第36話 真実と嘘

 シノはヨウに告白する。


 ――私はね、ヨウ。貴方に嘘を吐きました。


 そっちの告白か。とは突っ込まなかった。

「……え?」

 シノは悪戯っぽい笑みを消して、感情の読めない表情を浮かべる。冗談でも嘘でもないようだった。

 

 一体何の嘘だろう。

 嘘ならヨウも吐いている。嘘も方便というし。それに、嘘は優しいから。

 真実は残酷だとはよく言われるけれど、本当にその通りだと思う。だから嘘を吐くのは得意だった。


「以前私は記憶を失っていると言いましたね。その記憶を探しているとも」

 静かなシノの声が耳に染み込んでいく。

「うん。覚えてるよ」 


 夜の学校での出来事が思い出される。あの時シノは言った。

 記憶を失ったから、その記憶という名の宝探しをしているのだと。だから夜の学校で探しているのだと。


「ええ。それが嘘です」

 あっけらかんとシノは言ってのける。風だってそよそよと流れていく。ついていけていないのはヨウだけだった。

「え」

「そうです。私は失った記憶なんてありません。――もう気付いたかと思いますが、記憶を失ったのはヨウだけですよ」


 絶句。

「私が夜の学校にいたのは、ヨウの記憶を思い出すための引き金をつくるためです。だから、私は平然としていたでしょう? あの光景を見たことがあったからです。そもそも、あの幻想的な花は私が作ったものです。香りもつけたりして、上手くできていたでしょう?」


 ヨウの中で一瞬何かが繋がった。ばらばらに散っていた点が一本の線で結ばれていくように。


 シノと赴いた夜の学校。シノに案内されて入った隠し部屋は、あまりにも作り物めいていた。

 偽物の星空に、偽物の花。

 だからあの部屋に朝は来ないし、あの花はヨウが手入れしなくても枯れない。シノがそれを見ても動揺しなかったのも頷ける。


 まだまだ点と点は繋がる。


 あの日――初めて夜の学校に取り残されて、美しい少女を見た日。その時見た美しい少女に酷い既視感があった。それなのに、何も思い出せなかった。憶えていないなんて、生まれて初めての経験だった。

 そこから記憶を失ったのではないかと疑い始めたのだった。


 今なら確信できる。やっぱり、あの少女はシノだったのだ。あの夜の出来事は夢か現かわからないけれど、あれが現実ならあの少女は確実にシノだ。


 でも、どうして――。


「どうして、シノはこんなことを……?」

 どうしてヨウと他人同然のシノが、貴重な時間を割いてまでヨウに肩入れしてくれたのかがわからない。


 シノにとってヨウが何者で、ヨウにとってシノが何者か。

 ここにきて何もわからなくなった。


「それを説明するには、ヨウ。まずは貴方の忘却の魔法を解かないと」

 ――忘却の魔法。

 

 どうして、忘却の魔法なんて表現をするかわからなかった。ふわりと頭に浮かんだのは、”忘却はプレゼント”という言葉。でも意味が解らない。ただシノの言葉に耳を傾ける。


「いいえ、その忘れられた記憶に全て答えが載っているはずです。ヨウもわかっているでしょう?」

 シノの深海のような深い瞳がヨウを覗き込む。


 逃げられなかった。わかっていないなんて答えられなかった。


 ――だってヨウはそれを知っているはずなのだから。

 

 どんどん混乱してくる。でも、そうだ。ヨウは狂っているんだった。初めから、正しく狂っていた。それがどんどんわかってきたし、それのおかげで平静を保てる。だから、狂っている。


「……うん。そうだね。魔法はいつか解けるんだから」


 まるで口が覚えていたとでもいうように、スラスラと言葉が出てくる。不思議だった。ヨウが話しているはずなのに、何一つ理解できなかった。


 でもこれが正解だと思う自分もいた。もしかしたら、これを仕組んだのはヨウなのかもしれなかった。それさえも忘れているけれど。


 ヨウの言葉を聞いてシノは満足そうに、にっこりと笑った。まるで大吉を喜ぶ無邪気な少女のように。


「ではもう一つ。手紙に書いてあった、”卒業式に答え合わせ”の意味が解っていますか」

 夜の学校で見た、過去の自分からの手紙。


「ううん、全く。……シノは全て知っているの」

「さてどうでしょう」

 ここにきてはぐらかすような物言い。絶対に全て知っているな。これは明らかに黒だ。それでもにこにこしているからシノは大物だと思う。


「んもう、知っているなら教えてくれたらいいのに」


 この緊張した空気を何とか打開しようと、努めて明るい声で言う。

 シノは笑みを消した。深いうろのような瞳がヨウを捉えて離さない。


「本当にそれでいいんですか。今、私が答えを提示してしまってもいいのですか」


 その瞳にぞくりとした。感情が全く読み取れなかったから。感情がなかったわけではない。色んな感情が混沌と混ざっていてどれが本物の感情なのかわからなかったのだ。


「ううん……。やっぱり卒業式まで待つよ。でも、どうやって答え合わせするのかは知りたい」

 口はからからに乾いていたが、辛うじて言葉を紡ぐ。ここでシノに呑まれているようでは、ヨウはこの先、生きていけない。


 それも忘れてしまったんですか、とシノは軽やかに言う。

 さっきまでの、何でも吸い込んでしまいそうな瞳がふいとそらを見遣る。どこまで言うかを考えあぐねている、とでも言わんばかりの仕草。


「ヨウは、とある薬を飲んで記憶を失ったんです。ヨウが開発した、魔法の薬を。私がその薬の解除薬を預かっています。その解除薬を飲めば全てを思い出しますよ」


 なるほど。ここで分かったことは五つある。


 一つ。ヨウには忘れたいことがあって、自分がつくった薬によってそれを忘れた。

 二つ。その薬を忘却の魔法だと呼んでいる。

 三つ。答え合わせは卒業式。シノがヨウの記憶を思い出させる薬を持っている。

 四つ。シノは全てを知っている。

 五つ。これはヨウが考えた計画。シノはそれに付き合ってくれている。


 つまり、卒業式にシノが預かってくれている薬を飲めば全てが解決するのだ。それが解った以上、シノに頼めばいつでも忘れた記憶を呼び起こすことができる。

 何だか少し安心した。



 ……安心なんて言ったけれど、その薬を飲むのが怖かった。過去の自分が忘れたかった記憶。ふざけて忘れたんじゃないことは確かだ。だから、忘れたのは過去の弱いヨウが記憶し続けることに耐えられなかったものだ。


 そんな記憶を見るのは、怖くないというと嘘だった。



 ――卒業式に答え合わせってことは、まだ大丈夫。

 人間とは先延ばしにする生き物。臭い物には蓋を。見て見ぬふり。こんな単語があるくらいだから。


 やっぱり、今を楽しむべきだ。シノがいる今なら、何となく大丈夫な気もするし。

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