも毎日元気だよ。ありがとねぇ」
牛飼いのお婆様は朗らかな笑顔になりました。どうやら、私の解決策はうまく行ったようです。
「な、なぁ。何の話じゃ?」
後ろから、神様が私の着物を引っ張ります。なんてか弱くて尊い力でしょう! このまま神様の方に全力で倒れてしまいたい!
「何週間か前に村に来たときに、こちらの牛飼いさんに相談事をされたんです」
「相談?」
神様が、牛飼いのお婆様と私の顔を交互に見ます。お婆様は神様の視線に気付きつつも、どう返事をすれば良いかわからず、困惑しています。
仕方ないので、私が間に入って話しました。
「こちらのお婆様は牛を五頭飼育していらっしゃり、牛ごとに餌の調合を変えているのです」
「それはまた、手塩をかけておるな」
「はい、その方がより健康に大きく育つそうですよ。ね?」
私が話を振ると、「ええ、そうね」とお婆様は答えました。
「ですが最近は、時々計量を間違えてしまって困っている、と仰ったんです」
「ふむ?」
神様は小首を傾げました。尊い角度です。黄金角です。
「どの牛に何をどのくらい与えるか、木べらにでも書いておけば良いのではないか?」
するとお婆様は、やはり困ったように笑いました。
「私、文字の読み書きはできないのよ」
この村では大半の人がそうです。文字を読める人は少しいますが、書ける人は私と神様くらいでしょう。
そんなことも知らないの、とお婆様の表情が語っています。よくない空気です。民からの信頼を、またひとつ失ってしまいました。
神様はそれに気付かず、話を続けました。
「となると、覚えておくしかないのか……」
「いえ、そうでもありません。文字を読めなくても、簡単な記号や色の区別はつきます。餌も、聞けばたった三種類の穀物を混ぜるだけだそうです」
「だからなんじゃ?」
「そこで私はお婆様に、十五個の升を作って差し上げたんです。そして、五頭の牛の鼻輪に違う色を、三つの穀物の袋に違う記号を書きました」
「それでどうするのじゃ?」
「それで、升には、牛に対応した色と記号を書いたのです。そうすれば、升の記号を見て穀物を入れ、升の色を見て牛に与えれば、間違えることがないでしょう?」
もちろん、各升の大きさは、それぞれの牛に対応した大きさにしました。こうすれば、あとはそれぞれの穀物を升に入れるだけで済みます。
「たしかに、その通りじゃな……。よく思いつくものじゃな」
神様が感心した目を私に向けます。ああっ、そんな目で見られたら、神様のことを邪な目で見てしまいそうです!
「本当に、助かったわ。あれから間違えることがなくなって」
とお婆様は私の顔を見て言いました。
「また何か困ったことがあったら助けてね、伊与様」
「はい、お声がけください」
牛飼いのお婆様は笑顔で去っていきました。そのとき、神様には一瞥もくれませんでした。
その後も私は、たびたび道行く民に声をかけられました。
「伊与様、久しぶりだねぇ」
「あーっ、伊与様! この間はありがとー!」
「やぁ伊与様、先日は助かったよ」
「伊与様、あれから順調だよ、本当にありがとう」
「……お前さん、すごいの」
村の大通りを抜けたところで、神様が言いました。
「どんだけ助けとるんじゃ」
「大したことはありません。巫女としての務めです」
巫女は、神に仕える者です。そして神は、民を救う存在です。ならば、巫女もまた、民を救わねばなりません。
幼い頃から巫女として修行を積んできた私は、民を救うことがまるで呼吸するかの如く身に染み付いているのです。
そんなことより、私は民の、神様への態度が気になりました。まるで、神様などいないかのように振る舞っていたのです。
まさか見えていないわけではありません。私の後ろに隠れる神様をちらりと見たあと、私だけに話しかけるのです。
これは、由々しき事態です。ここまで敬われていないとは思いませんでした。神様はこんなにも民を想い、救おうとしていらっしゃるのに。
しかし、嫌っている、という感じでもありませんでした。民も民で、神様にどう接して良いのか、わかっていないのかもしれません。だとすれば、歩み寄る余地はまだありそうです。
「さあ、着きましたよ神様。ここから登山です!」
「厳しいのぅ……」
神様は駄々を捏ねますが、きちんと自力で登り始めました。何も崖をよじ登ろうと言うのではありません。祠への道は踏み固められ、人が十分歩けるようになっています。ほんの一刻ほど登れば、小さな祠が見えてくるはずです。
私たちは途中で何度か休憩し、例の植物の幹で水分補給をしながら、山道を進みました。思っていた時間の三倍くらいかかって、ようやくその祠まで辿り着きました。
祠は、山の頂上近くの、平たい岩の上に建てられていました。神様の背丈ほどの小さな祠です。神社のような形をしていて、中には人の形をした石が祀られています。透き通って、キラキラと輝いている石です。
祠は、ついさっきまで誰かが掃除していたかのように綺麗でした。精霊たちの力によって、常に綺麗に保たれているのです。ここが綺麗ということは、精霊の力は失われていないということです。そうなると、なぜ雨が降らないのでしょう?
