第26話 楽しい勉強会
告白云々にはもううんざりだ。二度としないと誓うわけではないが、暫くはもういいかなと思った。ヨウは何の傷も負っていないが、それでも人に泣かれるというのは後味がなかなかに悪い。
まあ、次の恋愛はもう少し大人になってからでもいいでしょう。
そもそも仮にも受験生であるから、告白やら恋愛やらに現を抜かしている場合ではないのだ。ヨウは勉強しなくてももう大丈夫だったが、シノはやっぱり努力していた。
努力できるというのは素晴らしいことである。その点でもヨウはシノを尊敬している。
そんなシノから勉強のお誘いが。
「ねえ、ヨウ。今日の放課後空いていますか。勉強会でもしたくって。ただ一緒に勉強するだけですけれど」
「うん、勿論空いてるよー。しよう、勉強会」
そうして結局二人はヨウの家で勉強することになったのだ。
♢
学校帰り、そのまま二人でヨウの家に行った。家という自分の絶対領域にシノがいるのはどこか不思議な気持ちがした。
ドアを開けると迎えるのはいつもの自分の家の匂いなのに、隣にシノがいる。どこか恥ずかしい。
「どうぞあがって。ごめんね、狭い家で」
だいたいこの言葉は謙遜に使われるのだが、今回は心の底からの本心だった。ヨウの家は貧乏であったから、アパートの中でも一番狭い部屋を借りていたのだ。
「いいえ、家の広さは関係ありませんよ。住みやすかったらそれでいいんです。そもそも私がお邪魔する側ですし」
澄んだ笑みを浮かべてシノは言った。どうせ豪邸に住んでいるだろうに。
「いい写真ですね。ヨウの隣にいるのは、妹さん?」
玄関に飾ってある写真立てを見ながらシノが言う。
ヨウと妹のアオが満面の笑みでこちらに向かってピースしている写真。二年くらい前に撮ったんだっけ。毎日目にしているものたが、改めて人に見られるとちょっと恥ずかしくなる。だって思春期だもの。写真とかそういうのは恥ずかしいものなのだ。
「うん、そうだよ。妹のアオ。可愛いでしょ」
「ええ、とても愛らしい顔をしていますね。少しヨウに似ているかも。ふふ、ヨウは妹さんが大好きなんですね」
「うん、大好き」
何故かこの少女には本音を話してしまった。大好きだなんてそんな恥ずかしい言葉、アオにだって聞かせられないのに。そもそも家族でもない人を家にあげない。やっぱりシノは人の距離を詰めるのが上手だ。
「いいですね、羨ましい。私も仲のいい兄弟姉妹がほしかったかもしれませんね」
「シノは兄弟姉妹いないの?」
そんな些細なこともヨウは知らなかった。
「兄がいます。……でも、もう何年も会えていません」
シノはどこか躊躇ったように言った。表情が少し陰る。踏み込んではいけない領域だったのかもしれない。
「あっごめん、訊かないほうが良かった?」
既に口に出しておいて今更だが、免罪符のように問うてみる。ごめんという言葉は便利で残酷だ。
「いいえ、別に構いませんよ。それが当たり前だったので。でもヨウを見ていると、少しだけ羨ましくなってしまって。今まで兄弟姉妹なんて羨ましいと思ったことがなかったのに」
「ああ、当たり前が当たり前じゃなくなることってあるよね。ヨウも人類なら兄弟姉妹はどの家でも仲良しだって信じてた時期もあるし」
シノは形の良い眉を下げて苦笑する。
「私は逆ですね。兄弟姉妹とは離別するものだと思っていたので」
「待って、それはちょっと極端じゃない?」
思わず突っ込んでしまった。どんな家庭環境なんだ。するとシノは気を悪くしたようにするどころか笑っていった。
「もちろん冗談です」
「なんだー、真顔で言うから信じそうになったじゃん」
「ヨウは騙されやすいですね」
シノは茶化していったのだろう。シノは自分のことをあまり話したがらない。シノの兄弟姉妹について知らなかったのもそれが原因だろう。訊かれなかったから、言わなかった。多分、シノはそういうスタンスなんだ。
「ちょっと! ……もう、シノったら思ったより毒舌なんだから」
踏み込まれたくないところなのかもしれないから、ヨウも茶化されてやる。誰だって訊かれたくないところはある。ヨウにだってある。そこはちゃんと弁えているのだ。
「ふふふ、ヨウといると楽しいですね」
綺麗にシノは笑った。全てを覆い隠すベールのように。
「うん、ヨウもシノといるのは楽しいよ」
「まあ嬉しい」
写真を見つめたままシノはヨウに問う。
「そういえば、妹さんは今どこに?」
妹さんだって。上がるときに靴を揃えたりなど、節々に育ちの良さが滲み出ている。羨ましい。
なんてことはどうでもよくなる。アオがどこにいるかだって?
ヒュっと胸の底を掴まれたような、冷え冷えとした感覚に襲われる。ヨウの中で時が止まった。
写真はある。記憶もある。アオの部屋だってある。確かにアオは存在した。
しかし今この瞬間アオが存在するという証拠を、ヨウは出すことができなかった。どこにいるかという答えも、ヨウはついぞ導き出すことはできなかった。
「さあ……どこかに遊びに行っているんじゃない?」
声が震えなかったのにヨウは自分で自分を褒めた。そして、出した言葉を真実にしようとした。そう、どこかに遊びに行っているだけだ。健康的な中学生よろしく、友達と遊び暮れているのだ。そうだ、それが正しい。
嘘も嘘で塗りたくると本当になるのだ。今この瞬間だけは。
「そうですか。今度会ってみたいですね」
意図の読めない顔でシノは微笑んだ。
「うん、アオも喜ぶよ」
すべての感情を排斥してヨウもわらった。
この空気は毒だ。早々にヨウは切り替えようとした。
「ねえ、シノ。こんな狭い玄関口で止まってないで部屋に入ろう。お茶入れるよ。麦茶でもいい?」
「ええ、勿論。お邪魔します」
また日常が流れ出した。
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