第35話 新年来たれり
大晦日。流石のシノも今日は家の用事があるらしい。というかそれが普通だ。家族がいないヨウが異常だった。こういう時に現実を突きつけられるから哀しい。
一人で過ごす大晦日は何だか寂しかった。記憶が心をあたためてくれるなんて言葉があるが、今は逆だった。
――去年の今頃は、アオと楽しく笑っていたはずなのだ。
豪華な料理なんてない。ただの、具も何も入っていない年越しそばを一杯ずつ食べただけ。電気代を節約するためにテレビもないから、二人っきりの家は静まり返っていた。他の家から大きな笑い声が漏れ聞こえるくらい。
それでも幸せだった。アオと他愛ない会話をするだけで幸せだったのだ。アオがいるだけでよかった。
そんな記憶が今のヨウを冷え冷えとさせる。あの時はよかったのに。今ここにアオがいない現実が部屋を一層寒くした。
ひょっこり帰ってきてくれないかな。
「遠出してたんだけど、大晦日だし帰ってきたよ」
なんて笑いながら言ってほしかった。未練がましくドアを眺めてしまう。
日付が変わって年を越しても、ドアはピクリとも動かなかった。
♢
新年の朝。シノと約束をしていたのだから、布団から出たくないと主張している身体を鞭打って身支度する。一人しかいない部屋は酷くさめざめとしていた。
待ち合わせ場所に行くとシノはもうそこにいた。
シノはヨウの姿を見るとぱあっとその美貌を輝かせる。それを見て少し気持ちが晴れたような気がした。
「あけましておめでとうございます、ヨウ」
今時の若者は”あけおめ”とか”ことよろ”みたいな略す挨拶が多い。それなのに、流石はシノだ。いつものように律儀に挨拶をしてくれる。だからヨウもちゃんと返す。
「あけましておめでとう、シノ。今年もよろしくね」
「ええ、こちらこそ」
そうして新年がスタートした。
「さて、初詣に行きましょうか」
そうだ。シノとは初詣に行こうと待ち合わせをしていたのだ。
「シノは家族と行かなくていいの」
ヨウは元より一人だからいいんだけれど、シノは違う。ちゃんと愛してくれる家族がいるのだ。だから少し心配になって訊く。もし無理やり来てくれていたら申し訳なかった。今更だろうけれど。
「ええ、いいんです。そうですね……私の家族はあまり日の光のあたるところは好きではないんです。だから、初詣の類は毎年言っていなくて」
困ったようにシノは笑う。日の光が好きではないなんて、吸血鬼みたいだと思った。
「ああ、だからシノの肌もそんなに白いんだねー」
シノの肌は日に当たったことがないように白かった。白いと言っても健康的な範囲で。それでも同じように体育などをしているはずなのに、こうも差が出るのは不思議だった。遺伝かもしれない。
「いえ、日焼け止めのおかげです」
思ったより真顔で正論が返ってきたので、思わず吹き出してしまった。
シノといると昨日の憂鬱が全て吹き飛んだ。そうだ、新年なんだから楽しくいかないと。
人は独りで生きていけないのかもしれないなと、当たり前のことをぼんやり考えた。
♢
お辞儀を二回。手を二回叩く。お願い事をして最後に一礼。
これを二礼二拍手一礼っていうんだっけ。取り敢えずどこかで覚えた知識をもとに参拝してみる。
ぱんぱん。
手を合わせ、目を瞑って祈る。
今までヨウの願いはただ一つだった。――アオが幸せに生きられますように。
それだけを願ってきた。
だけど。今年は少し違う。アオは……。
暗い思考に蓋をして、代わりにシノの幸せを願った。いつも努力して生きているシノ。どこか儚いシノ。ただ彼女の幸せを願った。自分のことはどうでもよかった。
目を開ける。ヨウの隣でシノはまだ祈っていた。何を祈っているのだろう。その横顔は静謐でどこか神聖でもあった。
なんて思っていると、シノの長い睫毛が震えて澄んだ瞳が現れる。目伏せて一礼する。
そこでその澄んだ瞳がヨウの瞳と交わった。はにかんだような、控えめな微笑みを浮かべる。初めて見る表情だった。何を祈ったかは最後まで訊けずじまいだった。それを訊くのはあまりにも無粋だ。
「ねえ、ヨウ。私、おみくじを引いてみたいです」
「もしかして、おみくじも引いたことがないの?」
「ええ。おもちゃみたいなおみくじは引いたことがあるんですけれど……」
もしかしてキリスト教とかなのかな、なんて思った。初詣もおみくじも初めてとは少し驚く。
「そっか。まあどうせ引きに行くつもりだったし。行こう」
シノは運がよさそうだと直感的に思った。運が良いから今のシノがあるっていいたいわけではない。シノは努力家だから、運なんてなくてもいい人生を送れそうだった。
でも、こんなシノだから運がよさそうだと思ったのだ。
早速、おみくじを引く。吉だった。良くも悪くもない。ヨウにしては順当な結果だろう。さらさらと文字を追うが、全て当たり障りのないことが書いてある。さすが吉。
「シノは何だった?」
「大吉と書いてありました」
「わあ、流石だねー」
流石シノ。やっぱり運命にも愛されている少女だ。
「大吉って何書いてあるの?」
「ええと……見ます? ほら、これです」
……
……
「やっぱり大吉っていいこと書いてあるんだね」
待ち人もう既に来たりって。実はシノには彼氏がいるのではなかろうか。或いは、シノが気になっている人が。
シノには幸せになってほしい。まあシノに釣り合う男が果たしてこの世にいるかどうかだけれど。
「そうですね。嬉しい限りです。ではおみくじに言われたので、一つ私はヨウに告白します」
「ちょっとまって、それって恋人にするやつじゃ……」
シノは悪戯っぽく笑った。ヨウの言葉なんて、てんで聞いていなかった。でもこれは絶対に恋愛の告白じゃない。期待でも予想でもなく確信だった。
「今一番身近にいるのがヨウなので。ではいきますよ。私はね、実は――」
風が吹きすぎる。冬らしい、冷たく鋭い風だった。
――私はね、ヨウ。貴方に嘘を吐きました。
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