「では神様。大精霊を呼びましょう」
「う、うむ」
神様はお疲れでしたが、ここで休憩を取る暇はありません。私と神様は、揃って舞を始めました。
大精霊とは、精霊の長です。空の精霊、大地の精霊、森の精霊……それぞれの精霊に一人ずつ、大精霊がいます。もし精霊たちに何かがあったのなら、大精霊が知っているでしょう。それに個々の精霊に尋ねる前に、まず大精霊にお伺いを立てるのが、礼儀作法というものです。
舞を終えると、石像の輝きが増しました。カタカタと小刻みに震えます。そして。
ぽふっ、と音がして、トンボのような羽の生えた巨大な人が現れました。
薄く輝く彼女こそ、我が村を見下ろす空の大精霊様です。
大精霊は静かに手足を動かしました。舞です。精霊は声を出さず、このようにして意思疎通を行なっているのです。
翻訳しましょう。
『お久しゅう、我らの神と巫女よ』
「お久しぶりです。大妖精様」
私も舞を返しました。舞は時間がかかるので早く本題に入りたいのですが、仕方ありません。挨拶は礼儀です。
『このような遠路遥々、よくぞいらした』
あの、時間かかるのでほんと早く本題に入らせてください。
『して、どのような用件か?』
やっと本題に入れます。
「実は、もう長いこと、何度も雨乞いの儀を行なっているのに、一向に雨が降っていないのです。もしかして、精霊たちに何かあったのではないでしょうか?」
私と神様は懸命に舞い、大妖精に事情を伝えました。
舞い終わると、大妖精はしばし動きを止めました。なんだか気まずそうな表情をしています。やがてゆっくりと体を動かし始めました。
『我も、事情は把握しておる。たしかに我らの神は雨乞いの舞を行なっていた。そして我らも、それに気づいていた』
「!」
やはり、舞は伝わっていたのです。しかし、彼女らには雨を降らせられない事情があったのです。
「では、なぜ雨を降らせなかったのですか?」
『それは、その……』
舞でも言い淀むことができるということを、私は初めて知りました。
大妖精は意を決したようにして、舞いました。
『我らの神が、あまりにも民から敬われてないため、本当に従うべきなのかと、議論になったのだ』
「え、我が……?」
あまりにもあんまりな告白に、神様は呆然としてしまいました。私も一瞬、思考が止まってしまいました。
「なぜ、神様が敬われていないと、あなた方が従わない理由になるのですか?」
『我らは、人が来る前からこの地を治めていた高貴な一族だ。あなた方が考えるよりずっと、我らはこの土地を愛している。だからこそ、この地を選んだ民も愛し、民を助けることにした。だが……我らの神は、そうではない』
それは、その通りです。神様は、自らの意思でこの地を選んだわけではありません。人間がこの地に住み着いたとき、自動的に生まれた存在なのですから。
『それに、言葉もそうだ。貴殿の言葉は訛りが強い。この地に馴染めていない証拠だ。そのような者に従うべきか、我々は決めかねている』
訛りがあっても伝わるはずだと思っていましたが、訛りがあること自体が悪かったようです。
『これはどこの地でもそうだ。民が敬う神に、我らは従う。だが貴殿は、民に敬われてはいない。そのような神に従うことを、我々は良しとしない』
「そ、そんなにはっきりと言わんでも、よいではないか……」
『神よりむしろ、そちらの巫女殿が指示した方が、我々は従うだろう。……それが我が精霊たちの総意だ』
下山の途中で、神様はとうとう、泣き始めてしまいました。
「わ、我は、民たちの、役に立ちたいと思って、ここに、来たんじゃ……」
「はい、はい、わかっていますよ、神様。神様が頑張っていることは、私がよく知っていますよ」
「う、うぅ〜〜」
さすがの私も、この状況では、興奮ばかりもしていられませんでした。気持ちの半分は悔しくて、もう半分で興奮していました。私の手を握る神様の小さな手が、細かく震えています。みんな、どうして神様の尊さをわかってくれないのでしょう!? 私は神様の涙を啜りたい衝動を抑えながら、もらい泣きしていました。
「我、もう天界に帰るぅ……」
「えっ!?」
私は仰天してしまいました。か、帰れるんですか!? 修行が終わるまで無理とか、そういうものだと思ってたんですけど!?
