第27話 名前の由来

 今日は勉強をするためにヨウの家に来たのだ。

 

 というわけで、麦茶を片手に各々勉強をし始めた。取り組む教科も内容も違う。でも同じ空間にいるというのが楽しかった。これはヨウにとって例外的な出来事だった。一人の方が好きだったのに、シノといる方が楽しくなっているのだ。


 なんて思っているうちに、勉強を始めて約三時間が経った。

 

 シノもヨウも、お互い持ち前の集中力がすごいので「気が付いたら三時間経っていた」というのが正確だが。


 集中力がすごいもの同士が合わさると何が起こるか。二人とも自分の世界に入ってしまって帰ってこない。ただ、それだけ。しかし二人ともそうなのだから、何とも平和な世界だ。どちらも不満を抱くことはない。

 気が合うというのはこういうポイントも加味すべきなのだろう。


 そして先に自分の世界から生還したのはやっぱりシノだった。

「ねえ、ヨウ。ヨウはどうしてヨウっていう名前なんですか」


 ふと気になってしまって。そう呟くシノには三時間の勉強の疲れなんて全く見えなかった。むしろ勉強を始める前よりも活き活きとしているようにもみえた。不思議な話だ。


「えー、ヨウの名前の由来?」

 ヨウだって呼ばれたら自分の世界からすぐ帰ってくることができるのである。


 そういえば、名前の由来なんて久しく考えることがなかった。小学生の時に「自分の名前の由来をお母さんやお父さんに聞いてきましょう」みたいな宿題があったとき以来だ。あの時はちゃんと母親が家にいたのだ。


「ええ、名前の由来です。ふと気になっちゃって。それに、ヨウって少し変わっていますよね。いい響きだなと思ったんですけど、その由来は?って気になっちゃったんです。訊いてもいいですか?」


「別に減るもじゃないしいいよー」

 そうしてわざとらしく腕組みしてみる。こういうのはポーズから入るのが大事だ。


「うーんとね、大した理由がないから恥ずかしいんだけどね、ヨウは葉っぱの葉の音読みから来てるの」


「葉っぱ?」

 流石に予想外だったのだろう、シノはきょとりとその大きな瞳を瞬かせる。


「うん、そう。出産のときって入院する人が多いじゃん。うちのお母さんも御多分に漏れず入院してたんだけど、その病室の窓から絶えず葉っぱが見えたんだって。ただそれだけ」


「なんだかいいですね。葉っぱってとても可愛いじゃないですか」


 存外シノは独特な個性をしているらしい。葉っぱが可愛いって初めて聞いたよ。まあ、褒められて悪い気はしないけど。


「そうかなー?うーん、でもね、妹の方が由来がすっごくいいんだよ」


「へえ、どんな?」

 シノは興味津々、というように訊いてくる。妹とは会ったことがないはずなのにね。


「えー、気になる?あのね、妹の名前のアオって、やっぱり青色の青からきてる。なにが羨ましいって、その青色の由来がサファイアなんだよ。出産の入院中にほしかったのがサファイアのネックレスなんだって。羨ましい。どうせ同じ緑ならエメラルドからとってほしかったなー」


 やや憤って一息で言うとシノは控えめに笑った。またの名を苦笑という。


「多分、ヨウを出産する時の思い出が葉っぱだったんだと思いますよ。思い入れがつまっているというか。それにエメラルドも煌びやかでいいですけれど、葉っぱってなんだかとてもいいですよね」


「どうして」


「ほら、葉っぱっていろんな姿形がありますよね。木の種類によっても、その木の中でも一枚一枚個性豊かじゃないですか。個性豊かになりますように。多分ヨウのお母様はそれを願ったんだろうなあと思いますよ。いい名前ですね」


 自分の名前なんて、褒められたことなかったし誇りに思ったことなかった。でも、こういわれるとすごくいい名前のように思えてくる。少し目から鱗だった。


「名前を褒められたの、初めてだ……」

 少しぽかんと間抜けな顔をしていたと思う。それを見てシノはコロコロと笑った。


「もう、何言ってるんですか、ヨウ。自分の名前にも自信を持ってくださいよ。少なくとも私はヨウの名前好きですよ」

 まるで口説き文句だ。流石に勘違いはしなかったけれど。

 

「まって恥ずかしいな。シノって褒めるの上手だよね。照れちゃうなー。……そういえば、シノの名前の由来って何?」


「私ですか?」

 まさか訊かれるとはおもってもいなかったとでもいう表情。

「うん、そう。シノって綺麗な響きだよね。なんか、シノっぽい」

 そういうとシノは花が咲くように笑った。


「ふふっ、ヨウは面白いですね。そうですね、私の名前は――」

 シノはふと窓の外を見遣って、少し遠い目をする。


「――私の名前のシノは、東雲からきているんです」


「わあ、高貴だねー。東雲ってあれでしょ、夜明け前の空のことだよね?」

「ええ、そうです。流石、ヨウは物知りですね」

「えへへ、それほどでもあるよー」

 適当にボケると、二人できゃらきゃらと笑い合った。しようもないことに笑えるのはいいことである。


「そう、私の名前は夜明け前の空。でも、それに見合う人になるってなかなか難しい……」

 少しびっくりした。何がびっくりって、名前に意味を見出していることだ。この少女はシノという名前に見合う人になろう、なんて考えているのか。名前は人間を識別するただの記号でしかないのに。


「シノってそんなこと考えてるの?名前がシノに相応しくなったらいいんじゃないの?」

 そういうとシノは目をぱちくりと瞬かせる。


「まあ、ヨウはそう考えるんですね、面白い。私は、シノという名前、シノというイメージがあってそれに沿うように人格を形成していくものと思っていました。両親が願ったような子供になれるように」


「それって――」

 息苦しくない? 両親の願った子供になるって。……生きていて、楽しい?


 流石にそうは言えなかった。それではシノの半生を否定してしまうようで。多分、これはシノの弱い部分なのかもしれない。ぽっと出のヨウが口を出していい領域じゃない。


 だから、代わりにこう口に出す。

「それってすごいことだと思う。シノはよく考えて生きているんだねー。名前は人を識別する記号だと思っているヨウとは大違いだ」


「ふふっ、こういう話って普段しないので少し新鮮で楽しいですね」

「確かに。人に言わないから、自分の思想が当たり前だって思っちゃうよね」

「これだから、人と関わるのは楽しいんです。特に、ヨウとはこういった会話が出来るのでいっとう楽しいですね」


 なんて綺麗な笑顔でいうものだからヨウは思わず溜息を吐きそうになった。


 ――これだから、人は恐ろしい。ヨウはそう思う。

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