第28話 修学旅行
中学校生活最後の一大イベント、修学旅行。初めての一泊二日の校外行事ということもあり、行く前から生徒は浮足立っている。
一方ヨウは修学旅行なんて面倒くさいと思っていた。家で自分のしたいことをさせてくれとさえ思った。どうせなら本を読みたい。夜は宿で知らない人と二人っきりなんて嫌すぎる。
シノと相部屋ならいいかと思ったが、どうせ人気者のシノは引っ張りだこだろうから憂鬱だ。
そして部屋分けを決める時間になった。憂鬱の二乗。どうせなら一人にしてくれ。なんて思っていたら、真っ先にシノがヨウの元に訪れた。これは予想外だった。
「ねえ、ヨウ。良ければ私と同じ部屋になってくれませんか」
え、と間抜けな声を洩らしてしまう。
「……他の人と泊まらなくていいの?」
ちらちらとこちらを見る視線を感じる。どうしてこいつがシノと? みたいな胡乱な目つき。
「ええ、私はヨウがよくて」
一瞬鋭い視線がヨウを突き刺したかと思うと、すぐ興味を失ったというように自然に散っていった。ヨウは別に気にしなかったけれど。
「そっか。ヨウも嬉しい」
ということで今回の修学旅行は比較的平和に終わりそうだ。シノが同じ部屋ならいいと本心から思ったのだ。いつからこうなったんだろう。
♢
そして迎えた修学旅行当日。
日中は適当に班に分かれて観光をすることになっていた。若干人と合わせて行動するというのは疲れたが、別に単独行動をしたがるなんて迷惑はかけなかった。それくらいの良識はあった。社会で生きていくには必要なスキル。中学校はそれを学ぶ場だと考えていた。
まあ、なんやかんや言って観光というのは嫌いではなかった。しかし、特に印象に残った思い出はなかった。それをひっくり返すくらいあまりにも夜が濃密だったから。
あれは一生忘れられないかもしれない。よくも悪くも。
♢
その日の夜、二人とも寝間着に着替えようと各々宿で荷物を漁っていた。ぽろりと薬包紙が荷物からこぼれたかと思うと、シノの方に滑っていった。あっ、しまった。何かに挟んでいたのを忘れていた。
「これは、なんですか?」
薬包紙を手にしたシノがニコニコとして問うてくる。まるで五歳のこどもが新しいおもちゃを手にしたみたいに。興味津々の顔。それはおもちゃというには程遠かったけれど。
「えっと……」
ヨウの記憶が正しければ、それはただの偽薬だった。ブドウ糖を入れただけの、偽薬。でもどうして作ったのか思い出せなかった。だから言い淀んでしまう。
「自白剤とかですか」
少し期待というかわくわくした表情をしてシノは問うた。どんな中学生だ。自白剤を何と心得る。
とは思いつつも、実は自白剤なら作ったことがある。売ったこともある。大脳上皮に作用して酩酊状態にする薬。結局はアルコールとほとんど同じなんだけれど。
ただし、そんなものをヨウが持ち歩いているわけがなかった。特に修学旅行に自白剤を持ち歩いている中学生なんて真っ当な道を踏み外しすぎている。
「自白剤に見える?」
「いいえ、でも自白剤だったら面白いなあと思って」
独特な感性だ。面白いってどの面白いだろう。興味深い面白さか、笑いがこみあげてくるような面白さか。どちらにせよ少し、いやかなりおかしい。
「ちょっと、シノにはヨウが常日頃から自白剤なんて持ち運ぶヤバいやつに見えてるってこと?」
笑いを含ませながら冗談めかして言う。シノは笑った。満面の笑み。
「ええ」
「ちょっと!」
二人して笑う。馬鹿みたい。でも楽しい。ヨウもシノも思ったより修学旅行を楽しんでいるのかもしれなかった。
「それで、実際どうなんですか」
「多分想像の通りだよ」
恐らくヨウは悪戯っぽくて挑戦的な笑みを浮かべていたのだと思う。
さっきのを冗談ととらえるか、本気ととらえるか。どちらもはぐらかし続けているから、どっちに転ぶかわからない。シノのことを試してみることにした。試すというと聞こえが悪いが、結果が見えないというのは面白い。
「わかりました」
シノも悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。どっちに思ったのだろう。その後先生が見回りに来たりして話が流れてしまい、答えは訊けずじまいだった。