言われてみれば、神様がこの地に来たのは、神様の自発的な意思によるものです。天界の誰かから強制されたわけではないのですから、帰るのだって自由なはずです。ああ、どうして気付かなかったのでしょう! 私のおばかさん!
「そ、それは困ります。神様には、民を救っていただかないと……」
「だってだって、みんな、我、いらないって言うじゃないか!」
「そ、それはっ……それは……」
言い返せません。あのお婆様も、村の民たちも、精霊すらも、神様を頼ってなどいません。
そしてそれは、神様が蒔いた種でもあるのです。人見知りで、人前になかなか出ない神様が悪かったと言えば、それまでです。
「大丈夫です、神様! 私がなんとかして、民からの敬意を勝ち取ります!」
「本当か……?」
「はい! だって私は、巫女ですから! 本来、私たち巫女の役割は、神の仕事を手伝うこと。舞だって、神の手が回らない分を補うのが本来の目的。神様がこの地上で民を救いたいと願うなら、それを全力で補助するのが私の役目です!」
涙に濡れた目で、神様が私を見つめます。神様の頬は赤く腫れぼったくなっており、唇は震えています。なんて艶やかな表情なのでしょう。私は目だけでなく、恥ずかしい部分まで濡れてきました。
「で、でも、具体的に、どうするのじゃ……?」
神様はしゃっくり混じりに言いました。
「それは……これから考えますが……。でも! 必ず、成功させます!」
「そ、そうか。……うむ、伊与が言うなら、うまくいくのじゃろう!」
ああ、なんて勿体無いお言葉でしょう。神様は無条件で私を信じてくださいました。巫女として、いえ私にとって、これ以上の喜びがあるでしょうか。
「そうと決まれば、早く神社に戻って作戦会議ですよ!」
「うむ!」
神社に戻った私たちは、問題を整理して、改めてややこしい状況だと認識しました。
精霊たちが神様の指示に従わないのは、民に敬われていないためです。民に敬われていないのは、神様が民の願いを叶えられずにいるからです。そして神様が民の願いを叶えられないのは、精霊たちが指示に従わないからです。
三竦みです。どこから出発しても、ぐるぐると同じところを回ってしまいます。どこか一か所でもこの輪を断ち切ることができれば、問題は全て解決するのですが。
「どうにもならんじゃないか……」
神様はまた泣きそうな顔になってしまいました。
「いえ、そうでもありません。綻びはあります」
「本当か?」
「はい。精霊たちが神様の指示に従わない理由は、もうひとつありました」
「ふたつもあったらますます解決できんじゃろ」
「落ち着いてください。大精霊が言うには、神様の舞には訛りがあるのです。それが余所者感を出してしまって、精霊たちの反感を買っていると。ですから、舞を完璧にすれば、もしかしたら、精霊たちは言うことを聞くかもしれません」
「選民思想が強いんじゃな……」
どこでそんな難しい言葉を覚えたのでしょうか。
「とにかく! 私たちに今できることはひとつ。舞を完璧にしましょう!」
「そうは言ってもの……我もそうしたいのじゃが……」
「わかっています」
神様が舞を完璧に踊れないのは、体力が落ちているからです。神の体力の源は、民からの敬意。つまりここでも堂々巡りです。
「ねえ、神様。せめて、私がしているように、村に出て、民の困りごとを解決してみてはどうでしょう?」
「じゃ、じゃが……」
「大丈夫です、私も一緒に行きますから」
どうなのでしょう? 私が行って、解決したところで、民は神様に敬意を覚えるでしょうか。ですが今は、こうするよりほかありません。とにかく皆に神様を見てもらって、互いに少しずつ慣れて行ってもらうしかないでしょう。
「明日からで構いません。明日から、村に出ましょう。その代わり、今日は別の作戦を進めます」
「まだ作戦があるのか?」
「先ほど言ったじゃないですか。民の敬意を集めることと、舞を完璧にすること。この二つが解決策だと。舞の方の作戦ですよ」
私はもう一度、神様に絹の着物を着てもらい、舞をしてもらいました。それから、私も同じ生地の着物を着て舞ってみます。足を大きく動かすたびに、裾が、というか
「どうすればよいと思う?」
「解決策はあります。明日、村に出たついでに、木こりさんに頼みましょう」
