三羽目の烏

 笑みが深まる月が、不相応にも浩々と輝く夜だった。

 瘴気をまとう二つの人型の影が、城下町の大通りの最中で折り重なるようにしてあった。下敷きになった影は微動だにせず、馬乗りになっている影は絶えず腕を振り上げては落とすを繰り返す。

 下敷きになっていた影の頭部がごろりと転がった。馬乗りの影は気にした様子もなく、鋭い爪をその影の胸部に突き刺した。探るように指や手首を動かし、やがて、かがちの瞳をにたりと細める。もう片手も同じ場所に突き刺し、両手で掲げ取り出した物をためらいもなく頬張った。鉄の臭いが強くなる。

 放置された頭部はごろごろと転がり、近くの建物の壁にぶつかり、止まった。胴体に繋がっていた時よりも濃い瘴気が頭部を覆う。かがちの瞳すら判別ができない。

 アキは頭部の真横に陣取り、建物に背を預けた。腕には埃まみれになってしまった烏の亡骸を抱え、その傷まみれの体をいたわるように撫で続ける。

 心臓を頬張り、肉をはみ、血をすする、汚い食事風景の真上で宵烏が鳴いている。

 馬乗りの影は食事を終えると、今度は戯れのように下敷きの影の腕を引きちぎり、ひじのあたりで真二つにへし折った。さらに前腕を細かく折っていく。ポキ、ポキと枯れた枝のように容易く折っては捨て、折っては捨て、残すものが手だけになると、両手で一気に丸め潰し、高笑いと共に、両手を空に向かって解き放った。白く細やかな骨が、月下にさらされて煌めき、夜に散る桜のようだった。

 一羽の烏がアキの足元に舞い降りた。烏はアキを見上げると首を傾げ、そして、その横にある頭部に目を向け、ひょいひょいと近付き一声鳴いた。すると、濃い瘴気は瞬く間に烏に吸収され、瘴気が薄れていくのと同時に頭部も砂のように消えていく。最後にちらりと見えたかがちの瞳もさらりと消えた。残ったのは、黒曜にも似た黒い二本の角のみ。

 アキは残った角を拾い上げ懐にしまい、烏の亡骸は建物の影に隠した。

 烏が鳴いた。

 馬乗りの影が顔を上げる。影の目線とかち合うや、アキは鯉口を切った。骨の流れていった先を眺めていた影が、アキを認めると、ゆらりと立ち上がる。アキが刀身を抜く。

「生きることを諦めない」

足元の烏がさらに鳴き、刀身に吸い込まれていく。

 影がアキに向かって跳躍する。しかし、空から鉄砲玉のごとく飛来した二羽の烏に打ちのめされ、無残にも地に転げ落ちた。

「殺すことを決してためらわない、——鬼の魂の安らぎを祈る。どうか聞き届けたまえ」

 二羽の烏は勢いを殺すことなく、アキの刀へと吸い込まれていく。月の光よりなお眩しく、刀の乱れ刃が明瞭な紫電を放つ。

 影は——、二本角の鬼は土を握りアキに投げ付けた。アキがそれを横に回避すれば、にたりと笑う鬼が待ち受け、長い爪で切り上げてくる。アキは喉をそらし、腰をひねり右足を軸に体を回転、鬼の横腹に勢いづいたかかとを食い込ませ、重い体を吹き飛ばす。運悪く鬼を受け止めた家屋の板壁は崩れはせずとも割れてしまい、悲鳴と子供の泣き叫ぶ声があふれ出す。

 鬼がゆらりと立ち上がり、割れた壁の隙間から生きた人間を見付け、板壁に爪をかけた。悲鳴が一層上がり、鬼は嬉しそうに笑みを深めていく。壁がやぶかれた。悲鳴がぱたりとやみ、子供の泣き声だけが響く。鬼が一歩踏み出そうとした時、

「そっちじゃねーよ」

 アキが声をかけると、鬼はゆっくりと振り返る。大通りの真ん中に立つアキに、かがちの瞳が見る間に見開かれた。

「これが、欲しかったんだろ?」

 アキがお手玉のように片手で跳ね上げて遊ぶ、黒曜石にも似た角。鬼はそれに釘付けとなった。体の向きをアキに変え、手繰り寄せるように腕を伸ばし、手で宙を掻き、そろりそろりと近づいてくる。かがちの瞳が月光を照り返した。

「やらねーよ、バーカ!」

 アキは角を鷲掴みにし、懐に転がし、すぐさま刀を脇に構えた。鬼はおぼつかなかった動きをやめ、かがちの瞳を燃やし、地を強く蹴り、アキへの距離を詰めた。鬼の角がアキの刀身の間合いに入った。刀を一気に切り上げる、だが、目当ては断ち切れない。鬼は身を屈め、刀身をやり過ごし、アキの懐に飛び込むや、爪を真一文字に閃かせた。刀と爪がぶつかり合う。鬼狩りの力が宿る刀は容易に鬼を通さず、それでも押し通そうと鬼が力を籠める。アキが地を踏みしめる。柄を掴む手に血潮の青筋が浮かぶ。刃から怪しげな紫の光がこぼれた。

「うおりゃああ!!」

 強みを増した刀の紫電に、アキが気合を乗せ、一気に鬼を押し退ける。鬼の片足が地から離れた。寸瞬とおかず、アキは間合いを詰め、鬼の角をめがけて刃を横凪に払い斬った。

――ごめん、アキ

 もう聞こえるはずもない声が、アキの耳に届いた。

 暗い空よりなお黒い角が、二筋、月光を照り返しながら宙を回り地面に落ちた。ころりと転がる角から瘴気がにじみ出る。

 アキが刀を一振りすると、三羽の烏が飛び出した。烏たちは迷わず角に近寄るとカアカアと三様に一頻り鳴き、そのたびに瘴気は烏に吸い込まれ、彼らが飛び立つ頃には、瘴気の霞さえ消え失せていた。

「最後まで謝ってんじゃねーよ、クソ兄貴」

 アキは残された角を拾い上げ懐にそっと忍ばせ、隠していた烏の遺骸を抱くと、男の住んでいた長屋を目指す。

 大通りに残された黒い煙をさらさらと凍てつく風がさっていく。

 誰もいなくなった大通りを、月は笑いながら見降ろし続けていた。

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三羽の烏 青井志葉 @aoishiba

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