♢
水面に吸い寄せられるように、ふと目を覚ました。
まず目に入ったのは見慣れない天井に見慣れない照明。ああそうだ、ここは宿だったと一拍置いて思い出す。
月明かりが眩しい。満月だったかななんて思いながらそちらに目を遣ると、そこにはシノが窓枠に腰掛けて佇んでいた。月に照らされて、とてもうつくしかった。
静かに窓の外を見つめるシノにはどこか神聖な雰囲気が漂っている。月の光が逆行になってシノの表情はよく見えなかったけれど、どこか哀しさを感じた。これはヨウの勘違いかもしれないけれど。
――月に吸い込まれて消えてしまいそう。
それだけの儚さが今のシノにはあった。思わず言葉が口をついて出る。この俗世離れした空間をなんとか現世のものにしたかった。
「シノ。眠れないの」
シノはこっちを向いた。未だに表情はわからない。青白く照らされた畳にただ影だけが落とされる。
「ヨウ。……起こしてしまいましたか」
答えたシノの声がいつも通りで少し安心する。
「ううん。なぜか起きちゃっただけ。シノは? まさか一睡もしていないの?」
「いいえ。少し夢見が悪くて起きてしまって……。でも大丈夫です、よくあることですから。最近あまり眠れないので、慣れているんです」
暗がりでもシノが笑ったことがわかった。今のシノは消えてしまいそうな儚さを孕んでいて、少しだけヨウは怖くなった。
「大丈夫じゃないって。何か悩み事? 話なら聞くよ、話したらすっきりするかもしれないし」
シノは少し躊躇っているようだった。暫し静寂がこの部屋を支配する。
「……確かに、そうかもしれませんね。でも、私はそれを話せないんです。……いっそ誰かに話してしまいたいけれど、それは私の弱さを曝け出すみたいで。それが怖いんです」
怖いだって。あのシノにも怖いものがあるなんて。
「シノの言う弱さって?」
「悩み事を話すなんて、弱いじゃありませんか。はずかしい」
吐き出すように呟かれた言葉を聞いて、ヨウはああと納得した。水面に波紋が広がっていくように。
シノはいつも完璧だった。それはシノの努力の結晶だったのだ。人に弱さを見せない。ただ、強くなれるように。だから、この少女は人に頼ることがわからないのだ。頼られるのには慣れているのに、頼る方は不得手なのだ。それがだんだん掴めてきた。
話をして楽になるかはわからない。でもシノが背負っているものを少しでも軽くできたらいいなと思った。話したら楽になるかもしれないなら、今よりはずっとよかった。
「ねえ、シノ。これは自白剤だよ。どんな強い人でも、悩み事なんてすぐに喋っちゃう。弱いせいじゃない。全部自白剤のせいにできる」
さっき見せた自白剤――ではなくただのブドウ糖入り偽薬を取り出す。今こそ偽薬の役目だ。ヨウはシノに無理やり自白させたいわけではない。ただ、自白剤を飲んだと思ったら普段は話しづらいこともぽろりと吐きだせてしまうのかもしれなかった。俗に言うプラシーボ効果ってやつ。
ただし理性は残したままだから、シノが本当に話したくないことは話さない、なんて選択肢が残せる。うん、我ながら天才だ。
「これ、ヨウの作った自信作。即効性もあるし、副作用なんてない。どう、お試しで飲んてみない?」
だから、ヨウはシノに嘘をつく。ヨウのエゴで、同時にシノにとって優しい嘘を吐く。飲みたくなかったら飲まなくてもいい。話して楽になりたかったら飲んだらいい。何を話しても自白剤の所為にすればいいのだから。
「ヨウは優しいですね」
ヨウの意図を正確に読み取ったのか、シノは笑った。
そしてヨウから自白剤という名の偽薬を受け取ると一息に飲み干した。思ったよりシノはヨウを信じているのかもしれない。友人から渡された怪しげな薬を飲むなんて。或いはそれほど参っているのかも。
どちらにせよ、これが良い方向に向かってくれることを願うのみ。
月は煌々とシノたちを照らしていた。もう真夜中だったが、まだまだ夜は空けない。
そうして長い夜が始まった。長い長い夜が。
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