翌日、私は予告通り、木こりの家を訪ねました。この村で一番大きな家ですが、半分以上は保管庫です。彼の作った石斧などの石器や、青銅器、切り倒してきた木材などが保管してあるのです。当然、この保管庫自体も彼の作ですし、そもそもこの村のほとんどの家が、彼の一族が作ったものです。
「伊与様の方から来るとは珍しい」
木こりの親子が土間に座って、私達を歓迎してくれました。村の人々は、親の方を木こり、子の方を木こりの倅と呼んでいます。
「どうしたんだい?」
「作っていただきたいものがあるんです。神様のお召し物なのですが」
木こりの親子は、そこで初めて、神様の顔を見ました。それから、親子で目配せします。
「伊与様の頼みなら引き受けるが……」
「俺達、何度も助けられてるからな」
「しかし、木の服なんて聞いたこともない」
「そんなもの着たら、動けなくなっちまうぞ」
「全身を覆う服ではないんです。腰から下だけでいいんです」
私は、作って欲しい服の構造を説明しました。
一言でいえば、器を逆さまにしたような形です。腰から足元にかけて、広がりながら足をすっぽり隠すような服が欲しいのです。それでいて、硬くてひらひらしないものを。
これなら足にまとわりつくことはありませんし、服の内側は広いので、自由に足を動かせます。まさに、舞うのに最適な服なのです!
問題は重さですが、土や青銅で作るよりは木の方が軽いでしょう。
「軽くするために、できる限り薄くしてもらいたいんですが」
「すると強度が不安だな」
「ぶつけたりはしないので、大丈夫だと思います」
「ふん、わかった。ひとまずやってみよう」
「そのくらいならすぐ作れるだろう」
「神様の胴回りはどのくらいだ?」
「一周で、二尺ほどです」
「なぜ知っておるのじゃ!?」
私が神様の御身体のことで知らないことがあるはずありません。
「よし、今日の日暮れまでには作ってやる」
「そんな急がなくてもよいのですが……」
「遠慮すんなって」
「そうさ、日ごろの恩返しだ」
お二人は快く引き受けてくださいました。
それから私達は予定通り村を回り、村人たちの困りごとを聞きました。神様は本当に私の後ろをついて回ってきただけでしたが、村人たちに神様の存在は印象付けられたことでしょう。
まずは、顔を覚えてもらうこと。敬意を受けるのはそれからです。
夕暮れに木こり親子の家に戻ると、私が注文した通りのものが出来上がっていました。
「すごい! これが欲しかったんです!」
「そりゃよかった」
「神様、早速着てみましょう。ちょっとバンザイしてください」
「む、こうか?」
両手を上げた神様の頭から、その木の衣類を被せました。腰まで下げると、麻紐で肩から服を吊るします。
今までに見たことのない服が出来上がりました。太い銅鐸のような形の服です。何もせずとも広がっているので、これできっと、動きやすくなるはずです。
「神様、いかがですか? 動きやすいですか?」
「うむ……む?」
二、三歩歩いてみて、神様は立ち止まりました。
「下に着物を着ておるから、よくわからん」
それもそうです。私としたことが、気が急いてしまいました。神社に戻って、着物を脱いでから改めて検証しましょう。
私は木こり親子に礼を言うと、村を後にしました。
神社に戻ると、私は早速、神様に着替えを頼みました。
「この新しい服を着て、舞ってみましょう」
「それは良いのじゃが……これ、腰から上が丸見えになってしまわないか?」
そんなもの、丸見えで良いに決まっています。が、そんな提案は却下されることでしょう。
「上は上で、別の服を着ましょう」
「わざわざふたつに分かれるのか!?」
「都の人は、そういう服も着ていると聞いたことがあります」
「そうなのか。して、その服はどこに?」
「ちょっと待っていてください。いま、作ってきます」
「今から作るのか!?」
「切るだけですから、すぐですよ」
私は神社の蔵の奥から、古い着物を取り出しました。それは、私が幼い頃に着ていた着物です。ちょうど、私が神様ほどの背丈の頃のもの。
私はそれの下半分を、鋏で断ち切りました。これで、神様の上半身だけを覆う服になったはずです。断ち切った部分がほつれてしまいますが、これは後で直しましょう。
神楽殿に戻り、神様にそれを渡しました。私は外に出て、神様が着替えるのを待ちます。
「着替えたぞ、伊与よー」
扉を開けると、そこにいたのは、ああ、なんて尊い! 神様が、私が設計した服と、私が昔着ていた服を着ています! 神様の全身が私に包まれていると言っても過言ではありません!
腰から上は、薄い黄色の麻の着物をきっちり着ています。古いので少し汚れていますが、神様の美しさの前には些細なものです。
腰から下には、世にも珍しい木でできた服。一本の木から切り出したため、合わせ目もありません。まさに天衣無縫! 神様が着るのに相応しい服ではありませんか!
「素晴らしいです、神様。よくお似合いですよ」
「む、そうか、ありがとう」
「さあさあ、早速舞ってみてください」
私は神楽殿の端に寄りました。神様が拍子をつけて舞い始めます。
当然ながら、木の着物は神様の足を邪魔しません。神様の足が全く見えないのは残念でなりませんが、しかし、そのときの神様の表情と来たら! まるで初めて二足歩行を覚えた赤子のように、輝いているではありませんか!
「伊与、これは舞やすいぞ!」
「本当ですか!」
やった! これで楽に正確に舞を踊れるようになれば、雨が降って、神様も民の敬意を集められるはずです!
と、喜んだのも束の間でした。
ガツ、と音がして、神様が前に倒れました。
「神様っ!?」
すんでのところで、私は神様を抱き止めました。甘い良い香りが神様の体からふわりと漂います。
「どうされたんですか?」
「伊与よ。この服、転びやすい!」
舞っている間に、木の服が少しだけ前に傾いたそうです。そのせいで、服の裾が床にぶつかってますます前傾し、神様が裾を踏んづけてしまいました。木の服は神様の体重で前に倒れ、それに釣られて神様も倒れた……ということでした。
「服を硬くすると、こういうことが起こるのですね……」
全く気が付きませんでした。木こり親子には悪いですが、この服を使うのは難しそうです。
「ではどうするのじゃ?」
「ううん……」
他に、何かいい方法はあるでしょうか……?
「今までの着物では、足を広げたとき、生地がまとわりついてしまうのでしたね?」
「うむ」
「その原因のひとつは、着物が一枚の布だという点にあると思うんです」
「どういうことじゃ?」
「右足が動くと、布が引っ張られて、左足に影響してしまうんです。だから、二枚の布で作ったらどうでしょうか。いま神様が着ているその服は、上と下に分かれていますが、これを右と左に分けるんです」
「そんな服、作れるのか?」
「できるはずです。やってみます」
私は決意すると、その日のうちに作業に取り掛かりました。私の中では、既に完成図が出来上がっています。難しい仕事ではありません。おおよそ、次のようにすれば作れるでしょう。
まず、二尺ほどの布を筒状にします。それを畳んで一尺の長さにしたら、中央の下側から、神様の御御足と同じ高さの三角形を切り取ります。そして、切り取った縁を縫えば良いのです。
これで、下半分が二本の筒、上半分が一本の筒という構造になります。ここに上から足を通せば、下半身を覆う左右に分かれた服になるはずです。
このままではずり落ちてしまいますが、腰の部分を紐で止めるなどすれば大丈夫でしょう。
次の日、私は完成した服を神様に見せました。
「なんじゃ、ずいぶん変わった形をした服じゃな。どうやって着るんじゃ?」
「ここに足を通すんですよ」
私は着方を説明すると、廊下で着替え終わるのを待ちました。
「伊与よ、着たぞ」
呼ばれて神楽殿に入ると、私は神様の下半身に目を奪われてしまいました。上半身は私のお古の麻の着物。下半身は私の作った二股の服。
その二股部分の尊さたるや! 神様の御御足が、今どこにあるのか、はっきりとわかるのです。普段は着物の裾に隠れて見えていないその位置が! もちろん足は完全に覆われているので、直接その肌を見ることは叶いません。ですが、そこに確実に「ある」ということが、否応なく強調される服なのです。
それだけではありません。二本の筒を下から上へと眺めていくと、筒の付け根のところに、神様の御御足の付け根もあるのです。それはすなわち、神様の秘めたる部分もそこにあるということ。直接は見えなくとも、その存在がはっきりと主張されているのです。なんて尊い!
「とてもお似合いです、神様」
「うむ。では舞ってみるか」
神様が舞い始めました。すると、ああ、御御足の動きが、手に取るようにわかります。神様の細い御御足が、あの絹一枚の向こうにあるのです。足を上げると、筒の上側に、わずかにその輪郭が浮き出ます。
足を上げると現れ、下げると消える。まるで山々から出たり沈んだりする太陽のように輝いていました。ちらちらと見えたり見えなくなったりする様子に、私は目を離せなくなってしまったのです。
気がつくと、舞は終わっていました。
「伊与よ。これは、画期的じゃぞ。動きやすい!」
「それはよかったです」
あまりの尊さに私は恍惚としたまま答えました。
「都の男性が、馬に乗るときにこういう服を着ると聞いたことがあったのです。お役に立ててよかった……!」
しかし、それを聞いた神様は、お顔を真っ赤にしました。
「なに!? こ、これ、男の格好なのか!?」
「そういうことになりますね」
「却下じゃ! お、男の格好なんてできん!」
「え、なぜですか?」
「だって、は、恥ずかしいじゃろ!」
神様は下半身を隠すように内股になりました。なんて尊いお仕草。恥ずかしがって足を合わせる様子に、私も両足をこすり合わせそうになります。
「しかし、これが無理なら、もう裸しかありませんよ」
「なんでそうなるのじゃ!? と、とにかく、こんな格好は無理じゃ! 他に考えてくれ!」
着物自体には問題がないのですが、そう仰るのなら仕方ありません。幸い、これで方向性は間違っていないことがわかりました。下半身の布を、左右に分ければよいのです。あとは、男性の格好と似て非なる着物で、それを達成するまでです!
ですが、それにはどんな着物を作れば良いのでしょうか。布が左右に分かれていては、男性の格好になってしまいます。しかし分けなければ、元の動きにくい服に戻ってしまいます。
私は炊事場で料理をしながら、うんうんと唸っていました。もう何日もこの課題を考えています。
なぜ元の着物は動きにくいのでしょうか。それは、ひらひらとしているからです。男性の格好は、ひらひら部分を筒状にして足にまとうことで、動きやすくしています。要するに、布が好き勝手に動かないようにしているのです。
なら、これをもっと突き詰めればどうでしょう。
例えば、神様の足の形に完全に一致する筒を作るとか? ですがそんな服では、おそらく足が動かせません。膝を曲げるときには、膝の外側の布に余裕が必要だからです。
つまり、布がひらひらしてると舞にくいのですが、足を動かすにはひらひらが必要なのです。
ここでも堂々巡りです。必要最低限のひらひらを残した服を作れば良いですが、それは男性の格好になってしまいます。ああ、どうすれば……。
こういうときは、発想を変えましょう。
おそらくこの課題は、服の構造で解決できるものではありません。
生地を変えるのです。麻でも絹でもない、別の生地を使うのです。足の形に完全に一致して、それでいて足を動かす余裕も作れるような生地。
それはつまり……自由に伸びたり縮んだりするような生地です。それで神様の御御足に合う着物を作れば、動きやすく、男性の格好に似ていない服が作れるでしょう。
しかしそんな布、見たことがありません。この世にそんなものは存在するのでしょうか? もしかして、そこから作らないといけないのでしょうか?
鉈を持ったまま、私は途方に暮れてしまいました。麻や絹に変わる新しい布を作るということは、新しい植物か虫を作るということになります。それはどれだけの時間と労力がかかるでしょうか。
私がいま調理しているこの植物だって、作るのには一年もの歳月が……ん?
それから幾日も経ちました。民たちが舞台の前に集まっています。
この日のために、いくつも準備をしてきました。神様を村に連れ出して民たちと交流をさせたり、民たちが舞を見られるように、神楽殿の外に舞台を作ってもらったり。
そして今日、私は、神様の舞を皆に見てもらうことにしたのです。
「神様、今日の舞は、必ず成功させましょう」
「う、うむ……」
「緊張しなくて大丈夫です。神様はもう何度も、民と会話までしたじゃないですか。皆、神様への警戒心が薄れています。あともうひと押しなんです」
民の前で神様が舞い、そこで雨が降れば、皆は神様を敬うようになるでしょう。
「き、緊張というか……本当にこんな格好で、民の前に出なくてはいけないのか?」
「恥ずかしがる必要はありませんよ、神様。肌は一切見えていませんし、男性の格好でもありません」
「そうかもしれんが……」
「さぁ、そろそろ正午です。まずは私から行って参りますね」
恥ずかしがる神様を神楽殿に残し、私は舞台に出ました。民たちの視線が私に集まります。
「村の皆さん、集まってくださりありがとうございます。今日はここで、神様の舞を見ていただこうと思います」
「伊与様に頼まれたから来たけどさ、どうしてなんだい?」
「神様が皆さんを救う存在であることを、お伝えしたいからです」
そのためにここまで準備してきました。私はまず、短い話をすることにしました。
「皆さん聞いてください! うちの神様は、超尊いんです!」
私は話しました。神様がいかに尊いかを。いかに皆のことを気にかけ、助けようと必死になっているかを。
大精霊が言っていました。私は村の皆から敬われていると。その私が神様を敬っていれば、皆も神様を敬うのに抵抗がなくなるはずです。
そうして無抵抗になったところで、神様が雨を降らします。これが私の作戦。必ずうまくいくはずです。
「……というわけで、お待たせしました。神様のご降臨です!」
神楽殿の扉が開き、恥ずかしそうに神様が出てきました。
そのお姿は、この世のものとは思えない尊さでした!
上半身に着ているのは、この日のためにしつらえた絹の着物。その丈は、神様の腰の少し下までしかありません。太陽の光を反射して、白く輝いています。
そして下半身に着ているのは、この村で、いやおそらくこの国で誰も見たことのない、黒い服。
あの植物で作った、神様の御御足に完全にまとわりついた服です。あの植物の繊維は弾力があり、神様が手慰みに遊んでいたように、伸び縮みするのです! 私はそれを編み、布にしました。それで作ったのが、神様の足にぴったりと張り付いた、あの黒い服。
ああ、なんて尊いのでしょうか! 神様の御御足の形を、完全に浮かび上がらせています。もう素肌そのものと言っても過言ではありません。にもかかわらず、あれは素肌ではないのです。その焦ったさが、私を強く、強く刺激します。
「なんだあの格好は」
「あれは神様の素肌なのか?」
「いや、着物をお召しのようだ」
「見たことのない着物だ」
「美しい」「尊い」「なんて尊い御御足」
民たちの間にも、神様の尊さが伝播し始めました。
「あれはなんという着物なのだ」
ふとそんな声が聞こえました。名前は考えていませんでしたが、そうですね。舞台で使う服なので、タイツとでも名付けましょう。
私は拍子を叩き始めました。それに合わせて、神様が舞います。足は自在に動き、絹の着物はわずかに揺れます。白く明るい着物と、それを支える大地のような黒い着物。その色彩が、民の心に強烈な印象を与えました。
「なんて尊い動きだ」
「目が離せない」
「ずっと見ていたい」
民の心が一体となっていきました。そして舞が終盤に差し掛かった、そのときです。
ぽつり、と空から滴が落ちてきました。
一粒二粒と落ちてきた滴は瞬く間に数を増やし、ついに雨となって降り注いだのです。
「雨だ!」
「雨が降ってきたぞ!」
「これを、神様が?」
「神様が救ってくださった」
「なんて尊いんだ」
「ありがとうございます、神様」
「神様」「尊い神様」
舞が終わりました。民たちは皆、大喜びしています。
神様は息を切らし、頬を上気させていました。降りしきる雨が銀の髪を、白い絹を、神様の体に張り付けます。それにより、ああ、神様の御身体の輪郭が、くっきりと浮かび上がっています!
なんて尊い光景でしょう。雨に濡れる神様を見るうちに、私の全身も濡れていくのを感じます。
それだけではありません。神様の表情こそ、最も尊いものでした。
喜ぶ民を見て、神様は慈愛に満ちた笑顔を浮かべていたのです。これです、私が見たかったのは、この表情なのです。涙を浮かべた目も、恥ずかしがって赤くなる頬も、どれも尊いものですが、最も尊いのは、民を救ったときに浮かべる笑顔なのです。これが最高に尊いことを、私は知っていました。
ああ、本当に、うちの神様はなんて尊いのでしょう!
うちの神様が超尊い 黄黒真直 @kiguro
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